第四章 訓練の終わり③

目次とあらすじ
前回:訓練の終わり②


 スヴェは安い寝台の上で身を起こし、即座に戦闘態勢に入った。

 室内は真っ暗だったが、異常はないことがスヴェには分かった

 異常事態が起きているのは室外――宿から遠く離れた王宮のあたりだ。

 大規模な攻撃魔法が使われている。

 一体、王都で今何が起こっているのか。

 外に出て状況を調べるべきかもしれなかったが、わざわざ面倒ごとに巻き込まれることもないだろう。

 どのみち朝になれば王都を発つつもりだった。

 朝を待って王都を出よう。

 スヴェはそう考えて、何が起きても動けるように身支度を済ませた。

 しばらくすると、宿の近くまで戦いの波が近付いていることが分かった。

 騒ぎに気付いたのか、他の部屋の客が目を覚ます様子が分かった。

 スヴェは、所持している魔法具の一つ、<月影>に意識を向けた。

 スヴェの腰に差されているそれは、美しい刀身を持つ短剣で、握り手と刀身の境は金色の毛皮で覆われている。

 スヴェほどの実力になると、魔法具を手に取る必要は無く、傍にあるだけで魔法を使えるようになる。

 もちろん、魔法具との距離は近ければ近いほど良いし、強敵と戦うときは実際に手で持つこともある。

 「無手」で魔法具を扱うときは、今のように簡単な魔法を使いたいときだけだ。

 相手の魔法に干渉する技術もこの応用だ。

 相手が持つ魔法具に意識を向け、自分が「所有者」であると魔法具に教え込み、支配権を奪う。

 そうすれば相手の魔法具から放たれる魔法は害を成さなくなる。

 火を放つ魔法具で術者が火傷をしないのと同じことだ。

 無論、高等技術であり、誰にでも出来ることではない。

 封じられている妖狐フーシェンの力が身に宿り、元々鋭敏だった感覚が更に研ぎ澄まされた。

 宿に近付いてくるのは三人。

 魔法具を持つ二人が、一人を追い回している。

 逃げているのは、歩幅から考えてまだ子供のようだ。

 紙一重で攻撃を避けているが、運よく当たっていないというだけだ。

 追手が手練れだというのはすぐに分かる。

 放っておけば時を待たずして殺される。

 悩んだのは一瞬で、スヴェは部屋を飛び出していた。

 これを見逃して、胸を張って村へ帰ることなど出来ない。

 スヴェの脳裏には、愛しい妹の姿があった。



 魔法具使い同士での戦いは、魔法具の熟練度によって決まる。

 いかに強力な魔法具を持っていても使いこなせなければ意味が無いし、逆に貧弱な魔物が封じられた魔法具だったとしても十全に力を引き出せればそれなりに戦える。

 ウルドの兵士は強敵だった。

 各国を巡り、様々な戦いを繰り広げてきたスヴェには、その強さが良く分かった。

 なにより、魔法の発動を直前まで完璧に隠していることが兵士の熟練度を示していた。

 それでもスヴェの敵ではない。

 たった一人で魔物領を駆け巡り、凶悪な魔物たちを相手に戦い抜い続けたスヴェは、ウルドの兵士以上の力を備えていた。

「怪我は無い?」

 スヴェは動かなくなった兵士を見下ろしながら少年に言った。

「はい」少年は落ち着いた声で答えた。「ありがとうございます」

「きみたち同じウルドの兵士だよね。どうして仲間同士で――」スヴェは言葉を切った。「見られてるね。魔法で監視されてる。私はもう街から出るけど、きみはどうする?」

「連れてってもらえますか?」

「……いいよ」スヴェは違和感を感じながらも言った。「ちょっと待ってて」

 スヴェは宿の中へ駆け戻り、旅の荷物を取って少年の下へ戻った。



 それからスヴェは、少年を連れて王都を出た。

 王都の周りに広がる平原を走り続け、北にある小さな森の中に入り、<月影>の魔法を解いた。

 <月影>が肉体強化の魔法に特化しているわけではないこともあり、自分だけならまだしも、もう一人余計に魔法をかけた状態を維持するのは苦しい。

 少し休憩する必要があった。

 森の中を歩きながら、スヴェは少年から事情を聞いた。

 王都で何が起こっていたのか、何故兵士同士で殺し合っていたのか。

 実に淀みなく、過不足無く説明するその少年の様子に、スヴェは異様さを感じていた。

 命を狙われ、殺されかけた直後だというのに、こうも冷静でいられるものだろうか。

 スヴェは表情に出さないように気をつけながら、少年の動向を注視していた。

 少年は鍛え上げられた刃のようだった。

 その小さな体と幼い顔立ちに似合わず、幾千もの戦いを潜り抜けてきたかのような雰囲気がある。

 少年からは、目に見えない「手」が伸ばされていた。

 それはスヴェの魔法具を探るように漂い、常に様子を伺っている。

