第九章 反抗者の帰還②
目次とあらすじ
前回:反抗者の帰還①
ユナヘルが処刑人を焼き殺したあとに動いたのは、木の台座の下で警備をしていた兵士だった。
氷の槍と岩の礫が高速で飛翔するが、ろくに魔力が込められていないことが分かる。
ユナヘルは竜の魔法具を持っていない左手で軽く払い、粉々に砕いた。
兵士二人の驚く顔が見える。
同時に、ユナヘルは右手の魔法具をひょいとひねり、右側から来た奇襲を受け止めた。
兵士の一人が放った鋭い風の刃は、竜の牙によってかき消される。
どん、と衝撃が走った。
ユナヘルの胸の中心に、暗闇のように黒い刀剣が突き立った。
それはユナヘルの足元の影の中から生まれ、まっすぐ伸びていた。
暗闇を操る<影法師>の魔法だ。
ユナヘルの青い瞳が、群集の向こうで魔法を放ったヴィトスを捉えた。
魔法の黒剣が砕けた。
ユナヘルの胸元は、いつの間にか真紅の鱗で覆われていたのだ。
ウルド国最強の兵士であるヴィトスの魔法が通用しなかったことを知った兵士たちは、一旦攻撃を止めた。
自分と対等に戦える者がこの場にはいないことが、ユナヘルにはもう分かっていた。
竜の魔法具は圧倒的だ。
比べ物にならない。
全ての兵士が同時に襲ってきても、負ける気がしない。
だが、細かな調節が難しいという問題もあった。
この場をすべて吹き飛ばすことは容易いが、敵も群集も、背後で跪いたままのメィレ姫も、なにもかもを巻き込んでしまうだろう。
ウルドの民たちは、蜘蛛の子を散らすように広場から逃げている。
「貴様! 何者だ!」
デュリオが近衛兵であるジェズの後ろでわめき散らしている。
ジェズは魔法によって鉱石の鎧に覆われていた。
「メィレ姫を助けに来ました」
「なにぃ?」
「メィレ姫を害する者は、全て自分の敵です」
叫んだわけでも無いのに、逃げ惑う群集の悲鳴を押しのけ、ユナヘルの声は広場中に響いた。
「何をふざけたことを!」デュリオ王子が甲高い声で叫ぶ。「ヴィトス! 早くこいつをやれ! 何をしている!」
ヴィトスは動かない。
ユナヘルを見るその目には、深い絶望がある。
「その女は国を売った大罪人だぞ!」デュリオはでっぷりと膨れた腹を揺らして言った。「なぜ庇う!」
ユナヘルには、周到に準備された大義名分を覆すだけの用意はない。
全てが偽装だということは誰しもが分かりきっているが、それを証明することは、今のユナヘルには出来ないのだ。
ここにはフリードもいない。
メィレ姫派の領主たちは全て、デュリオに従うほかない。
だが、そんなことがなんだというのだろう。
まだ銘の無い竜の魔法具は、まるで自分の体の延長であるような気がした。
ユナヘルは肩の力を抜き、王子に向き直って言った。
「征服します」
「……は、はぁ?」
「今からこの国を、僕のものにします」
ユナヘルの足元の影が膨れ上がる。
飛び出したヴィトスが黒い剣を突き出した。
ユナヘルは鱗に覆われた魔法具を盾にしてそれを防いだ。
竜の魔法具は巨大であるにもかかわらず、ユナヘルはまるで小枝でも振り回すように操って見せた。
「戯言を!」ヴィトスの背から烏の翼が生え、剣の圧力が増した。「分かっているのか! 王子を降せばフェブシリアは敵に回る! 北にはデフリクトもいる! そのことが――」
「じゃあ、全部滅ぼします」
竜の魔法具が、炎を纏った。
ヴィトスは羽ばたいて宙に浮き上がり、ユナヘルから距離を取った。
「デフリクトも、フェブシリアも、全部」
見境無く全方位へ攻撃してはならない。
すぐ傍にはメィレ姫がいるのだ。
ユナヘルはそのことだけを考えた。
無数の強大な干渉を感じる。
広場にいる全ての兵士たちから、ユナヘルの持つ魔法具に向けて、「手」が伸ばされていた。
だがそれは、ユナヘルに苛立ちの感情を与える以外に、何の影響も及ぼせなかった。
ユナヘルは眼前に向かって魔法具を振るった。
膨れ上がった火は鎌首をもたげる蛇の動きで立ち上ると、王都の外壁さえも越えるほどの高さまで昇り、広場の者たちを見下ろした。
