第三章 双頭の獣②
目次とあらすじ
前回:双頭の獣①
雲ひとつない青空が頭上に広がり、時刻はちょうど太陽が真上に昇るころだった。
王都中央にある大きな広場には木製の巨大な台座が組まれ、その上に首切り斧を持った強面の兵がいた。
あの作戦失敗の日から十日が経過した。
ユナヘルはようやくこの日にたどり着けたことを安堵していた。
じっと隠れ続けていることがこんなにも苦痛だとは思わなかった。
目立たないように、食料を盗む回数を極力減らしたため、ただひたすら飢えと戦う時間を、何度も何度も経験してきたのだ。
ぼろ切れの下の体はげっそりとやつれ、死人の方がまだ良いような顔色をしたユナヘルは今、処刑台を囲む数多くの群集に紛れ込んでいた。
脇に設けられた貴賓席には、貴族たちが得意げな顔で座っている。
中にはフェブシリアの貴族の姿もあった。
そして、処刑台が最も良く見える位置には、きらびやかな椅子にデュリオ王子が腰掛けていた。
丸々と肥え太った巨体と、にやにやとした薄ら笑いを浮かべ、片手には酒杯があった。
王子の王位継承は、メィレ姫を処刑してから日を改めて行われるという。
それまではデュリオは「王子」のままだ。
彼らを守るように、魔法具を装備した兵士たちが並んでいる。
そこら中が処刑を見に来た民で溢れかえっていた。
集まった人々は処刑台と貴賓席を囲むように設置された柵の外側で、悲壮な顔で処刑台を眺めている。
広場の外の建物の窓からは、処刑の様子を少しでも見ようと体を乗り出している者がいた。
建物の屋根の上にもちらほら人の姿が見える。
反抗する者はいない。
姫を救い出そうと玉砕した兵士たちの死は、見せしめとして充分に機能しているようだった。
そう、充分なのだ。
確かにメィレ姫は積極的に政治に参加しては平民寄りの意見を上げており、その容姿もあいまって平民たちに絶大な人気を誇っていた。
だが今回行われた兵士たちの殲滅作戦により、メィレ姫に味方すればどうなるかが知れ渡った。
ウルドの民たちの前で、ウルドの王族の処刑を行うなど、明らかにやりすぎなのだ。
これはデュリオ王子の悪趣味な勝利宣言だ。
ユナヘルは、王子の勝ち誇った下品な笑みを見てそう思った。
ユナヘルは群衆にまぎれてあたりの様子を観察していた。
人々の苛立ちと焦燥の混じった小声の会話が聞こえてくる。
「なぁ、姫様は本当に――」
「あのメィレ姫様が本当にそんなことをするはずない」「馬鹿、兵士たちに聞かれたらどうするんだ」
「ああ、そんな姫様……」
「デュリオが王になったらろくなことにならんぞ」
「ウルド様、どうかお助けください……」
やがて処刑台の上に、鎖につながれたメィレ姫が姿を現した。
普段なら豪奢な衣装に身を包んでいる姫が、下賤の者が身に付けるようなぼろきれを着せられていた。
姫の象徴ともいえる金の髪は薄汚れ、宝石のようだと称えられていた大きな碧眼は、沼の底のようによどんでいる。
暗鬱さそのものとなった姫は、まるで二十も三十も余計に年を取ってしまったように見えた。
ユナヘルは、こんなに打ちひしがれた姫を見たことが無かった。
これまでの死の痛みに匹敵する苦しみが、ユナヘルの心を締め上げた。
こみ上げる嘔吐感を必死にこらえ、ユナヘルは隠し持った短剣を握り締めた。
姫の下へ駆け出していきたい気持ちを飲み下す。
姫の周りを固めているのは、圧倒的な強さを持つ高位の階梯の兵士たちだ。
立ち向かってただ殺されるのならいい。
もしも生け捕りになって能力を奪われるようなことになれば全ては終わりだ。
やつれたメィレ姫の姿を見て、民たちから息を呑む音が聞こえた。
兵士たちは警戒したようだったが、暴動が起きるような雰囲気はなかった。
処刑台に上がった文官が、大声を張り上げた。
「ウルドの民よ! メィレ・リードルファ・ウルド姫は、デフリクトと通じ、己の保身に国土を切り売りしようとしていた! 民草の住まう我らの国土をだ!
例え王族といえど、許されることではない! 先王、シノームル様がご存命であれば、さぞや嘆かれたことだろう!」
ユナヘルはその場で耳を塞ぎ、目を閉じてしまいたくなった。
メィレ姫の罪状を並べ立てる文官は、まるで歌っているようだった。
鎖に繋がれた若い兵士たちが、処刑台の上に現れた。
メィレ姫奪還作戦の生き残りだとすぐに分かる。
裸も同然の格好で、体中に鞭の痕があるのが見える。
そしてそこには、あのオルコットの姿もあった。
暗く淀んだ表情からは、負の感情以外読み取れない。
第五階梯に至り、近衛兵まで務めた彼を処刑することは、ウルド国にとって――デュリオ王子にとっても痛手のはずだった。
ユナヘルはこれまでの情報収集によって、彼が処刑台に送られる理由を知っていた。
オルコットはデュリオ派の軍門に下らず、最後まで姫の味方であろうとしたのだ。
処刑人に促され、メィレ姫は台座の上で両膝をつき、頭を木製の台の上に置いた。
「この正義の執行に異議を唱える者はいるか! いるならば応えよ!」
応える者などいるはずがない。
処刑人が首切り斧を振りかぶり、群衆から、生き残った兵士たちから、小さく悲鳴が上がる。
ユナヘルはそれを見て、慣れた手つきで自分の喉に短剣を突き立てた。
血が噴出し、周囲の人間は驚いて声を上げるが、大事にはならない。
群衆の多くは姫の首に振り下ろされようとしている大斧に目を向けているからだ。
ユナヘルは姫の死を見届けることなく意識を失った。
たとえやり直せるとしても、姫の死は見られない。
次回:双頭の獣③
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