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インスタ創業と成長を描いた「インスタグラム:野望の果ての真実」

今回は、今ちまたでかなり話題な本について。

Instagramは、今現在も自分が最もアクティブに使っててお世話になってるアプリのひとつで、遡ってみたら高校3年生から使い始めてほぼ9年が経っていました。9年経った今もなおiPhoneのホーム画面では常にスタメン。今や画面下に配置してる四天王の一角。はい、インスタ中毒です。

いち利用者としてお世話になってるだけでなく、C向けプロダクト企画の仕事をしてるので、その洗練されたUX設計とミニマルなデザインは何度も参考にしてきました。そんなインスタの創業本となったら読むしかない。ワクワク!と思って読んでみたら、内容は ”華やかなスタートアップ創業物語” とうよりは、生々しい社内政治ふくめたリアリティ溢れる裏話、という感じでした。

記者の緻密な取材をもとに、主に創業者のケビン・シストロムに焦点を当てて話が進んでいきます。インスタ創業、初期のPMF、Facebookによる買収、TwitterやSnapchatとの競争、ザッカーバーグとの確執、各機能のリリースに至るまでの議論、転換点となったマーケティング施策、SNSによって社会に生まれた害悪、などなど、様々なトピックが詰まっためちゃくちゃ読み応えのある一冊です。考え方が参考になる部分も多く、特にC向けプロダクトに携わる人には必読じゃないかなと思う良書でした。

個人的な見所は以下2つでした。
1.) 動画の投稿機能、複数写真の同時投稿機能、もともと正方形をルールとしてた写真サイズの自由化、そして大ヒットしたストーリーズ機能など、各機能のリリースに至るまでの思考と議論。創業者の哲学がそれらに色濃く反映されている点。
2.) Facebook本体やザッカーバーグとの組織文化・思想の違い、そしてそれに悩まされるインスタ創業者2人の葛藤。(ちょっと気になったのは、ザッカーバーグがめちゃめちゃ嫌な奴として描かれていた点。本書自体、かなりインスタ創業者2人の視点に偏った描かれ方をしてる気がしました。)

以下、本書から抜粋・コメントしておきます。

その少し前、エンジニアとしてオデオに入社したジャック・ドーシーは、夏中、となりに 22 歳のインターンが座ると聞いて気がめいっていた。ドーシー( 29 歳)はニューヨーク大学中退。アナキストっぽいタトゥーにリング形の鼻ピアスと一風変わったいでたちで、アーティストを自任していた。

序盤から驚いたのは、シストロムの学生時代の話にレジェンドが登場しまくるところ。スタンフォード在学中にインターン先として勤務してたOdeoで隣に座ってたのがジャック・ドーシー。Twitterの考案者で創業者で現社長。ここでの繋がりがきっかけで、後にドーシーはTwitterで得たキャピタルゲインを元手にInstagramにエンジェル投資することになる。

「写真には可能性があると思いました」とシストロムは言う。当時彼が持っていたiPhone3Gではたいした写真など撮れなかったが、この技術はこれから発展していくはずだ。「カメラを持ち歩かず、スマホだけ持ち歩く──そういう日がそのうち来ると思ったのです」  スマートフォンさえあれば、だれでもアマチュアカメラマンになれる、そんな日が来るというのだ。 

スマホカメラの高度化を予見して写真をベースとしたSNSを考える。

このアプリをバーブン以上に魅力的だと思ってくれる人がいるかどうか、クリーガーもシストロムも計りかねていた。新しいところなど、特にないと言えばないのだ。写真用フィルターもすでにあったし、興味関心をもとにつながれるソーシャルネットワークもすでにあった。特徴と言えば、雰囲気を大事にしたことと、技術の追求よりシンプルにすることを優先したことだろう。

インスタ発表時も、似たようなアプリは他に沢山あったらしい。(バーブンンはインスタの一個前に取り組んでたアプリ)

シリコンバレーの投資家はいままでにない画期的なものを求めるが、ふたりはほかのアプリですでにやられていることを磨きあげるほうを選んだ。徹底的にシンプルでさっと処理できるようにした。そうすることでユーザーの負担を小さくし、インスタグラムでとらえて欲しい体験に集中できるようにした。
製品そのものもさることながら、他社の強みをうまく活用したのも大きい。アマゾンのクラウドコンピューティングも早くに活用した。ツイッターに写真を投稿するなら、インスタグラム経由が一番簡単という状態にもなった。

