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社会のしくみを学んでいく読書

本を読む前の話

社会がどうなっているか知りたいという単純な欲求を個人的に持っている。社会を理解できたとしても、ぼくの行動はほとんど変わらないかもしれないが、社会を知らないと、判断できない問題がたくさんあることに最近になってようやく気づいた。

気づいたきっかけは、コロナ禍で安倍首相が全国の小学校の休校を宣言し、親たちから反発の声が上がったときだ。なるほど、小学校のことは小学生だけの問題ではなく、親たちの問題でもあるのだ。ある人々からすればあまりにも当然のことに、子供のいないぼくは想像が及ばなかった。

小学生には親がいて、親は働いていることが多い。もし小学校が休校になったら、親は会社を休まないといけない。つまり、単純に小学校だけを見て、「よしじゃあ、一斉に休校!」と指示を出してはダメだということだ。小学生の背後にいる親たちの状況まで見えていないといけない。ちなみに、「小学生の親」の中には看護師として働いている人もいて、休校になったから病院に行けない、という本末転倒なニュースもあった。

ぼくたちは日々適当に政治家に対して「ああしろこうしろ」と言い、それは自由に言うべきなのだとは思うが、「こうしろ」という意見を聞き入れた政治家がそれをやった場合、どのような結果が次々と連鎖していくかまでを予測している人はあまり多くはないような気がする。結果の連鎖反応を知るためには、社会がどのように成り立っているかを知る必要がある。どのようにというと膨大な感じがするが、どことどこが関係しているかを把握できるだけでもかなり良い。「小学校」と「親」は関係している。「親」は「職場」と関係している、というように…。うむ。

ここから本の話

コロナウイルスによる混乱で風俗に美人がやってくるみたいなことを言った芸能人がいて、その件はもう過ぎ去ったことなのだが、それを聞いて、なるほど「性産業」と「貧困」は関係があるのかと思って、以前、『性風俗のいびつな現場』(ちくま新書)という本を読んだ(前回のnote)。その続きで、今度は貧困についての本を読んだ。もし貧困と別の何かの関連がわかれば、自分が貧困に陥ることを回避できる確率が高まるし、もし陥っても抜け出せるかもしれないという打算的な気持ちもあった。「知は力なり」である。

知が力にならないとき?

知は力なりと言っておいてなんだけど、貧困関連の本を読んでいて、「知が力にならないケース」があることに気づいた。「知」は確かに力にはなるものの、「1段引きあげてくれるだけの知」と「2段引きあげてくれる知」とか、バリエーションがある。また、「1回だけ助けてくれるだけの知」と「継続的に助けてくれる知」という持続性の側面もある。段階と回数。

小説『神様は待っている』(畑野智美/文藝春秋)には、そのことをよく感じられるエピソードが書いてあった。主人公の女性は仕事を失ってネットカフェで暮らすようになるのだが、そこで同じようにネットカフェで暮らす女性と出会う。その女性が主人公に授ける「知」は、確かに一瞬の間だけ主人公を救う。でもその救済には持続性がない。

ルポ『東京貧困女子。』(中村淳彦/東洋経済新報社)という本には、非正規雇用で働く図書館司書の女性が紹介されている。公共機関の仕事でも非正規で給料の安い仕事があるということに驚く。最低賃金並みの給与で、真面目に働いても貧困から抜け出せない「官製ワーキングプア」という呼び方があるそうだ。
その女性が貧困から抜け出すために、「学芸員の資格を取るための勉強」をしていたのがとても印象に残っている。学芸員についてはぼくはあまりわかっていないが、どうやら学芸員も司書に似て、公共機関からの評価は低く、賃金の上昇が見込めない。貧困から抜け出すというための行動としては適していないという。

これに似たようなことは、自分でもしばしばやっていると思う。司書の女性をどうこう言うことはできない。目の前の問題を解決しようとするとき、いま自分が知っている範囲の中で最善のものを選ぼうとする。でも自分にとっては「最善に見える解決策」も、客観的に見れば「愚策」だったり「無意味」だったりする可能性はある。その可能性について考慮しなければ、いつまでも「がんばってるのになぜかうまくいかない」の状況から抜け出せない。そこでがんばって得た知は、1度も自分を救済してくれないのである。悲しい。

力になる知?

