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冷静になると文章を書けなくなる

むかしから文章をつらつらボツボツと書いているが、ばばっと書ける時と全然書けない時がある。いま思いついただけだけど、スラスラ書けるときは怒りに身を任せて書いている。
「むかつくわ〜」と思うことを書いているとスラスラつらつらと書けるのだが、冷静になってしまうと「これを書く意味は?」とか「これを私が言う権利は?」とか「論理的になってますか?」とか考え始めて、「意味はありません」や「権利もありません」「論理的でもありません」という結論に達して書けなくなるし、あとから思い直して消したりする。消すなら最初から書かなければ良いのだが、アホなので書く瞬間は気づけない。


何年か前にある人から「ヤギさんはもっと怒りを出していったほうが良いと思います」と言われたことがある。そのときは戸惑って「もっとって、そもそもぼく怒りを出してますかね?」と聞いて、「はい」とだけ答えられて終わった。短い会話だった。

今更思い返してみると、「怒りに身を任せてどんどん発言しろ」という意味だったのかもしれない。真意はわからないままだけど、冷静になると何もできなくなってしまうので、冷静になるなという意味にもとれる。何もできない自分を捨てるためなら感情的になっても良いのではないかというアドバイスだったような気もする。まあたぶん、言った本人は忘れてしまっているだろうけど…。

最近は冷静を通り越して、発言してもなんの意味もないむしろ害なのでは…と思いながら過ごしており、書いたものをすべて消して一から出直したいと思うこともあるが、たまに「ヤギさんの文章読んでます」という優しい人がいるので、優しさに身を委ねて消さないでいる。

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先日読んでいた本に、日本では「多様性を大事に」とよく言われているが、実際の就職活動では多様性よりも従順性のほうが重視される、というようなことが書いてあった。企業が何を求めているかを学生たちは察していると。タテマエでは多様性を重視すると言っていても、結局は従順に言いなりになってやれる人を求めていることを学生たちはわかっている。就活生がみな同じような格好だと揶揄されることはあるが、企業が多様性を求めていないなら当然の結果である。

Twitterやこういうところで自分の意見を書いても「意味なし。むしろ害」と思ってしまうのは、こういう風潮にも原因があるかもしれない。多くの人が匿名でものを言うのは、意見を言うことの「害」を敏感に察しているからだろう。ここでいう「害」とは、目に見える形で攻撃されることではなく、「こいつ面倒くさいわ」と思われて、ささ〜っと人が離れていってしまうことのことだ。当然ながら採用もない。
冷静になれればその害に気づけるはずだけど、ぼくは今までその害には気づかずにのほほんと過ごしてきてしまった。その結果、こうして今日も駄文を書き散らしてしまう。冷静なんだかなんだかわからない文章である。

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