お父さんが魔法を使えた頃の話

鏡の向こうにはもう一つの世界があって、私たちには不思議な能力が隠されていて、妖精はどこかに隠れている。

みんな子どもの頃は信じていたけれど、大人になるにつれ段々と失われていく空想。でも私は、今でも心のどこかでそういうことを信じている節があって、それは多分、私の父の影響なのだ。

そう、タイトルの通り私の父は魔法使いだった。
超能力、と言っても良いのかもしれない。あぁ〜何かの比喩表現ね、と思われる方もいるかもしれないが、ガチなのだ。だから正直こんなこと書いたらヤバめの組織に命を狙われるんじゃないのかとか、そういう心配をしている。何度も言うけれど、本当に。

一度のnoteじゃ語りきれないくらい、私の父はかなり変わった人だ。そして私はその影響をめちゃくちゃに受けている。今回は、そんな父が魔法を使えた頃の話だ。


私がまだ保育園に通っていた頃。忙しくてあまり家にいないひとで、週に一度しかお迎えに来てくれなかった。それでもたまに家に帰ってくると、必ず遊びに連れて行ってくれていたし、私は父が嫌いではなかった。
寝室は別々だったけれど、遊びに行くと父の作ったオリジナルストーリー「シャボン玉の冒険」を聴かせてくれるから、一緒に寝ることもあった。

その頃の私はやっぱり子どもで、魔法とか、超能力とか、妖怪とかの話が大好きだった。だからよく、「魔法使いって本当にいるの?」とか、「妖怪っている?」みたいなことばっかり質問していた気がする。
父はそんな私の質問を、必ず肯定した。多分本気で思っていた訳ではないのかもしれないけれど、いないよ、と言われた記憶はない。
そんな話の延長線上で、実は魔法が使えるんだ、と教えてくれた。

最初こそ信じていたが、それを母に話すと「絶対嘘だよ」と言われてしまい、段々私も疑うようになった。でも、父は本当に魔法を見せてくれたのだ。

当時暮らしていたマンションの扉。もちろん鍵が無いと開かない。その扉を、鍵を使わずに開けたのだ。
絶対にその扉は閉まっていたし、ずっと見ていたけれど鍵を取り出す素振りもなかった。それでも父は手のひらを鍵穴に押し当てて、数秒集中しただけで、鍵を開けた。

何度も疑ったし、ちゃんと鍵がかかっていたのか確認もした。私は今でもその時の記憶を鮮明に覚えている。
でも本当に、あれは魔法としか思えなかったのだ。

そんな経験もあって、私は心のどこかで魔法や超能力を信じている。いつか森の奥に迷い込んで、違う世界に連れて行かれてしまうと信じている。
馬鹿みたいだと思われるかもしれない。でも、どこかに私たちの知らない不思議な世界がある。そういうことをちょっとだけ信じると、今の世界がちょっとだけわくわくするものになるんじゃないかと、私は思う。

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