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第五章 紅蓮竜②

目次とあらすじ
前回:紅蓮竜①


 ラグラエル・バスタブーラは、三階にある自室の窓から、自分の領地を眺めていた。

 広大な麦畑の向こうには、緩衝区の森がある。

 王都の西に位置するこの地には、比較的魔物領が多い傾向にある。

 ノックの音がして返事をすると、部下の一人が入ってきた。

「お帰りになりました」

「そうか」ラグラエルは深い溜息をついた。

 ラグラエルはメィレ姫派の有力者だったが、フリード・パルトリの「失踪」を契機に、デュリオ王子派の軍門に下った領主の一人だった。

 デュリオ王子派は寝返ったものたちへの警戒を怠らず、不穏な動きをすればすぐにでも罪を捏造するつもりであることは明白だった。

 今も、王都からの監察官の対応をしていたところだった。

「彼らがなにかに気付いた様子はあったか?」

「分かりかねます」部下は首を振った。「申し訳ありません」

「いや、いや、いいんだ。下がってくれ」

 部下が退出し、ラグラエルは一人書斎机の椅子に座った。

 考えなければならないことは数多くある。

 決断しなければならないことも。

 メィレ姫は直に処刑される。

 時間は残されていない。

 思考は迷路のように渦巻いて、彼の顔に深いしわを刻んだ。

 風が吹き、ラグラエルの白髪を撫でた。

 窓は閉まっていたはずだ、と顔を上げると、身の丈に合わない魔法具を両手に持つ、見知らぬ少年が立っていた。

「突然の無礼をお許しください」

 少年は頭を深く下げた。

 窓は開いており、カーテンが風に揺れていた。

 ラグラエルは驚きの声を上げる余裕も無かった。

 少年の身なりは薄汚れており、何日も旅をしてきたことが分かる。

「まず、第一に、私はメィレ姫の味方です」少年はそう言った。「あなたと同じように」

 ラグラエルの脳裏をよぎったのは、つい最近起こった奪還作戦の失敗のことだった。

 あれは結局、デュリオ王子派の手引きによる不穏分子の排除が目的だった。

 ラグラエルが咄嗟に否定の言葉を口にしようとしたが、少年が手で制した。

「私は、この館の地下室にフリード様が匿われてることも知っています」

「なっ!」ラグラエルは立ち上がった。「なにを……」

「冷静に考えてください。もしも私が王子派の人間だったなら、あなたを罠にはめようなどとは考えません。あの監視官に、フリード様の居場所を伝えるだけでいいのですから」

 混乱の嵐の只中にあったが、ラグラエルは必死に頭を回した。

 この少年は何者か。

 一体どこから情報が漏れたのか。

 そうだ、まず知らなければならないのは、相手の目的だ。

 ラグラエルがそれを質問しようとしたまさにそのとき、少年は口を開いた。

「私の目的は、メィレ姫の救出です。そしてそのためには、フリード様のお力が必要なのです」



 ラグラエルは、ユナヘルと名乗った少年を、秘密の地下室に案内した。

 壁にかけられた油灯の明かりが、四方を囲む石の壁に、濃い影を作っている。

 その場にいた使用人はユナヘルの姿に困惑していたが、ラグラエルに言われて地下室をあとにした。

 寝台に横たわっているのは、筋骨隆々の大男――フリード・パルトリだった。

 長く伸びた濃い茶色の髪にはやや白髪が混じり、露出した太い二本の腕はところどころに傷が見え、その男の歴史を物語っていた。

 フリードの顔は青白く、まるで蝋のようだった。

 耳を澄ませば、僅かに呼吸音が聞こえる。

 ラグラエルの部下は、魔物領でフリードを見つけた。

 助け出されたときには瀕死の状態で、王子派の罠から逃げてきたということだった。

 その後フリードはすぐに意識を失ってしまい、ラグラエルは的確な行動を取れずにいたのだった。

「複数の呪いがかけられている」ラグラエルは疲れた声を出した。「おそらく第五階梯の魔法具使いによる攻撃を受けたのだ。外傷はないが、意識が戻らない。我々も手を尽くしたが、どうすることもできなかった」

 解呪のための魔法具も、解呪に特化した技術を持つ魔法具使いももちろん存在するが、どちらも王都にあり、ラグラエルの手中にはない。

 手に入れようにも、デュリオ王子派に気付かれずに動くことは難しかった。

 王族を処刑しようとするような連中だ。

 大事にされるまえに、全てひねり潰されてもおかしくないのだ。

「私も分かっている。フリード様さえ健在なら、他のメィレ姫派の領主たちを説き伏せることは可能だと。だが――」

「大丈夫です。私が呪いを解きます」

 そういうと、ユナヘルは両手の魔法具を脇に置き、懐から<白猫の尾>を取り出した。

 真っ白な毛に覆われたその小さな魔法具は、猫の尾をそのまま切り出したような形をしていた。

 それはまさにラグラエルが求めていた魔法具だった。

「待て。君は解呪について分かっているのか?」ラグラエルはユナヘルの肩を掴んだ。「もしも失敗すれば、死んでしまうかもしれない。今はフリード様本人の干渉力で耐えているようなものだ。それを――」

