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第五章 紅蓮竜①

目次とあらすじ
第四章 訓練の終わり③


 灰色の空を、数十頭のワイバーンたちが飛び回っている。

 翼の生えた蛇のような姿をしたそれらは、縄張りに迷い込んだ獲物を目ざとく見つけた。

 ワイバーンたちは上空から急降下して火と風の魔法を一斉に放った。

 全てを焼き尽くす灼熱の火球と、大岩でさえも巻き上げてしまうような暴風。

 それらは空を覆いつくし、地面を歩く人間――ユナヘルに向かって降り注いでいた。

 ユナヘルは、左の肩に担いでいた身の丈を超える幅広の大剣、<灰塵>を頭上に掲げた。

 キュクロプスを封じたこの魔法具は、全体が灰色で、キュクロプスの硬くごつごつした肌を想起させる質感をしていた。

 刀身の両側面についた灰色の金属の刃は、切れ味という言葉を知らないかのように鈍磨だった。

 刀身の先端に至っては刃すらなく、そのため遠目から見ると長方形の金属の板に柄が生えているようだった。

 何より目立つのは、片方の刀身の背にある巨大な割れ目――「目蓋」だった。

 ばっくりと目蓋が開き、その下から巨大な瞳が現れた。

 大剣の目が頭上を一睨みすると、ワイバーンたちが放った魔法たちは、煙を振り払うようにあっさりとかき消されてしまった。

 ユナヘルはそのまま、右手の魔法具を頭上へ掲げた。

 ユナヘルの身長よりも長いその槍、<空渡り>は、エンリルという魔物が封じられている。

 ほっそりした直刃と、長い柄があるだけで、飾りも何も無い簡素なものだったが、全体が淡い光を放っており、それがただの槍でない事を示していた。

 槍の穂先から、白く輝く稲妻が溢れた。

 大気が震え、爆音が轟く。

 その様子はまるで大樹が大空へ向かって幹を伸ばすかのようで、槍の先端から枝分かれした稲妻が、数十頭からなるワイバーンの群れの一体一体へ、自ら意思を持つように向かっていった。

 避けることも出来ず、全身を焼き焦がして絶命した魔物たちは、黒煙に巻かれながら落下してきた。

 ユナヘルはその見慣れた光景を視界の端に入れ、墜落するワイバーンに巻き込まれないよう、その場を後にした。



 ここは、「紅蓮竜の山」と呼ばれる魔物領だ。

 ウルド国の北端にあり、非常に広大で、世界中を見渡してみても随一の凶悪さを誇る魔物たちがひしめき合っている。

 山に踏み込んだ者はことごとく帰らず、過去に百人からなる兵団が侵入したことがあったが、生きて戻ったのは数名だったという。

 そのためどんな魔物がいるのか、ほとんど調査が進んでいない。

 この魔物領にはその名の通り、竜が生息していると言われている。

 竜種と戦った者はいない。

 伝説にのみ存在が語り継がれており、その姿を実際に見たものはいないのだ。

 実際に紅蓮竜の山を歩き回ったユナヘルは、所詮は伝説だと諦めるようになった。



「竜は実在します。今は姿を隠しているだけ」

 いつだったか。

 ユナヘルはメィレ姫と交わした会話を思い出した。

 フリードの居室で本を読んでいたとき、メィレ姫が現れ、魔物の話をしたのだ。

 ユナヘルはがちがちに緊張していてろくに話も出来なかったが、メィレ姫はそんなユナヘルをからかっては嬉しそうに笑っていた。

「『ウルドの伝説』ですか?」

「ええ」メィレ姫はにっこり笑った。

 五百年前――ウルド国という名前は無く、力を持った族長が各々で自分たちの地を支配していたころ、この地に竜が現れた。

 恐ろしい力を持つその魔物は、人を食らい、亜人を食らい、全てを焼き尽くしたという。

 竜を倒したのは、リードルファ家が手に入れた<ウルド>と呼ばれる魔法具だ。

 その後は<ウルド>は象徴として崇められ、そのまま国の名前となった。

 現在ではその力を実際に見たものはおらず、せいぜい王位継承の儀式のときに持ち出されるくらいだった。

 国の信心深い年寄りなどは朝に夕にと熱心に崇め奉っているようだが、ユナヘルのような年代の若者で、その力を心から信じている者は少ない。

「竜を倒したのは<ウルド>の力だと言われていますが、決してそれだけではないのです。争い合っていた氏族が結集し、一致団結して立ち向かったからこそ、私たちの先祖は竜を打倒することが出来ました」

「そうなのですか?」

 一般に知れ渡っている「ウルドの伝説」は、リードルファ家の活躍が描かれているだけで、そのような話は知らなかった。

「もっと聞きたいですか?」

 そのときのメィレ姫は笑みを浮かべてそう言った。

 ユナヘルは、勢いよく頷いたことを良く覚えていた。



 ユナヘルの背後には天高くそびえる山々がある。

 山頂付近は雲に隠され、白い雪に覆われていた。

 この山の向こうはデフリクト国である。

 木々が少なく、ごつごつした岩肌ばかりが目立つ山だった。

 地面は所々暖かく、湯気が吹き出ているところもあり、時折大きく揺れる。

 そのたびにユナヘルは周囲を警戒していたが、今ではもう慣れてしまった。

 大地の下には迷路のような空洞がいくつもあり、地を這う魔物はそこに住み着いているようだった。

 まだ昼だというのに、空は薄暗く常に灰色で面白くも無いが、下界を見下ろせば、これまで移動してきた土地が見渡せた。

 スヴェと旅をした魔物領や訪れた亜人種の村などはどのあたりだろうかなどと考えながら、ユナヘルは山を降りていた。

 メィレ姫奪還のために、この魔物領で手に入れなければならない魔法具は、全て手に入れた。

 次の行き先は決まっている。

 ユナヘルは慣れた道を進んでいった。


次回:紅蓮竜②

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