第三章 双頭の獣①
目次とあらすじ
前回:第二章 救いの手④
なだらかな丘は、朝もやで包まれていた。
太陽はまだ低い。
ひりつくような寒さがあり、周囲には馬の足音だけが聞こえる。
メィレ姫を脱獄させようとした強襲作戦から一夜明け、ティレスタムは御者台に乗って馬の手綱を取っていた。
目指す先は王都を出て丘を一つ越えたところにある共同墓地だ。
馬が引くのは屋根の無い荷台。
乱雑に並べられた麻袋の中身は、ほとんどが低階梯の兵士と、見習い兵士だった。
車輪が道の凹凸に合わせて跳ね上がり、そのたびに麻袋が揺れ、その存在を主張した。
「ちっ、なんだって俺がこんな仕事を……」
ティレスタムはぼやきながら、馬の手綱を振るった。
五体満足な死体は少なかった。
足が無かったり腕が無かったり、腕や足だけになってしまったものもあった。
当然と言えば当然だ。
高階梯の兵士たちの強力無比な魔法が直撃したのだから。
ティレスタムは外套の襟を立てながら、前方で先行しているはずの死体運びの任を受けた同僚の馬車を探したが、朝もやに邪魔されて確認できなかった。
荷台の上の死体が跳ねる。
「馬鹿な奴らだ」
ティレスタムの大きな独り言は反響しなかった。
死体袋に詰められているのはつい昨日まで生きていた同僚だったが、ティレスタムには同情も哀れみも無かった。
ティレスタムは中級貴族の嫡男であり、家長である父親は、貴族階級を優遇するデュリオ王子に心酔していた。
ゆえにメィレ姫に対しては敵対心のみがあり、そのメィレ姫を崇め奉っている人間にも嫌悪感があった。
今回の強襲作戦がデュリオ王子派の手引きで行われた「不穏分子の一斉処分」ということも、実家からの連絡で事前に知らされていたことだった。
有志を募り、自分たちの手でメィレ姫を救い出そうと息巻いている連中が、「警備が薄くなる」などという偽の情報に踊らされている様を見るのは、滑稽で仕方なかった。
荷台の上の死体が跳ねる。
「馬鹿な奴らだ」
ティレスタムは、先ほどよりも大きな声で言った。
生き残りは少ない。
今回の強襲作戦に参加したのは低階梯の兵士と見習い兵士が大半だが、僅かながら第三階梯以上の兵士の姿もあったという。
そのほとんどがこうして葬儀もされずに共同墓地へ埋められる。
殺さずに生け捕りにした者もいるという話だが、メィレ姫の処刑にあわせて処分されることが決まっている。
メィレ姫を助け出そうという、あの使命に燃える目を思い出し、ティレスタムは嫌悪感を思い出した。
「馬鹿な奴ら――」
死体が跳ね起きた。
荷台の上で立ち上がった死体袋が、背後に迫っている。
ティレスタムは息を呑んだ。
「そのまま走らせてください」
若い男の声だ。
少年と言ってもいい。
子供のような相手と分かり、即座に恐怖が引いていく。
どこかで聞いたことがある声だ。
腰にある魔法具へ手を伸ばそうとした瞬間、首筋に冷たいものを押し当てられた。
刃物だ。
「何のつもりだ! 何をしているのか分かっているのか!」
相手は子供だ。
何が目的かは知らないが、腰の魔法具さえ手に取れば――。
首筋から刃物が離れた。
と思いきや、左耳の付け根に切り込みが入り、焼きつくような痛みが走った。
「ぎゃあっ!」ティレスタムは、いまや耳たぶだけで繋がっている左耳を抑えた。
「聞きたいことがあります」
「みっ、耳がっ」
「聞きたいことがあります」
「くそっ、てめえよくも――」
「右も聞こえませんか?」
刃物が右耳の付け根へ当てられる。
ティレスタムは再び息を呑んだ。
「使えない耳は要りませんよね」
背後からの冷徹な声が予感させた。
今ここで応答を誤れば、失うものは耳では済まされないだろう。
「わっ、わかった」ティレスタムは唾を飲み込んだ。
「メィレ姫の処刑の日時を教えてください」
ティレスタムは驚きと共に確信した。
こいつはメィレ派の兵士の生き残りだ。
「お、俺だって知らねぇよ。上で決まってるかも知れねぇが――」
「ティレスタム・ロードットさん。あなたは知っているはずだ」
刃物が右耳に食い込んだ。
どうして自分の名前を知っている。
ティレスタムは混乱しながらも、家から届いた手紙の内容を思い浮かべた。
「とっ、十日後だ!」
「時間は?」
「正午!」ティレスタムは激痛にうめいた。「ああっ、くそ!」
「次の質問です」
ティレスタムは左耳の痛みと戦いながら質問に答えていった。
どれも処刑の日に関することで、処刑の場所や警備の規模、兵士がどこに配置されるのかという具体的なことまで聞いてきた。
これまでの人生で味わってきた中で、間違いなく最大の苦痛と窮地だったが、襲撃者の声を聞くうち、怒りが恐怖を塗り潰していくのを感じた。
なぜ俺がこんな目に合わなければならないのか。
ティレスタムは路面へ目をやった。
進路の先に、大きめの石が転がっているのが見える。
そこへ乗り上げるよう、慎重に手綱を繰り馬を誘導していく。
「次の質問です。時間を巻き戻す魔法について知っていますか?」
「……はぁ?」ティレスタムは自分でも驚くほど間抜けな声を出した。
「答えてください」
「そんなもん知るか!」
車輪が石の上に乗り上げ、御者台が跳ねた。
一瞬、刃物が耳から外れた。
今だ。
ティレスタムは背後に向かって思い切り仰け反った。
渾身の頭突きが襲撃者の胸元に直撃する。
ティレスタムは魔法具を抜き、御者台の上に立ち上がった。
荷台に並んだ麻袋の上に、小さな襲撃者が仰向けに倒れていた。