 これからのことについて話をしながら、スヴェは決して少年の前を歩かず、横に並んで森を進んでいた。

 スヴェが「私は自分の村に帰る」と言うと、少年は「村に帰るまでで良いから、魔法具の使い方を教えて欲しい」と言った。

 スヴェは足を止めて距離を取った。

「誰が、誰に、何だって?」

「――え?」

 少年は初めて年相応の顔をした。

 言われたことが理解できないと、少年の表情はそう語っていた。

 スヴェはもう止まらなかった。

「あのとき、なんで自分でやらなかったの?」スヴェは眉をひそめて言った。「きみほどの実力なら、あれくらいの兵士、わけないでしょ」

 この少年がその気になれば、相手の魔法具の「支配権」を奪い、反撃することすらも可能だったはずだ。

 どうしてそれをしなかった?

 どうして自分に助けを求めてきた?

 どうして、そんな、裏切られたような顔をする?

「それ以上近付かないで」

 スヴェは腰から<捩れ骨>を抜き、螺旋状の刀身の切っ先を少年へ向けた。

 懐の<銀鏡>による緊急避難も視野に入れる。

 こちらの魔法具に働きかけてくる気配があれば、人間なら一呼吸も持たず絶命する毒の魔法を直接体内へ叩き込むつもりだった。

 少年の腰にある魔法具からはいまだ何の魔法の気配もしない。

 だがスヴェは警戒を解かなかった。

 この少年とは、正面からまともにやりあって無傷で済ませる自信がなかった。

 少年は何かを言おうとしているのか、口を数度開閉し、そしてゆっくりと頭を下げた。

「助けてくれてありがとう」

 少年はくるりと反転すると、スヴェに背を向け走り出した。

 まるで、スヴェから逃げ出すかのようだった。



 王都の路地裏はいつも通りだった。

 石畳の冷たさも、通り抜ける風の現実感の無さも、何もかも変わらない。

 ユナヘルは足を止めた。

 胸が痛いほど鼓動している。

 「このユナヘル」は、王宮からここまで走り続けていたからだ。

 何度やり直しても貧弱な体は変わらない。

 ユナヘルは忌々しさに歯噛みした。

「お、諦めたみたいだぜ」兵士二人は、ユナヘルの姿を認めて足を止めた。

 やり直しを続け、魔物たちと戦い続け、変化したのは中身だ。

 ベロートが<雲切り箒>を振り上げる。

 魔法具に封じられたグリフォンの魔力が瞬き、風を切る音と共に不可視の刃が生成される。

 ユナヘルには、その様子が手に取るように分かった。

 何もかも遅い。

 実際に戦ったグリフォンはもっと速く、静かだった。

 へたくそ。

 ユナヘルは声も無く呟いて、<雲切り箒>に干渉する。

 まるで鍵のかかっていない扉を開く気分だった。

 収束していた風が、何の抵抗も無く即座に霧散した。

 ベロートは間抜けな顔をしていた。

 驚くほど上手くいったが、増長する感情を即座に否定する。

 スヴェならもっと上手くやるだろう。

 自分はまだまだだ。

 フォグンが状況に気付き、戦慄した表情で魔法具を構え、距離を取ろうとする。

 ユナヘルは腰の<篝火>に意識を向けた。

 凝縮された炎を想像する。

 大きくなくていい。

 一粒の砂程度の火の塊を、ユナヘルは二人の兵士に向かって発射する。

 ぱん、と乾いた音がして、フォグンとベロートの頭がはじけた。

 細かな肉片になった頭部は、その破片を周囲へ撒き散らした。

 糸が切れた人形のように、頭を失った二人の男がその場に倒れた。

 ユナヘルは二つの死体に近付き、<尖塔>と<雲切り箒>を奪い取った。

 封じられた魔物の魂を強く感じる。

 だが駄目だった。

 自分で造った魔法具でないと、本当の力は発揮できない。

 これから戦おうとしているのは、小手先でどうにかなる相手ではないのだ。

 やはり魔法具を造るために、一度王都を離れなければならない。

 ユナヘルは王都にある封印士の店の場所を思い浮かべた。

 回り道をして、封印具をいくつかくすねていく必要がある。

 封印具が無ければ魔物の封印は出来ない。

 一瞬、スヴェのことを思い浮かべたが、首を振って頭の中から追い出した。

 スヴェのあんな顔、見たくなかった。

 旅が楽しくて、引き際を見誤ってしまったのだ。

 考えてみれば当たり前のことだ。

 相当の実力を持った人間が近付いてきて、魔法具の使い方を教えてくれ、だなんて。

 ユナヘルは少しの間、別の切り口でスヴェに接近する方法を考えた。

 自分の実力に見合う設定はなにか、いっそ正直に話をするか……。

 だがユナヘルはそうしなかった。

 苦笑して、今のくだらない思考を打ち切った。

 スヴェとの旅は終わったのだ。


次回:第五章 紅蓮竜①

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