人の想像力はいつ壁にぶち当たるのか
1対1で会っているときのあなたはどこ…
ぼくはフリーランスとして働いていて、組織に属していないのだが、組織の中で人がどう動くかは興味がある。組織というか、集団を形成したときに、人の行動が変わるところに興味がある。
1対1で話すとまじめな話ができる人も、5人や6人で集まって話すと話す内容が変わる。8人10人と人が増えていくとそれはより顕著で、まじめな話は大抵ナリをひそめ、場を盛り上げるような話題が増えていく。大勢いる場合は、まじめな話よりも場の雰囲気がワイワイしていることが重要なのである。これはテレビで見るバラエティがまじめな話を嫌うのと似ている。
想像力の限界はどこ…
ここ数ヶ月くらい、想像力についてぼちぼち考えている(先日もnoteに書いた)。
「想像力の限界(*1)」がどういうところにあるのかがわかれば、何かを考えたり行動したりするときの落とし穴がどこにあるか気づきやすくなるはずである。
先日ゲストで呼んでもらったpodcast(*2)でもちょっと話したことだけど、コロナの感染拡大を防ぐために2020年3月上旬に総理大臣が休校要請を出したとき、どのような影響が出るのかをぼくは想像できなかった。ただ単に、やりすぎなのではないか、と思っただけだった。
だから「子供を持つ親は仕事を休む必要がある」というツイートや、「子供を持つ看護師が、休校によって病院に出勤できなくなった」というニュースを見たときに驚いた。このときの驚きがあって、そうか自分には想像力が欠けているのだと気づき、「総理じゃなくてよかった〜」と安堵したのである(総理だったら休校要請出してないけど…)。
コロコロと態度を変えるサイコロ…
人間は社会の中で生きているので、どういう場所にいるかによって、その人の態度や行動が変わってくる。だから誰かのことを良く知っているような気がしても、それは気のせいであり、本当にその人のすべてを知っていることにはならない。知っているのは自分がその人と会っているときのその人だけであって、自分と会っていないときのその人がどう振る舞うかはわからない。その結果、「良い人だと思ってました」と評価を受ける人が、殺人事件を起こしたりする。
人には多面性があり、場に応じて態度をコロコロと変えることができる。サイコロみたいに。
そしてこれが重要なのだが、社会とは、そのサイコロが無数に存在しているような状況なのである。自分のことを考えるときはサイコロ1つのことだけを考えていれば良い。6面のサイコロなら6通り。非常にシンプルなのだが、2人いるとお互いの組み合わせは36通(?)。これが1億人だと、何通りになるかぼくには計算できない(よろしくお願いします)。
同じ会社にいる人間は、同じようなサイコロの形をしている可能性が高い。東京の都心に住んでいていつも同じニュースサイトを見て同じドラマを見て同じようなごはんを食べていると、思考が偏っていく。だからサイコロが似ていて、「うちらいつも同じ目が出るね!」と意気投合していく。でも違う場所に住んでいて、違うものを見ていると、サイコロの形も出る目も全く異なる。何を考えてるか全然わからない。
企業だとサイコロの目の管理が楽ちんである。「サイコロは6が出るような仕事をしてください」といえばそれで済むからだ。それで「1」しか出ない社員は評価を下げ、最悪クビになるだけである。
しかし国家がそれを同じように、「サイコロの目は6でお願いします」と言ったとしても、「6」を出せないサイコロの人がいたりして大抵はもめる。「6」でお願いしますと言ったときに、まさかサイコロ6面じゃない人がいるのかぁということに気づく。
唐突に結論…
無数の人間の行動をそろえるのは果てしなく難しく、そろえないのは楽である。想像力は、無数の人間のことを考えるときに壁にぶちあたる。
みんなが自分と同じような人間だと思っていると大抵の場合、間違えるだろう。
(注釈)
(*1)ずっと前に書いていたブログに「想像力の限界」という項目があります。暇な方のみご覧ください。何も得るものはありません。
http://blog.livedoor.jp/dog_memo/archives/51307113.html
(*2)ストーリーエディター栃尾江美さん(通称とっちーさん)のやっている『クリエイティブの反対語』という番組です。今回は全4回分話していますが下のリンクは1回目。話すの難しいです。下手すぎてツライです。
podcastのリンク
http://emitochio.net/hantaigo-208/
podcast文字起こし版
http://emitochio.net/yomupod-208/#more-3521
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