第二章 救いの手④

目次とあらすじ
前回:救いの手③


 ウルド国は、気候こそ温暖なものの山岳地帯が多く、農耕には向かない荒れ地ばかりが広がっている。

 領土内には魔物が支配する「魔物領」が数多く存在し、毎年民に多くの被害が出ている。

 東と西を海に囲まれ、南にあるフェブシリア国とは同盟状態にあるが、北のデフリクト国とは常ににらみ合っている。

 シノームル王が死に、デュリオが王位を継承すれば、小競り合いが本格的な戦争状態になることは間違いない。

 ウルド国を支えているのは、隣国が作るものよりも遥かに良質な「魔法具」であり、デフリクト国の狙いはまさにそれだった。

 ウルド国は魔法具の元になる「封印石」を産出する鉱脈を無数に持ち、そして封印石を加工し「封印具」を製造する高い技術力を所有している。

 封印具に魔物を封じ込める知識と技術を持つ「封印士」たちは、自国内の魔物領から溢れてきた凶悪な魔物に対抗すべく魔法具を生み出し、ウルド国の兵士たちはその魔法具をもって魔物や敵国の兵士と戦っている。

 無論、デフリクトやフェブシリアも魔法具を製造する技術を持っている。しかしウルド国ほどの国は他に類を見ず、ウルドの兵士は桁外れの実力を持っていた。

 まして高階梯の兵士ともなれば、その力は計り知れず、ユナヘルのような見習い兵など、束になってもかなわないだろう。

 だが、それら封印具の加工技術や、兵士たちの高い能力は、いかに民たちが魔物の脅威にさらされているかということの裏返しにほかならず、自国内に魔物領を多く持つウルド国の民が、生き残るために必死で身につけたものだった。

