見出し画像

闇の中のトトロとパパ活

深夜2時。営業車のような古いバンがドライブインの駐車場に入る。運転がよろよろとしている。一緒に働くマサさんが「ありゃ、飲んでいるな。面倒くせぇ」と言う。

片道1車線。地方の国道。巨大なトレーラーが闇に低音と振動を響かせる。
その国道沿い、古く寂れている個人経営のドライブイン。
ハンバーガーやサンドウィッチ、ホットドッグとコーヒー。
アメリカかぶれのオーナーが建てた。30年。中途半端にうらぶれている。昼の家族連れ、夜の若者、深夜のドライバー、全ての客を取りこぼす。
週4、深夜にバイトをする。スタッフは二人。客が少なく楽だからだ。
金を貯めて特に何かをしようとも考えていない。大学に通うがさして身を入れているものはない。何となく通う。

このご時世、飲酒運転の客が来ても何も良いことがない。
古いバンを運転していたスーツ姿の30代後半の男が店にふらふらと入り、赤いソファのボックス席に座る。
マサさんがカウンターから出て水も持たずに近寄る。
出てってくれないか、飲酒運転でここに来てこの後お前が警察に捕まれば俺たちが酒を出したことになる。
「少し休憩させてくれないか」
「車で休憩すればいいだろう」
「あの車に居たくないんだ」
「言っている意味がわかんねぇよ、早くいけよ」
男の眼は酔っているという事ではなく何を見ているのかがわからない。その眼を見てぼくは口を挟む。
「マサさん、少しだけでも休憩させましょうよ、今車に乗ったら大きな事故を起こすかもしれない」
マサさんはぼくの肩を押し言う。
「俺のやり方に口を挟むなよ、お前と違って俺には家族がいて今これしか仕事がないんだよ。やつがへました場合どうなるんだよ」
50代で住宅ローンと子ども2人の学費を抱えるマサさんの事を考えると強いことはいえない。クソみたいな夜。

3人黙る。
店のスピーカーから甲高い声の男のバラードが流れる。
マサさんは知っているはずだ。
「マサさん、これ誰でしたっけ」
何をお前は言っているんだという顔をしたが答えてくれる。
「ニールヤングのアフターザゴールドラッシュ」
「どんな歌なんすか」
「焼け焦げた地下室に横たわって満月を見る歌だよ」

遠くで誰かのクラクションが聞こえる。
「マサさん、今日はもう上がっていいっすよ、客も来ないし。俺がマサさんのタイムカードも押しておきますから」
マサさんは表情を押し殺して、悪いな、と言い帰って行った。

酔った男にグラスに水を入れ渡す。すまん、と言いそれを飲む。
「なんであの車に居たくないんすか」
「会社の車だ。走っていない時にあの車にいる気がしない」
「明日何時からなんすか」
「8時半だ、売れないんだよ、今時コピー機なんか売れないんだよ」
「7時ぐらいに起こしてやりますよ、裏に寝るとこあるからそっちに行ってくれ」
男をバックヤードにある休憩用のベッドに連れていく。

駐車場に白いフィアット500が入る。深夜3時に可愛らしいフィアットは似合わない。
「水野君がここで夜働いているって聞いて来てみた」
真樹ちゃん。10年振りぐらいだろうか。明るいグレーのダッフルコートと黒のタートルネック。どちらも高そうだ。小学生の頃は近所だったのでしょっちゅう遊んでいたが、中学になり真樹ちゃんの家が学区内の少し離れたところに引っ越してから話さなくなった。
カウンターに座り、コーヒーとサンドウィッチをください、と言う。真樹ちゃんは小学生の頃からものすごくかわいいと評判で中学に入るとその評判は加速した。芸能スカウトの話も何度かあったらしい。
古いパンではなく、昨晩配達されたパンを卸す。コーヒーも煮詰まったものでなく新しく淹れる。バターをレンジの解凍モードで常温に戻す。トマトやハム、チーズの水気を丁寧に切り、マヨネーズとバターは多めに。真樹ちゃんと早く喋りたいからたまごサンドは時間が少し節約できるスクランブルエッグにする。

