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僕がやほレンジャーを好きになった日。

やほレンジャー。

それは東京都の西部、多摩地域にある谷保(やほ)を守るローカルヒーロー。

谷保地域の第一団地が昭和43年に建てられた時、やほレンジャーの魂が生まれた……とかいうややこしい設定を知る者はいまや誰もいないが、やほレンジャーの存在は地域の子どもたちの間に知れ渡っている。やほレンジャーが公園に来ると、子どもたちはみなその名前を口にして集まってくるのだ。

これは、そんな、地域を愛し地域に愛されるローカルヒーローを受け継いだ一人の青年の物語……(ドラクエのBGMが流れる)


僕は、2年前の4月に大学生になった。地元長崎から上京して始めたひとり暮らし。ホームシック、だんだん億劫になる家事、隣人の騒音。ひとり暮らしを始めた大学生が経験する災難をあらかたやり過ごしたあとで、僕は入るサークルを決めた。

ビジネス×まちづくりサークル Pro-K。地方出身の僕は『まちづくり』の言葉に惹かれて、商店街協同チームのミーティングに参加した。

最初のミーティングでは、知らないことが難しい言葉で話し合われていて、「先輩たち頭良さそうだなー」くらいのことしか考えていなかったが、ある単語が出てきた時、脳内スイッチがONに切り替わった。

「次は、やほレンジャーについてですが…」

やほレンジャー…!!

噂には聞いていたが、本当に学生がレンジャーをやっているのか。サークル紹介冊子に載っていたレンジャーのポーズは目も当てられないほどダサかったが、小学校の発表会でピンクレンジャーを熱演した僕はその活動に興味を持たざるをえなかった。

やほレンジャーポーズ

やほレンジャーのオリジナルポーズ

そのとき話し合われていたのはやほレンジャーの出張について。近くの保育園からやほレンジャーに来園してほしいという依頼があり、その依頼を受けるかどうかが議題だった。議論の焦点はその依頼が無償だということだったが、新入生という立場でありながら「やほレンジャーという活動はお金をもらうためにやっているのですか?」と挑発的な発言をした当時の僕はどういう神経をしていたのだろうか。ともかくその日のミーティングでは保育園の依頼を受けることに決まった。


数ヶ月後、大学生活やサークルの活動にも慣れてきたころ、いよいよ保育園に出張する日がやってきた。その日予定が空いていた男子が3人ぴったりだったため、僕もレンジャーをやることになった。

設定では、レンジャーの中身は二橋大学(架空の大学)に通う男子大学生である。

保育園までの道のり。期待と不安で胸がいっぱいの僕に先輩がつまらない冗談を話してくれた気がするが、話の内容を全く覚えていないのはきっと緊張のせいだろう。

保育園に到着するとそこにはたくさんの子ども、子ども、子ども、親、子ども……おやおや?(親だけに。)

そこには走り回るちっちゃな子どもたちだけでなく、その子たちのお母さんお父さんも来園していた。どうやら親御さんも参加する保育園の夏祭りイベントのようだ。

いや、こんなに親御さんがいるなんて聞いてない。子どもたちならまだしも、大人の人にまであの鷹の爪ポーズを見せなければならないなんて、そんなの耐えられない。

とはいえ、ここまで来たなら致し方ない。僕は腹をくくり、更衣室へ入った。やほレンジャーの衣装はボロボロで、タイツのチャック部分が壊れていた。あらかじめ用意していた安全ピンでとめつつ、装備をつけていく。最後にマスクをかぶったら、僕はもうやほレンジャーだ。


更衣室の扉を開け、子どもたちの遊ぶグラウンドに出る。マスクの小さい穴から見える景色は普段の視界より狭く暗い。上手くできなかったらどうしよう。不安な気持ちがふっと湧いた。

その時一人の男の子が僕の姿にあっと目を見開き、「やほレンジャーだ!」と叫んだ。その声につられて周りの子どもたちや大人の人たちもこっちを振り向く。とたんに僕の周りは目をキラキラと輝かせた子どもたちでいっぱいになった。

そこからはあっという間の時間だった。子どもたちと一緒にたくさん話し、たくさん遊び、写真撮影をした。追いかけっこではどちらが鬼なのかわからず、追いかけていると思ったら、急に襲われたり。じゃれあっていた男の子のグーパンチがみぞおちにヒットし、意識が飛びそうになったり。やほレンジャーの武器”ほうれんソード”がべこべこに折られたり。

それはもう大変だった。大変だったけど、とても楽しかった。

あいわ保育園_レンジャー_モザイク加工


たくさん遊んだらすぐに終わりの時間がきた。「やほレンジャー待ってー」と言う子どもたちとタッチをしながら、更衣室に戻る。マスクを脱いだとたんにどっと疲れがきた。気持ちのいい疲れだった。

帰りにはたくさんお礼を言われた。保育園の先生方と親御さんの言葉や視線が温かった。レンジャーの衣装を脱いだ僕らは、子どもたちにとっては何の興味もわかないものらしく、僕らが帰るころには子どもたちはまた別の遊びをしていた。


正直、最初に大学生のサークルがローカルヒーローをやっていると聞いたときは、どうせ学生のお遊びなんだろうなと思っていた。だけど、そうじゃなかった。

やほレンジャーという存在は偉大だ。谷保地域の多くの子どもたちがその名前を知っている。その姿を見ただけで、子どもたちは目を輝かせて話しかけ、大人の人たちもその様子に微笑む。

先輩方が築いてきた信頼と知名度は、何ものにも代えがたい価値となって、今この谷保に在る。


僕はその日から、やほレンジャーをちょっぴり好きに、そして誇らしく思うようになった。

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