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好き嫌いのメカニズムって意外とザックリしているのでは?

ハンバーガーチェーンというと、まずどこを思い浮かべるだろうか。日本で一番店舗数が多いハンバーガーチェーンはマクドナルドになるのだろうか。調べてみると、マクドナルドは日本で約3000店舗、モスバーガーは約1300店舗らしい。圧倒的にマクドナルドのほうが多いことがわかる。

小学校の頃アメリカに住んでいたのだが、バーガーキングを食べることが多かった。その頃の記憶がまだあるのか、ハンバーガーを食べるとしたらバーガーキング一択である。東京に何店舗かあり、近所にもあるため、よく通っている。

マクドナルドのビッグマックも捨てがたいのだが、やはりバーガーキングのほうが「肉」が強いのが魅力だな、と思う。なんというか、圧倒的に「肉」なのである。パティじゃなくて、「肉」という感じ。まあ、こっちのほうがアメリカ人のイメージするハンバーガーにより近い、という感じだろうか。

バーガーキングでハンバーガーを食べる際、デカイことはデカイのだが、ちょっとだけ余力があるため、ある日、二個食べることにトライしてみることにした。よくわからないが、いま空腹だから、二個ぐらいいけるでしょう、という軽い気持ちである。

結果としては、なんとか食べ切ることはできたのだが、一個半ぐらい食べたあたりで気持ちが悪くなってしまい、最後らへんは気力で食べていた気がする。無理をする必要はないのだが、とにかく食べ切った。

しかし、そんな無理が祟ったのか、しばらくバーガーキングから足が遠のいてしまった。それまで、多いときは週一ペースで食べていたのに、である。なんというか、食べたい感じにならないというか、選択肢にも浮上しない、という感じである。

これは自分としてはなかなか真新しい体験だな、と思った。

食べ物の好き嫌いのメカニズムは、どうなっているのだろうか。もちろん、好き嫌いは単純な好みとも捉えられるが、「食事」という行為は生きる上では根幹の仕組みなので、もっと複雑な理由があると考えるほうが自然である。

やはり一番最初に考えられるのは「自己防衛本能」だろう。一度食べて変なものだと認定したら、それ以後食べることを身体レベルで拒絶するのである。食あたりなどが生じた場合は、こういった防衛本能が作動するのではないか、と思う。これを見誤ると死に直結するので、なかなかシビアな問題だ。

ただひとつ思うのは、これは「食あたり」など、直接的に食べ物の悪状態が及ぼす影響だったらいいのだが、そうでないケースも含まれているのではないか、ということだ。最近思うのは、食事そのものに由来していないことさえあるのではないか、ということである。

例えば、給食のときに食べきれずに泣きながら食べさせられた記憶などは、「嫌な記憶」として残り、以後、その食べ物が嫌いになってしまうこともあるのではないだろうか。また、上記の「ハンバーガー食べ過ぎ事件」で僕が身を持って体験したように、「食べられる量の閾値を突破」してしまっても、「この食べ物は危険!」という本能が発動してしまうように思う。

特に小学生などは、体格差なども大きいのだから、適正な食事量を考慮せずに配膳すると、「多すぎる」ということが往々に起きてしまうのではないかと思う。単に「少食」なだけだった子が、結果として「好き嫌いの多い子」になってしまうケースもあるのでは、と思った。

好き嫌いはなるべくなら少ないほうがよい。自分は好き嫌いがかなり少ないほうなのだが、教育方針がよかったのだろうか。そういえば、うちの親は、嫌いな食べ物を食べると、必ずアイスなどのデザートを最後に出してくれたので、嫌いな食べ物を食べるという体験が「嬉しい記憶」に結びつき、結果として好き嫌いのない人間に育ったのかもしれない。単純である。

シンプルに餌で釣る作戦だったとは思うのだが、好き嫌いの防止という側面では思わぬ効用があったようで、感謝しきりである。

食事は楽しく、明るい雰囲気でとることで、偏食は減る、という効用はあるのかもしれない。

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