「お前、『泣き虫ユナヘル』か!」
そこにいたのは、見習い兵士の中でも飛び切り成績の悪い少年だった。
ティレスタムはその光景を良く覚えている。
見習い兵士を連れた遠征訓練で、魔法具さえあれば簡単に倒せるような魔物を相手に、腰を抜かして涙を浮かべている少年がいた。
あんな滑稽な姿はないと、兵士たちの間で時折話題に上がっていた。
ユナヘルが持っているのは果物でも切るような小さなナイフだった。
武器ですらない。
圧倒的優位に立ったティレスタムは、怒りが爆発するのを感じた。
「お前みたいな屑がいくら頑張ったってな! 意味ねぇんだよ!」
ティレスタムの絶叫が丘に響き、魔法具がユナヘルを捉える。
こいつを滅茶苦茶にしてやらなければ気が済まない。
と、その見習い兵の目を見て手を止めた。
背後を取ったという優位が失われ、絶体絶命の状況だというのに、彼の目は何も映していなかった。
そこにはただ、濃い疲労の色があるだけだった。
この人間は、本当に、あの「泣き虫ユナヘル」だろうか。
ユナヘルの手が素早く動き、握りこまれたナイフは持ち主の喉笛へ走った。
ティレスタムは、まるで奇妙な夢でも見るような気分で、ぱっくりと開いた少年兵の首元から血が噴出すのを眺めていた。
◇
王都から出る方法を確立したユナヘルは、魔物との戦い――自身の強化を後回しにして、先に情報収集をすることにした。
どうしても、メィレ姫の処刑が行われる日時を知る必要があったからだ。
王都の裏路地で目覚めてからどれだけ時間があるのか分からなければ、何の作戦も立てられない。
一番の課題は、救出作戦が失敗した直後に王都に潜伏することだと考えていたが、これはあっさりと攻略することが出来た。
宿に泊まっているスヴェに助けを求めるところまでは同じだが、スヴェが追っ手を倒してくれた後、同行せずに王都に残るのだ。
すると、スヴェはユナヘルのことを気遣って一緒に王都を出るように薦めてくれるが、所詮は「初対面」でしかない。
強硬に残ることを主張すれば、スヴェは引いてくれる。
そのあとは魔法具を手放し、ぼろ切れをまとえば、物乞いが出来上がる。
これには想定以上に効果があり、物乞いの格好さえしてしまえば兵士に捕まることはほとんど無くなった。
おそらくだが、追撃命令を受けたデュリオ王子派の兵士たちは、逃げ出したメィレ姫派の兵士を真剣に探そうとしていない。
回収した死体から逆算して誰が逃げ延びているか調べることもできるだろうが、跡形も無く魔法で吹き飛んでしまった死体もあるようで、正確に調べることは不可能に近いのだろう。
肝心の情報収集についてだが、これもそう難しい話ではなかった。
王都を歩く兵士の油断を突いて捕縛し、尋問をすれば良いだけだ。
反撃されようと、「やり直し」の力の前には無力も同然だ。
ただ、それが効くのは第一、第二階梯の兵士がほとんどで、第三階梯以上の兵士には近付くことすらできなかった。
情報収集の過程で、生き残りの兵士がいるという情報を得ることも出来た。
メィレ姫の救出以外の全てを諦めていたのだが、彼らが処刑の日まで生きていてくれるのなら、姫と同時に助け出せる可能性があることを喜んだ。
ユナヘルは情報収集の傍ら、後に回し続けていた「やり直し」についても調べようとしていた。
これまでユナヘルが行ったことといえば、スヴェに「時間を操る魔法」について質問したくらいだ。
そのときのスヴェはきょとんとした顔で、「分からない」と答えてくれた。
この「やり直し」力は、なんらかの魔法によるものだと考えるのが一番自然だろう。
時間を巻き戻すなどという途方も無いことが出来るのかはわからないが、ユナヘル自身、魔法具の専門家というわけではない。
王都に住む封印士の家に忍び込み、魔法に関する書物を読んで調べるという手も試したが、難解な専門書を読み解くだけの知識はユナヘルには無かった。
次に、知識を持つ人に「質問」をしようとした。
もちろん、「やり直し」の魔法について知っている者がそう簡単に見つかるとは思えないが、動かずにはいられなかった。
分からないことが多すぎるのだ。
誰が、なんのために、この力を与えてくれたのか。
もしも魔法だとしたら、一体どんな魔法なのか。
そして、この魔法には回数制限があるのか。
時間が戻る回数が有限なら、知っておかなければならない。
自分は後何回死ねるのか。
あえて敵に捕まり、こちらの事情を話し、「やり直し」について知っている者から話を聞くことはできないだろうか。
やり直しさえしてしまえば、そのあとどうなろうと関係ないのだから。
そんな風に考えていたユナヘルに、ふと不安がよぎった。
この「やり直し」は恐ろしい力だ。
ユナヘルのような何の才能も無い見習い兵士にさえ、どのような困難とも戦える力を与えてくれる。
だが、どうやって手に入ったのか分からないこの力は、どうやって奪われるのかもまた、分からない。
その状況で、敵側の専門家に、自分の状況をつらつらと語り、情報を引き出そうと試みることは、危険ではないだろうか。
もしかしたら、捕らえられたメィレ姫を救い出せるのはこの力を持つ自分だけかもしれない。
この力を失ったらどうなる?
そのように考えて以来、ユナヘルは敵に捕まりそうになると、自ら「やり直し」を行うようになった。
次回:双頭の獣②
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