ではどのようにして、「その知が力になるかどうか」を見抜けるんだろうか?とても難しい問題だけど、漫画『賭博黙示録カイジ』にヒントがあった。
そういえばこの漫画も、貧困が題材になっている。物語は主人公のカイジが、知人の借金の保証人になっていたために、返しきれない借金を背負ってしまうところからはじまる。カイジはその借金を返すためにギャンブルに挑んでいく。この漫画に出てくるギャンブルは既存のゲームではなく、それぞれが独特のルールを持っているため、読者もカイジと同じようにルールを学びながら、勝ち方を考えていく必要がある。最初のルール説明では言及されていないグレーゾーンも多い。
で、この漫画から学べるヒントは、ルールを吟味した上で、理屈で一歩一歩考えを進めていくと、限りなく成功確率を高めることができるということだ。でもほとんどの人間は考えつづけることができない。ちょっと先が不透明になって見えなくなると、もうあとは「運」に賭けてしまう。さらに、もし失敗しても「そこまで悪いことにはならないのでは」という甘えた考えを採用していく。

歴史を紐解くと、「甘え」は日本人特有の思考パターンな可能性はあるみたいだけど、どこまで理を追っていけるかはがんばってみたいと思う。いやそれ以上に大事なことは、ルールを知ることのほうだ。カイジはギャンブルに強いのに、実生活では全くのダメ人間として描かれている。社会のルールとギャンブルのルールは全く違うものだから、ギャンブルに強くても、社会で強者になれるとは限らない。理屈で考える癖があっても、社会のルールを知らずに社会に飛び込めば、うまくいかないのは当然だ。ルールを知らないときに他人の言うことを鵜呑みにすると、幸運なら大丈夫だけど、不運なら落ちていく。

話はそれるけど、「カイジ」は1996年から連載が始まった。日本経済が低迷しはじめるときに、人気がどんどん高まっていった。だからその中で描かれている考え方は、自己責任論にも通ずるものがある。何もしない人は落ちていく。甘えているだけの人も落ちていく。「カイジ」が教えてくれるのは、自分がどう生きていくかであって、社会をどうしたら良いかではない。

社会がどうあるべきかについては、全体を見れる力がないのでなんともいえないのだが、セーフティネットが至るところにあると少なくとも安心はできる。車を運転していて事故を起こしたとしても、運転手の安全を守るためにシートベルトやエアバッグはあるが、社会にもそういう仕組みが必要なのだと、貧困についての本を読むと思う。

さて、社会のルールを知るべきだと上に書いた。でもそれはどうやったら知ることができるのか?と、ここで最初に書いた問題に戻る。社会はひとつのゲームに比べて複雑なので、ルールを知るのは容易ではない。だからこそ本を読み続けているんだけど、社会のしくみを知るためには、ひとつの分野にだけ精通してもわからない。分野同士の関係を見ていくことが重要だと思う。

貧困で苦しんでいる人だけを見ても貧困は解決できない。貧困に苦しむ人がいるのは、社会が貧困を生むしくみになっているからでもある。具体的に何が貧困を生んでいるのか?
生活保護を受給することに罪悪感を覚える人が日本には多くいる。それは「勤労の義務」が憲法に刻まれていることとも関係する。働いているのになぜか貧困になるワーキングプアも多い。それは最低賃金がとても低いことが要因で、それは経営の問題とも結びついている。

そのあたりのことも別の本で学んだので、またいつかnoteを書くかもしれないし、書かないかもしれない。


(本の紹介)

貧困女子が主人公の小説。今回のnoteでは触れなかったけど、主人公がある人を「助ける」シーンが印象的だった。

貧困女子へのインタビュー。様々な貧困の形があることに気づく。病気で貧困に陥るケース、介護離職で貧困に陥るケースなど。

カイジ 。果てしなく面白い。すごく良い。絵も良い。「理」が通っていればOKの世界は、とてもフェアな世界なのではと感じさせる。

勤労について言及されている本。勤労は高度成長を支える原動力。勤労は所得減税で労われ、郵便貯金が公共投資に回される。戦後日本で「小さな政府」が形成されていく過程が確か書いてある(すでにうろおぼえ)。

最低賃金と貧困の関係。日本の経営者層への批判がいろいろと書いてある。

(追記11/1)
読書の秋2020にエントリしておいて、該当作品がないばかりか、エントリしていない版元の本ばかりを紹介してしまいました。もしここまで読んでくださった方がいたらすみません。でも一冊の感想を書く楽しみだけでなく、一冊一冊を関連づけながら読んでいくような読書ももっと浸透したら良いなと思っています。





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