インスタ開発の初期段階から創業者2人の思想がプロダクト開発に強く反映されていた。とにかくシンプルで洗練された状態にすること。他社の強みを活用すること。インスタで撮った写真をTwitterで簡単にシェアできる機能(そういえば昔そんなのあったなあ...)は、最初期のインスタにとって強力な新規ユーザー獲得チャネルとなった。

著名人で最初に使い始めたのは、ラッパーのスヌープ・ドッグだった。初投稿は、スーツでコルト 45 の缶を手にした写真にフィルター加工を施したもの。ツイッターにも流したので、彼のフォロワー、250万人に拡散されたことになる。

Snoop Doggは本当にすごいw  最近だと自身のNFTを販売するなど、いつの時代も最先端をいってるw

シストロムはグーグルで働いていたことがあるが、あそこは、アイビーリーグの大学で工学や科学の博士号を取っていればまずまちがいなく歓迎される場所で、試験をくり返して最適化していく学究的な雰囲気がある。立ち上げ期のツイッターは無政府主義者や社会のはみ出し者などが集まる場で、言論の自由や反体制的な雰囲気が大事にされていた。対してインスタグラムは、美術や音楽、サーフィンなど、技術以外にも興味関心のある人材を求めていた。

テック各社のカルチャーを端的に表してる一説。

インスタグラムもリシェアボタンの試作はしたのだが、結局、一般公開には踏み切らなかった。インスタグラムでだれかをフォローするのは、その人が見たもの、経験したこと、創り出したものなどを自分も見たいと思うからだ。どこの馬の骨かもわからない人の経験ではなく。だが、ソーシャルネットワークとバイラル性は表裏一体のものとして語られる世の中でこのような考え方は珍しく、後々までくり返し説明しなければならなかった。 

創業者の思想がプロダクトに強く反映されてることがわかる、個人的にかなり好きな一説。リシェア機能に関するこの意思決定は今まで続いていて、インスタが、Twitterのような混沌とした空間とは違った、神聖な場所、芸術的な空間というブランディングを維持できた原点な気がする。

フェイスブックの一部になるのなら、インスタグラムは弱小スタートアップではなく、手ごわい競争相手として考えるべきだとツイッターは考えた。夏ごろには、ツイッターのフォローリストを使ってインスタグラムで友だちを探そうとすると、エラーが返ってくるようになったのはそのせいだ。ツイッターが改修され、インスタグラムからのアクセスを拒否するようになったのだ。

インスタがFacebookに買収されたあと、Twitterはインスタの機能的な支援を断ち切った。

シストロムとしても、タグ付けは優先的に開発したい機能だったが、フェイスブックと違い、もっと微妙なやり方にしたいと考えていた。シストロムもクリーガーも、タグ付けされたユーザーにメールを送るのはやめたい、いや、できることならメールは一切使わずにすませたいと考えていたのだ。短期的には利用が増えるかもしれないが長期的にコミュニティの信頼を失うおそれがあることはしたくない、と。

数値・成長至上主義のFacebookと対比する形で、シストロムの強い美意識とユーザーの信頼を重んじる姿勢が、本書では何度も描かれていた。

会社を立ち上げたときと同じように、バーバリーやレクサスなど一緒に歩んでくれるパートナーを一本釣りで集めたし、広告そのものもシストロム自身が一つひとつ承認した。だれでも好き勝手な広告を出せるようにしたのでは、せっかく築いたインスタグラムのブランドに傷が付きかねないから。
広告は1日1社にかぎる。特例は認めない。広告原稿は全部印刷し、シストロムが確認して、これはいい、これはだめと振り分ける。

インスタが初めて広告を導入したときの話。やりすぎではwとも思うが、それほどトップがインスタのブランド維持に強くコミットしてたのが、今のインスタを形成してるんだなと感じた。

2015年後半、インスタの必要性は下がっていた。投稿が短時間で消えるスナップチャットが登場し、リアルな自分やおバカな自分はそちらでさらせばよくなったからだ。朝起きた、学校の近くをうろついた、たいくつした、友だちとだべったなど、インスタグラムに投稿できるレベルになりにくい日々の出来事は、スナップチャットのストーリーに投稿すればいい。 あるティーンは、インスタグラムはマイスペースと同じ道をたどるだろうと表現した

インスタの普及が進んだあとに訪れた脅威が、Snapchatの大流行。自分が大学生の時、日本でも学生の間でスナチャが流行りはじめたのを覚えてる。

シストロムは 「ストーリー機能を入れるつもりは一切ない。入れるべきじゃない。いや、入れちゃいけない。インスタグラムユーザーの使い方に合わない」とにべ もない。スナップチャットとインスタグラムはまるで違う、我々は我々らしいやり方を考えなければならないというわけだ。「インスタグラムは、食べかけのサンドイッチを投稿するような場じゃない」、なんでもありのスナップチャットとは違うのだと、シストロムは、社内に発破をかけた。