「大丈夫です」

 ユナヘルは二の句を告げさせない迫力で言った。

 ラグラエルはたじろいだ。

 この自信に満ちた態度は、一体どういうことだろう。

 自分が失敗するなどとは一切考えていない顔だ。

 ユナヘルはゆっくりとした動きで、フリードの体の上へ魔法具をかざした。

 音はない。

 匂いも、派手な動きもない。

 ラグラエル自身、魔法具についての知識はあるが実技の能力は無く、ユナヘルが具体的にどのようにフリードの呪いに働きかけているのか分からなかった。

 やがてユナヘルは魔法具を下ろし、大きくため息をついた。

 額にはじっとりと汗があった。

「終わりました」

「えっ?」

 ラグラエルはフリードを見た。

 目に見えて顔色が良くなっている。

 素人目にも解呪が成功したことは明らかだった。

 ラグラエルは震え上がった。

「数刻で目を覚まします。あとは通常の治癒の魔法をかけてください」

「君は……」

「ラグラエル様は、メィレ姫の処刑を望みますか?」

「馬鹿な!」ラグラエルの声が地下室にこだました。「そのようなこと、誰が望むものか!」

「私に従ってください」ユナヘルは一切のよどみなく言った。「メィレ姫のために出来ることは、それだけです」



 長い「やり直し」の時間の中で、ユナヘルがフリードを見つけたのは、決して偶然ではなかった。

 王都の攻略は難航した。

 自分の実力が上がっても、やはり一人では限界があったのだ。

 自分以外の戦力が必要だと考えたユナヘルは、協力者を探すことにした。

 可能な限りでメィレ姫派の領主がいる各地を巡り、協力者を募ったが、誰もユナヘルの言葉では動いてはくれなかった。

 無理もない話だ。

 いくら強力な魔法具を持っていったとしても、「やり直し」の力を証明したとしても、所詮ユナヘルは見習い兵士に過ぎないのだから。

 半ば諦めながらも、ユナヘルは次々と巡り、とある領主――ラグラエルの治める領地にたどり着いたとき、奇妙なことに気付いた。

 デュリオ王子派の監視の目が、異常に多かったのだ。

 魔物領や、緩衝区、町中まで、数多くの兵士が何かを嗅ぎ回っている。

 これまでメィレ姫からデュリオ王子派に寝返った領主たちの領地も見てきたが、ラグラエルの領地だけ明らかに異常だった。

 ユナヘルはすぐに気付いた。

 フリード・パルトリが最後に調べていたという魔物領は、ラグラエルの領地の近くではなかったか、と。

 そしてユナヘルは、フリードがまだ生きており、デュリオ王子派の者はそれを探しているのだと推測した。

 あとは簡単だった。

 ラグラエルの館まで行き、適当に決め付けてかまをかけ、かくまわれていたフリードと面会することが出来た。

 解呪についても、それほど問題にはならなかった。

 全ては練習であり、同時に本番でもあったのだ。

 ユナヘルは、フリードの屍の山を築き上げることで、解呪についての技能を獲得した。

 解呪に失敗し、フリードが死ぬたびに、ユナヘルは自らやり直しをした。

 自分が何をしても、どんなひどい失敗をしても、どんな恐ろしい間違いをしても、死にさえすれば何もかも消えて無かったことになって、また王都で走り回る夜が始まる。

 今見ている全てが、陽炎のように歪むような感覚を覚えた。

 この世界は何もかもが嘘っぱち。

 その考えがよぎったとき、冷たいものがユナヘルの背筋を通り抜け、胸の中を気持ちの悪いむかつきが蠢いた。

 それ以上このことについて考えてはいけない気がした。

 このままでは自分が何か全く別の生き物になってしまうような、恐ろしい予感があったのだ。

 もう二度と同じことはやりたくないと、ユナヘルは強く思った。



 死ぬたびに王都から脱出し、魔法具を手に入れ、フリードの元へ行く。

 そして復活したフリードによって、メィレ姫派の領主たちに声がかけられ、戦力が整う。

 監察官の動きも、ユナヘルは全て把握していた。

 王都へ情報が漏らされないよう、ユナヘルはその都度適切に処置していった。

 王都では、正面切って戦ったとき、どうしても分の悪い相手がいた。

 その中でも特に恐ろしいのが、ヴィトス・ゾームという男だった。

 シノームル王の近衛兵を務めていた経験があり、ウルド国最強の兵士と呼ばれて名高い。

 スヴェと同等か、それ以上の強さがあることは間違いなかった。

 だがフリードのおかげで戦力を整えることが出来たため、全てを一人で相手にする必要はなくなった。

 これは非常に重要だった。

 王都の攻略が順調に進行していくにつれ、ユナヘルはスヴェのことを考えるようになった。

 ここまでこれたのも、全てスヴェのおかげだ。

 ユナヘルは、メィレ姫を無事に助け出すことができたら、スヴェに会いに行こうと考えていた。

 そして、スヴェに話すのだ。

 実は、僕は何度も時間を繰り返していて、君と何度も会っていて、そして何度も話したことがある。

 君は覚えていないけど……。

 その場面を想像して、ユナヘルは怯えた。

 怪しまれ、不審な目を向けられるだろう。

 だがそれでも、礼を言いたかったのだ。

 紅蓮竜の山で必要となる魔法具を手に入れ、フリードが匿われているラグラエルの領地まで向かうとき、ユナヘルはいつも異なる道を通るようにしていた。

 魔法具の力によって高速で移動できるため、どのような道を通ってもほとんど到着時間が変わらず、少しくらいの遠回りなら特に問題はなかった。

 ユナヘルはスヴェの村を探していた。

 以前したスヴェとの会話で、ユナヘルはスヴェの故郷の位置をある程度予想していた。

 ユナヘルは、スヴェの無表情な顔が見たくて仕方なかったのだ。

 メィレ姫を助けるために使うと誓った力を、私欲を満たすために使っている。 小さな罪悪感はユナヘルを苛んだが、それでも止めることは出来なかった。



 後に、ユナヘルは振り返ることになる。

 それを見つけてしまったのは確かに偶然だったが、何度も何度も、気が遠くなるほど同じ時を繰り返していた自分にとって、避けられぬ必然だったのだと。


次回:紅蓮竜③

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