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第九章 反抗者の帰還①

目次とあらすじ
前回:第八章 蛇の娘③


「ウルドの民よ! メィレ・リードルファ・ウルド姫は、デフリクトと通じ、己の保身のために国土を切り売りしようとしていた! 民草の住まう我らの国土をだ!」

 木で組まれた台座の上には、文官がウルドの民に向かって声を張っていた。

 兵士たちは民を監視するように取り囲み、不審な動きをする者がいれば即座に魔法で制圧する構えを見せていた。

 文官の言葉を聞いた群集がいちいち悲鳴を上げるのを、ヴィトス・ゾームは広場の外から眺めていた。

 デュリオからは民衆の前に出てくれと頼まれていたが、これだけ兵士が揃っているのだ。自分ひとりが出なくても大丈夫だろうと考えていた。

 今日も雲ひとつ無い晴天だった。

 太陽は真上にある。

 文官の言葉は続いている。

 この話が終われば、ウルドの民の前で、メィレ姫の首が落ち、奪還作戦の生き残りたちも処刑される。

 豪奢な椅子にデュリオ王子が腰掛け、薄ら笑いを浮かべているのが見えて、ヴィトスは嫌悪感から目をそらした。

 ヴィトスは、デュリオは王の器ではないと感じていた。

 人の弱みに付け込むのが得意な、狡い小悪党に過ぎない。

「憂鬱な顔だね」

 背後から歩いてきたのは、セイフェアだった。

 女性にしては体格が立派過ぎるが、兵士として考えるならば何の問題もない。

「馬鹿め。憂鬱に決まっている」ヴィトスはうめくように言った。「あの顔を見ろ。つぶれかけのゴブリンの方がまだマシだ」

「言うねぇ」セイフェアはけらけらと笑った。「そんなに嫌なら、姫につけばよかったのに。あんたがあっち側にいれば、こんなことにはならなかったでしょ」

「……これが時代の流れだ」

 器で考えれば、たしかに姫の方が王にふさわしい。

 だがデュリオの後ろにはフェブシリア国がいる。

 デフリクト国が戦いの激化を避けているのは、フェブシリアがウルドの味方をしているからだと、多くの領主は知っている。

 デュリオを王にすることで、フェブシリアとの結束が高まることは間違いない。

 初めから、姫に勝ち目はなかったのだ。

 だが、その後はどうだ。

 この哀れな王子は傀儡となっていることにも気付かず、この地から採掘される封印結晶や、貴重な魔法具をフェブシリアへ流していくだろう。

 何が正しいのかは分からない。

「俺は、兵士としての務めを果たすだけだ」

「あんたも色々大変だね」

「……そんなことより、偵察はちゃんと行っているんだろうな?」

「大丈夫だって」

 セイフェアの手には、かつてオルコットが握っていた魔法具<霊峰の哨戒者>がある。

 監視の魔法を得意としており、熟達者ならば山の向こうまで見通すことができるという。

「使いこなせているのか?」

「なに、あたしに言ってるの?」

「分かっている。ただ――」

「ヴィトス」

 セイフェアは会話を遮った。

 その両目は閉じられている。

 魔法具へ意識を向けているのだろう。

「何かが接近してくる。なんっ、なんだこれ……」

「『何か』? どの方角だ? いつ着く?」

 ヴィトスは各外門に配備した戦力を思い浮かべた。

 どれだけの戦力がどれだけの速さで来ようと、もはや処刑を止めるには遅すぎる。

 セイフェアの返答の声が、群集の悲鳴にかき消される。

 文官の話が佳境に入ったのだ。

 文官の言葉に広場がしんと静まり返り、その隙にヴィトスは再び聞いた。

「すまん、もう一度――」

「――空からだ! 今! 来る!」



「この正義の執行に異議を唱える者はいるか! いるならば――」

 文官は言葉を最後まで言えなかった。

 風を切る音がしたと思ったら、脳天から股下に向かって、真っ二つに分断されたからだ。

 木の台座の一部が砕け、破片が飛び散る。

 文官は断末魔の悲鳴も上げられず、二つの肉塊となり、演説時の表情のまま倒れた。

 誰も動けない。

 木の台座の上に、空から突如何かが降り立ち、文官が両断された。

 それを見た全ての人間は、目の前で起こっている事実を理解する前に、現れた人物の異様さに瞠目した。

 その人物は、一見すると少年だった。

 短く刈り揃えられた茶色の髪と、低い身長。

 身に着けているものは泥や血に汚れ、ところどころ焦げ付いている。

 顔立ちは幼く、年は十二やそこらに思えるが、その使命を帯びた表情と、人の心を見通すかのような青い瞳のせいか、見る者にはその少年が見た目以上に年を取っている印象を与えた。

 その背中には、真っ赤な鱗に包まれた巨大な竜の翼が生えていた。

 それだけではない。

 見れば、少年の体のところどころに、翼と同色の細かな鱗が生えている。

 集まった群衆の中には、少年の姿を見て「竜の亜人」――そんな亜人がいるなど聞いたことも無いが――ではないかと考える者もいた。

 だがなによりも人々の目を引いたのは、少年の手に握られている異形の武器だった。

 少年の背の翼と同様に真っ赤な鱗で覆われているそれが何の武器なのか、正確に分かる者はいなかった。

 だが柄らしき部分と刀身らしき部分があることから、かろうじて片刃の大剣では無いかと想像できた。

 幅広く、長大で、切っ先から柄までを含めれば容易に大人の身長を超えている。

 ほっそりとした柄の先には、一つ一つが短剣のような大きさの爪や牙がずらりと生えていた。

 刀身の半ばほどから、鱗を突き破るようにして太く長い捩れた角が二本伸びており、それがそのまま剣の切っ先となっていた。

 竜が無理矢理に剣としての形状を保とうとしている。

 見る者はそんな印象を受けた。

 そして間近にいた者は気付いた。

 その武器が、絶えず鼓動していることに。

 この恐ろしい武器は生きているのだ。

 少年の手にあるそれが魔法具であると一目で看破出来た者はほとんどいなかった。

 名だたる高階梯の兵士でさえ、その異様さに思考を奪われ、呆けたまま少年の姿を見ていた。

 真っ先に動いたのは、少年の真後ろにいた、

 大柄な処刑人だった。

 まるで恐怖に突き動かされたような、鬼気迫る動きだった。

 断頭斧を振りかぶり、少年に後ろから迫る。

 少年はゆっくりと振り返り、剣を持っていないほうの手を突き出し、大男の大上段からの斧を正面から受け止めた。

 衝撃で少年の足元がさらに砕けた。

 さきほどの着地で亀裂が入っていたところへの追い討ちにより、木製の台座の寿命は尽きかけていた。

 処刑人は渾身の一撃を止められたことに焦り、斧を引こうとしたが、出来なかった。

 少年は、鋭く磨かれた鋼鉄の斧の刃を受け止め、そして握り潰していた。

 馬鹿な、という処刑人の言葉は、音にならない。

 少年が気楽な様子で息を吸うと、口腔の中で火が揺らめき、直後爆炎が吐き出された。

 処刑人は首から上を燃え上がらせ、叫び声を上げることも出来ず、炎に巻かれて倒れた。

 それを契機に、処刑台から少しでも離れようと群集は大混乱に陥った。

「殺せ!」

 デュリオ王子が椅子から立ち上がり叫んだ。

 近衛兵のジェズ・バルディーンが慌てたようにデュリオ王子の前に出た。

「反逆者だ! 兵士ども! そのガキを殺せ!」

 凍り付いていた時が動き出す。


次回:反抗者の帰還②

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