炎は横へも広がっていった。
現れたのは、燃え盛る分厚い炎の壁だ。
その動きは、決壊する堤防を想起させた。
火で出来た壁は、現れたときと同様、突然に崩れ、圧倒的な速さでユナヘルの眼前の兵士たちを呑んでいった。
ごうごうと燃え盛る音に、兵士たちの悲鳴がかき消されていく。
中には魔法具の力で抵抗を試みた者もいたが、あえなく火に巻かれその場に倒れた。
逃げる民衆の背中に熱波が届く前に、ユナヘルは炎の壁を消した。
残ったのは強風だけだ。
これで兵士たちは実力差を理解しただろう。
焼け死んだ兵士の中には、第五階梯に到達した者もいた。
生き残った者たちの中には、魔法具を捨てる姿がちらほらあった。
それでも戦おうとする者は、よっぽどの馬鹿か、使命に燃える者か、あるいは――。
「まだやりますか?」
ユナヘルは、空高くに飛び上がることで熱波を回避したヴィトスを見た。
黒い翼を生やしたその男は、自国の兵士たちの惨憺たる有様を見下ろし、近衛の後ろで震え上がる王子を見た。
距離があったが、ユナヘルにはヴィトスの表情が良く見えた。
彼は疲れたように、苦々しく笑っている。
「やめろヴィトス!」地上から、セイフェアが叫んだ。「無理だ! 勝てっこない!」
ヴィトスの魔法具から、暗闇が炸裂した。
夜が訪れた。
何も見えず、聞こえず、地面の上に立っているのかさえ分からなくなる。
暗黒の世界に、魂だけで漂っているよう。
死んだときに見る光景に良く似ていると、ユナヘルは思った。
何の焦燥も感じない。
魔法具を持つ右手から熱が伝わり、唐突に暗闇が晴れた。
五感を取り戻したユナヘルは、目の前に高速で迫ってきていた巨大な黒い剣を見た。
セドナの大森林に生えていた大樹のような大きさだ。
魔法具を振るい、降って来た剣を弾き飛ばす。
金属と金属を激しく打ち付けたときのような甲高い音がして、魔法の剣が黒い粒子となって消え去った。
ヴィトスの驚く顔を見た。
いまさら、あの程度の呪いが効くものか。
ヴィトスが次の魔法を使おうとする気配を感知した。
影の中へ逃げる気だ。
灼くのは空だけ。
ユナヘルはそう唱えて、魔法具を頭上へ掲げた。
魔力が膨れ上がり、瞬時に形を成す。
魔法具から竜の咆哮が轟き、王都の上空の全てが、青白い陽炎によって覆いつくされた。
ユナヘルの制御によって、地上にいる者に一切の熱は感じられなかったはずだ。
地上の兵士たちは、まるで白昼夢でも見ているかのような呆然とした顔で、空を見上げていた。
空間の揺らめきはすぐに収まり、ユナヘルが魔法具を下ろすと、ぱらぱらと何かが降って来た。
それは、ウルド国最強の兵士の、僅かに燃え残った灰と、溶融した魔法具の欠片だった。
民たちの悲鳴は遠くに聞こえる。
広場には、声を発する者も、動く者もいない。
魔法具を持っている者は、ユナヘルを除き、誰一人としていなかった。
デュリオ王子の近衛でさえ、武装を解除している。
「お、おい!」王子の声がむなしく響いた。「おまえたち、なにをやってる!」
ユナヘルは再び王子を見た。
絢爛豪華な服に包まれた王子の肩が、びくりと震えた。
この王子に出来ることは、もう何一つとして残っていない。
ユナヘルは長大な魔法具を引きずりながら、そこで初めてメィレ姫に向かって振り返った。
――そうして、ようやく異常に気付いた。
姫はぐったりとしていて、断頭のための木の台に頭を預けて跪いたまま、動こうとしない。
最初は疲れているだけなのかと思ったが、どうにも様子が違う。
何をしたのかと王子に問おうとして、ユナヘルは動きを止めた。
かつて、やり直しの力で王都の情報を収集していたころに見た、処刑台の上のメィレ姫の様子を思い出す。
ここまで衰弱していなかったはずだ。
ユナヘルは、メィレ姫の戒めを解き、抱き上げた。
赤い鱗の翼は大きく羽ばたき、ユナヘルは先ほど焼き尽くした空へ飛び上がった。
次回:反抗者の帰還③
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?