「水野君、この時間にこのドライブインでここまで美味しいサンドウィッチ、期待していなかったよ、凄いね。水野君とは7年ぶりぐらいかな」
「かもしれない。真樹ちゃんにトトロごっこで地獄に落とされたの思い出した」
「え、何それ」
「小1ぐらいの時に真樹ちゃんがさ、俺と近所の石崎呼んでトトロの真似をしなさいって公園で宣言したんだよ。俺と石崎すげぇ頑張ってトトロのものまねしたんだよね、延々と。そしたら真樹ちゃんが本物のトトロは石崎君ですって判定くだしたの。で、真樹ちゃんがサツキちゃんで石崎がトトロで二人で帰るんだよ。俺を公園に置いてさ」
真樹ちゃんは笑い転げる。ごめんごめんと言いながら笑う。
「全く覚えてない。凄いね私」
「今でもサツキとトトロに置き去りにされる夢を見るよ」
真樹ちゃんは屈託のない笑顔で笑う。
「真樹ちゃん今、大学生?」
「そうだよ、水野君もそうだよね、春から4年生?」
「いや、1年浪人したんだよ」
「あ、私も」
「じゃお互い春に3年生だね。真樹ちゃん童顔だから高校生とかに間違われない?」
「高校生どころじゃなくて、髪しばったりすると中学生に間違われるよ」
「酒なんか飲めないね」
「そうそう、結構大変なの。居酒屋とかでさ」

救急車のサイレンが聞こえる。夜中の救急車は未だ慣れない。
「真樹ちゃん、芸能のスカウトとかすごかったんだよね」
僕はコーヒーを飲みながら聞く。興味があるけど表情には極力出さない様にする。成功していれば今ここにはいないはずだ。
「そう。そうなんだよ。でね、スカウトについてって東京行くの。事務所とかオーディションとか行くでしょ。ものすごい綺麗な子とか、かわいい子がゴロゴロしてるの。で、その中にそんなにもきれいじゃない子もいるんだけど、そんな子は無茶苦茶なオーラみたいなのがあるの。そのうちの一人が今売れまくっているあの子」
真樹ちゃんはドラマと映画に相当な本数に出ている子の名前を上げた。
「私、人口30万都市なら上位かもしれないけど1億2千万人の中だったら特別でも何でもないの。広いところだとたくさんいるかわいい子の中の一人に過ぎないの。でもね、私、お金になるのよ」
ポテトフライを二度揚げし、真樹ちゃんとカウンター越しにつつく。
「お金になるって?」予想できる。真樹ちゃんが何をすればお金になるか予想できる。
真樹ちゃんはポテトフライにハインツのケチャップを山のように付け口に運ぶ。ケチャップが真樹ちゃんの口に吸い込まれる。
「パパ活とキャバクラとデリヘルとか諸々で」
「マジかよ、デリヘルもあるのかよ」
「そうそう、でも口は使わないから」
「デリヘルで?フェラなしってどういうことなん?」
「パパ活も何から何まで手だけで出してあげる。あと、添い寝」
「相手はそれで満足するの?」
「そう、するの。私さ、ここまで童顔でしょ。それに胸、Eカップあるのよ。最初にパパ活した人に言われたの。日本人男性の多くはロリコンで童顔が好き、でもその顔にアンバランスな大きいおっぱいも好き。君は童顔で胸が大きいからそのマーケットニーズにドンピシャだから勝負できるって」
「マジかよ」
「パパ活、すぐに4人ほど確保出来て、月10万の1回3万。一緒にお出かけしてご飯食べてどっかのホテルに行って、で、手だけ。でもみんな喜んでくれて。お誕生日にはみんなかなりのプレゼントくれるの。でね、例えば6人パパがいたらみんなに同じものプレゼントにお願いするのよ。例えばエルメスのガーデンパーティーの同じ色とか。1個だけ手元に置いて後は売るの。そしたらみんな自分がプレゼントしたものだと思うじゃない。みんなhappy。パパの誕生日とかバレンタインとかは3万ぐらいかけてしっかり餌撒くの。そしたらみんな感動してくれてお願いした50万ぐらいの同じものが帰って来るの。で、一つ残して売るの」

冷蔵庫に人参があったのでスティックにして二人でボリボリ食べる。
「一人、高校の制服でしてくれと言われたから制服着たの。ちょっと触っただけでソッコー射精したよ。制服着ただけでここまでイク時間が短くなっちゃうとはね。これは良い需要を見つけたって考えて、要望あれば外でデートするときから制服にしたの。そしたら1回6万。かなり演技力が求められたけど、うまくこなしたよね。そんな事して病まないの?とか言われる時あるけどこの辺で大卒で会社入って給料16万とか17万とかだよ?そっちの方が病むよ」