クリーガーもシストロムも、ようやく納得した。以前なら編集室の床に捨てていたコンテンツを投稿する場ができたわけだ。それも投稿できるようにしなければ、そういう人たちはいなくなってしまうかもしれない。 分かれ道に立っているんだなとシストロムは思った。こうあるべきという自分の考えを貫き、いままでと同じ道を歩くべきか、それとも、思い切って違う方に賭けるべきか。 選んだのは、賭けるほうだった。

当初は何度も説得しにくる部下を頑なに拒んでいたが、ある出来事をきっかけに考えを改めてストーリー機能の開発を決断をする。たぶんインスタの歴史の中で最も効果の大きかった英断。
2016年夏、自分が大学4年の頃、ストーリーがリリースされた日を今でもはっきり覚えてる。初めて撮ったストーリーは渋谷スクランブル交差点だった。その日から誰もがインスタでストーリーを載せるようになって、ほんの数日で周りでスナチャを使う人がいなくなった。本当に一瞬だった... 恐ろしい話...

インスタグラムには、真四角な写真しか投稿できなかった。だが、広告の写真は、フェイスブックなど、ほかのウェブサイトでも使えるように、横長に撮るのがふつうだ。 真四角な写真は、インスタグラムへの投稿を念頭に、iPhoneにそういう写真を撮る機能が用意されたほどの特徴だ。それを変えるとは、すなわち、インスタグラムそのものを根底から変えることを意味する。インスタグラムがインスタグラムでなくなってしまう。シストロムとクリーガーも、収益は上げたいが、だからと言って、原点を忘れ、広告世界に膝を屈してしまったら、インスタグラムらしさが失われてしまうと考えていた。 解決の道筋を示したのは、プロダクトマネージャーのユキである。広告主だけでなく、ユーザーも真四角という制約を問題だと考えているかもしれない。(中略)
クリーガーは、サンフランシスコへ戻るシャトルバスに揺られつつ、2000枚の写真をランダムに選び、確認してみた。すると、なんと、 20%ものユーザーが白や黒の帯で写真の形を調整していた。ユキは正しかったのだ。  古参社員のなかには、写真を長方形にするなどもってのほかだと声高に言う人もいた。だから、ユキは、シストロムを説得する方法をいろいろと用意したが、その必要はなかった。スタジアムを埋めるくらい人がいたとして、「どうして変えてくれないんだ」と全員が言っているのであれば、それは、ここにこだわっている我々のほうがまちがっているということだろうと返ってきたのだ。

この一説がかなり好き。ユーザーの創意工夫によってサービスが意図しない使われ方をされるケースはよくある話。それに気づかず運営側のエゴを押し付けるのは悪。ユーザーをよく観察して、寄り添いながらプロダクトを磨いていくことが大事。(それが難しい)

その瞬間、わかってしまった。 これまでインスタグラムがしてきたことは報われないんだ、と。 2番目に大きいソーシャルネットワークを育てたのに……。ニュースフィード広告以来、初と言える収益源を作ったのに……。若者やセレブの注目を集める一助となったのに……。世界の文化を進化発展させたのに……。  前進に必要な支援は提供されないんだ。

ザッカーバーグは、その夏、成長部門統括のハビオ・オリバーンに対し、インスタグラムを支援している機能を洗い出し、全部切るようにと命じた。 シストロムは、成功すれば罰を与えられるんだという思いを深くした。 インスタグラムをダウンロードしませんか、友達もいますよという広告を無料でフェイスブックのニュースフィードに出していたが、それもできないことになった。

2017年以降、Facebook本体やザッカーバーグから増員人数を大幅制限されたり、機能連携を削除されるなど、酷い仕打ちを受けていた。本書によると、インスタの成長がFacebookの減退を進めているというデータが見て取れたから、だとか、急成長ぶりを見たザッカーバーグが嫉妬したかのような描かれ方をしているが、真相はどうなのか...

とまあ、分厚い本でして、読み終わった後はなんだかひとつノンフィクションのドラマを見終わったような感覚でした。ローマは一日にして成らず、じゃないですけど、あのインスタも裏ではこんな葛藤と競争と重い意思決定を繰り返して今に至るんだな、としみじみ思うなどしました。


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