 今、ユナヘルの目の前には、ウルド国に点在する魔物領の一つである「セドナの大森林」が広がっている。

 緑を通り越して黒々とした葉を生やした木々が乱立するこの森は、昆虫型や獣型の魔物が数多く生息する魔物領であり、温厚な亜人種も多数生息している。

 この魔物領は、王都から馬で数日はかかる場所にある。

 だがスヴェの魔法具のおかげで、わずか二日でたどり着いてしまった。

 スヴェがユナヘルと手をつないでいると、ユナヘルの足は異様に早くなり、疲れを知らず、まるで獣のように野を駆けることができた。

 景色が滑るように背後へ流れていく光景は実に爽快だった。

「さてと。今から魔物領に入るわけだけど」

 スヴェの言葉に、ユナヘルは頭を切り替えた。

「これ」

 スヴェは背負い袋の中から、厚手の布に包まれた封印具をユナヘルに渡してきた。

 見れば、ほかにもう二本持っているようだった。

 なるほど、とユナヘルは感心した。

 旅の途中で魔法具を造り、それを売って路銀にしているのだ。

 第四階梯の兵士を越えるほどの実力があって、初めて成せる業だった。

 布をはぎ、受け取った封印具をまじまじと見つめた。こうして手に取るのは初めてだった。

 その封印具は短剣に似ていたが、鍔は無く、柄の端から刀身の先までまっすぐ伸びている。

 刀身と柄の長さはほとんど同じだった。

 封印具の一番の特徴は、硝子細工のような透明さだった。

 柄も刀身も、かざすと向こうの景色が透けて見える。

 見た目は脆そうだが、持ってみると案外しっかりしている。

 重さは同程度の大きさの鉄の長剣より、少し軽い。

「オルトロスって知ってる?」

 ユナヘルは頷いた。

 国内の主要な魔物に関しては、ある程度頭に入っている。

 頭が二つある、獣型の中位の魔物だ。

 非常に素早く、縄張りに入ってきたものを許さない気性の荒さを持つ。

 スヴェが指定した魔物を自力で封印し、魔法具を造る。それが最初の訓練だった。

「オルトロスのところまでは案内してあげる。そこからはきみが自力で封印する。いい?」

「わかった」

 オルトロスは、実のところ大した魔物ではない。

 魔法具を人並みに扱うことが出来れば、苦戦するような魔物ではないのだ。

 スヴェもそれが分かっていて、ユナヘルの相手に考えたのだろう。

 仮に負けて殺されたとしても、何の問題もない。どうせやり直せる。

 問題は別にあった。



 まだ昼間だというのに、森の中は薄暗かった。

 背の高い木が空を覆い隠しているせいだ。

 強靭な太い根が張り出した地面は起伏が激しく、慣れるまで少々時間がかかった。

 空気はじっとりと湿っており、そこら中に緑の苔が生えていた。

 しばらく歩いたが、一体も魔物と遭遇していない。

 スヴェのおかげに違いないが、どんな魔法なのか、ユナヘルには聞く余裕がなかった。

 がさがさと音がして、ユナヘルはその度に音のするほうへ目を向けた。

「大丈夫?」前方を歩くスヴェが振り返って言った。

「……え?」

「なんでもない」

 ユナヘルは鼓動が早くなるのを抑えようと努めた。

 嫌な汗が背中を伝っていく。

「いた」スヴェが足を止めて言った。「このまままっすぐ進んで。今は食事中だから動きは鈍いみたい」

 魔物の位置がどうして分かるのか、どうやったら分かるようになるのか。

 ユナヘルはそれを聞くつもりだった。

「しょ、食事中? 何を食べてるの?」

 スヴェは無表情のまま言った。「顔真っ青だよ」

 ユナヘルはスヴェより前に出て、森の奥を睨みつけた。

 何かが潜んでいるようには思えない。

「いきます」

 震えた声で言って、無理矢理に一歩踏み出した。

 これ以上ここに留まっていたら、うずくまってしまいそうだ。

 不審な顔をしたスヴェに見送られ、ユナヘルは一人森の奥へ進んでいった。

 呼吸が浅くなっている。

 視野が狭まって、頭はぼんやりしていた。

 胃の中に重たい石を詰め込まれたような気分だ。

 自分を保とうとするように、ユナヘルは魔物を封印する手順を頭の中で何度も繰り返した。

 いつでも腰から封印具を抜けることを確認した。

 ユナヘルの右手に握られてる<篝火>には、イグニスと呼ばれる低位の魔物が封じられている。

 イグニスは死霊型の魔物で、火の魔法を操ることができる。

 つまるところ魔法具とは、封じられている魔物の力を行使することが出来る武器である。

 では具体的に、どのようにして封印具へ魔物を封じ、魔法具を造るのか。

 その方法は極めて単純で、やろうと思えば誰にでもできる。

 特別な呪文も、特殊な儀式も、特異な才能も必要ない。

 封印具で魔物を殺すだけ。

 正確には、封印具によって与えた傷で、魔物の命を奪う。

 そのため、魔物を弱らせるところまでは、すでに作った魔法具で行ったり、大人数で攻撃すれば効率が良い。

 魔法で攻撃、弱ったら封印具でとどめ。

 言葉にしてみればそれだけのこと。

 だが魔物との戦いは初めてだ。

 そんなに上手くはいかないだろう。

 まずは魔物との戦いがどのようなものか肌で感じる必要がある。

 なに、たとえ失敗しても、初めからやり直しになるだけだ。

 焦る必要は無い。

 慌てる必要は無い。

 ユナヘルの頭の片隅に僅かに残った冷静な部分が、ユナヘルの体全体へそう言い聞かせていた。

 しばらく歩くと、血の匂いがしてきた。

 進むごとに濃くなっていき、木々の向こうに影が動くのが見えた。

 自分の心臓が破裂しないことだけを祈り、ユナヘルは意を決して歩を進めた。

 そこにいたのは真っ黒な毛並みの魔物だった。

 全長は成人の身長の二倍ほどある。

 オルトロスはユナヘルに気付くと、牙をむき出しにして二つの頭で同時に唸り声を上げた。

 内臓が直接揺さぶられるような感覚がする。

 四つの目は、ユナヘルの顔や、手元の魔法具へ向けられている。

 真っ赤に濡れた牙が見える。

 食事中というのは本当だった。

 オルトロスの足元には――。

 ――ぺちゃぺちゃ。ごりごり。ぶちぶち。

 耳を塞いでも振動が伝ってくる。

 真紅に染まった視界は何も映さない。

 全身の感覚が溶けてなくなっていくようで――。

 ユナヘルが我に返ると、地面が大きく揺れ、上昇を始めた。

 視界が傾いて、冷たい地面の感触が尻から伝わってくる。

 魔物から攻撃など受けていないことにすぐに気付く。

 怯えて、腰を抜かして、尻餅をついた。

 それだけだ。

 ユナヘルは震える手で双頭の魔物へ<篝火>を向けた。

 胸の内に巣食う泥を振り払うように魔法を使うが、制御できていないことに気付いたのは、放った火が真っ先に自分を焼いた直後だった。

 体中を走る激痛に、ユナヘルは魔法具を落として転げまわった。

 聞こえてくる悲鳴は、腹の底からひねり出した自分自身のものだ。

 肉が焼ける匂いがしたが、それは一瞬のことで、吸い込んだ空気と一緒に入り込んだ炎が、鼻と口の中を焼き尽くし、すぐに息が出来なくなった。

 胎児のように丸まり地面に転がっているが、ユナヘルにはもう理解できていない。


次回:第三章 双頭の獣①

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