真樹ちゃんは人参のスティックを指でもてあそびながら言う。
「で、一人ね、どうかと思ったんだけど自分の娘が通う高校の制服を私に着させたの。やばいな、と思ったけどそのパパが実際に娘に手を出すよりいいじゃない。ボランティア活動って言い聞かせたよ自分に。お金もらってるけど。その子、知らない女が自分の制服着てお父さんの触ってって酷い話だよね。申し訳ないやらお父さんろくでもないやら」
真樹ちゃんは続ける。
「添い寝は好き。私のパパはみんな清潔だから添い寝は楽しい。人の温もりって本当にいいよね。添い寝だけは嘘じゃなかったな。水野君は制服とかにどきどきするの?」
「多分するんじゃないかな」
「なんでなんだろう」
僕はしばらく考え、この間社会心理学の講義で聞いたことを踏まえて言う。
「適当に今考えたんだけどさ、真樹ちゃん、遊んでる感じの制服の着こなしだった?」
「ううん、どノーマル」
「制服って中学高校の女の子な訳だろ。そのどノーマルの制服のイメージ、純潔とかなんじゃないの?で、従順で文句も言わないとか。その子たちのイメージであれこれできるからじゃないかな、ほんとは絶対に出来ない事だからさ。娘の制服なんてそのパターンじゃね?」
「おお、ドンピシャかも。水野君やるね、そう言えば痴漢に遭う子もそんな感じかもね。合意の上か犯罪かエライ違いだけど」

ジンジャーエールを真樹ちゃんと分ける。甘いのでウィルキンソンで割る。真樹ちゃんも同じく割る。ピスタチオも出す。爪が割れるといやだから割ってくれと言うので割る。割ったのを指で口に運んであげる。
真樹ちゃんが、何かこれ、デートみたいじゃん、とはしゃぐ。
「キスはさせるの?」
「まあ、それぐらいはさせてあげるよ。でもクローズドだけ」
「なに、クローズドって」
「こんな感じ」真樹ちゃんは立ち上がってカウンター越しに軽くキスをした。ふふん、と笑う。
店にはオアシスのWhateverが流れている。
「水野君、これいい曲だと思うんだけどどういう意味なの?」
「君は人目を気にし過ぎている、本来の自分を殺してしまってるだろ、もっと自由にしていいんだよ、って感じかな」
「そうか、そうか。人目意識するの、お得なところ一個もないからね」
「確かに、確かに」

深夜3時を廻ると大型トレーラーもさほど通らない。逆に時折来るトレーラーの轟音が耳に残る。
「でね、こりゃ自分にかなりの商品価値があると思ってね。キャバクラに行ったらまあ大人気よ。でさ、デリヘルにも行って見たくなって。でも素性がわからん人は流石に怖くて」
「デリヘルなんて相手がどんな頭おかしいやつなのかわかんないしね」
「そうそう。知らない人と密室だし、怖くて。だから半日ですぐ辞めたの。キャバクラも私がいきなりトップ取るとめんどくさいのよ、お店の女の子同士で。授業終わってだから隙間時間のいい稼ぎだったんだけどね」
「真樹ちゃんさ、それ、ここでやってたの?」
この街でそこまで動いたら確実に僕の耳にも入る。
「ううん」真樹ちゃんは隣の県の県庁所在地を言う。
「こっから120㎞ぐらいあるよね?」
「そうそう、だからちょうどいいのよ。それぐらい距離があれば。こっちでネタにされないし。顔さえ写真取らせなければネットにもUPされないし」
「車で行くの?」
「そうそう」
「あのフィアットで?もしかしたら、あのフィアットって」
「わかった?ふふ。もらいました。外車のディーラーと整備工場を経営しているパパに。年間3万キロは走ってるな。今12万キロぐらいかな。あの車そんなヤワじゃないの、かなりうるさいし。私のマニュアルだし。ちっこい車で行くとみんな喜んでくれるのよ、イメージ通りで。国産のコンパクトほど生活感ないし。」
「いくら稼いだの?」
「17の時からだから、そうだなぁ」
「えっ?17って高校生だよね?」
「そうそう。概算で1700万」
言葉を失う。予想を超えた数字は人を黙らせる。
「今は1700万を運用して大体2500万ぐらいかな。積立式投資信託と株を運用して。運用の基礎は何番目かのパパが教えてくれたの。パパも役に立つのよ。証券口座の数字見るとすごく安心するんだよね」
オニオンスープが残っていたので温めて真樹ちゃんに出す。チーズも入れる。真樹ちゃんはスープカップを両手で手のひらを温める様にして持つ。気が付くと外では雪が降っている。晩秋だけど雪が降るには少し早い。雪は見ているうちにも降りが強まる。

ロッド・スチュワートのガソリンアレイが流れている。
もしもうまくいかなくてもさ
おれをこの土地へ
ほうむるなんて やめてくれよ
ここは寒すぎるぜ

真樹ちゃんが急に遠くに行ってしまいそうな気がしたのでカウンターから乗り出して両手で真樹ちゃんの手を握りしめる。真樹ちゃんは一瞬驚いた顔をしたけど、すぐに僕の手の上に自分の手のひらを重ねてくれる。
「私ね、ほんとはね、水野君がここで働いているのずっと前から知ってた。この通りの向こうに自販機が5台ぐらいあるじゃない、そこ、自販機の前に車停められるところあるよね。そこからこのお店が良く見えるの。パパ活とかから帰って来た時、車停めてずっと見てたの、水野君の事。毎回30分ぐらい見るの。そうして帰るとちゃんと寝れるの」
「僕でも役に立っていたんだね」
「そう、知らない間にね。オッサンの相手してクタクタになって、夜中、あと少しで家なのに疲れ果てて運転できなくて、自販機の前に停めたの。そしたら道路の向こう側に水野君がいて。暖かさが伝わってくるの。まばゆい暖かさだったよ。光り輝いていてさ。私がどっかに置いてきたものが全部このドライブインにあって、水野君が守っている気がしたの」
「それは思い出かな」
「それもあるんだけど、なんていうかな、汚されていないというか、わかんないけど。とても大事なもの」
「中に入って来れば良かったのに」
「めちゃめちゃ行きたかったよ。でもさ、入ってそれが幻とかだったら、私死んじゃう気がしたの。だから入れなかった。今日さ、いつも一緒にいる人が帰ったじゃない。もうさ、気持ち抑えきれなくて。中に入ったら実はそんなものは幻とかだったら、私死んじゃうかもって思ったけど、入ったの」
僕は緊張して聞く。
「どうだった?」
「最高だった。入って良かった。水野君、全然変わらないし」
「トトロじゃないけどな」
「トトロだったよ。トトロって子どもの時にしかみえないんだよね、じゃあトトロで合ってる」

雪は小降りになった。真樹ちゃんに聞く。
「まだパパ活、続けるの?」
「今日決めたよ、少しずつフェードアウトする。お金もいっぱい稼いだし。パパ活、良く言うのがさ、辞めた時生活レベルが落とせないって言うんだけど私このまま止めても大丈夫だと思うんだよね、服とかそこまで高いの買ってないし。ブランドとかそこまで好きじゃないの。この服とかはパパ活必要経費みたいなものだし。運用さえ堅実にすればうまくいくよ」

僕は深夜のドライブインで、真樹ちゃんはパパ活で時間を潰した。トレーラーは僕らを否が応でも連れていく。連れて行く先には何があるのかまるでわからないが、トレーラーは後戻りしない。誰がどうあがこうと後戻りしない。無茶苦茶なスピードで走るトレーラーの荷台で僕らは適当な嘘をつきながら踊っているだけだ。
若い僕らを包むものはいつでも優しそうに見える。優しそうに見えるけどそれは闇だ。優しい闇。歳を取ればそれが優しい闇ではなく目まぐるしいスピードで流れていく漆黒の闇だと気が付くのだろうか。
だが闇は闇だけでは成り立たない。

「真樹ちゃんさ、お願いなんだけど家まで車で送って欲しいんだ、俺、今日原チャリで来ちゃったんだよ。雪やみそうだけどさすがに原チャリで雪道は厳しくて」
「いいよいいよ、私のフィアット、もうスタッドレスに変えてあるから」

6時前だったが、バックヤードに寝かせた酔っぱらったおっさんを起こす。
時間早いんだけど店閉めるから頼むぜ起きてくれ。
おっさんは僕に丁寧なお礼を言い、車に戻る。
「コピー機、売れそう?」
「もう、コピー機はいいかな。別の売るよ。時間かけても売れるもんじゃないしな。」
僕は店を閉め、真樹ちゃんのフィアットに乗り込む。
雪は降りやみ、雲の切れ間から日が差し込んでいる。
「水野君、今日これから何かあるの?」
「いや、帰って寝るだけ」
「そしたらさ、少しドライブ付き合ってよ。朝のラッシュとは逆方向に向かえば空いているし。晴れて日が差して雪で反射してむちゃくちゃまぶしいけど。それからさ、水野君、一日空いている日教えてよ。朝から晩までジブリ見ない?」














イノセンスとそれにまつわる希望の話を書きました。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?