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not too late

ドラッグストアに入ると、初老の男が店員に向かって怒鳴っている。大きな声なので聞き耳を立てなくても内容はわかる。店員が客である初老の男にレジ袋が必要かどうか聞かないまま会計を終わらせようとしたらしい。初老の男はそれを店員に責め立てる。レジ袋が必要かどうか、聞くのが当然だ、どのような意識で仕事をしているのか、ここの教育はどうなっているのか。

30代の女性の店員は僅かな笑顔を顔に貼りつかせひたすら頭を下げる。上司と思わしき人はカウンターの中だが特に何かをする気配がない。

初老の男の声が大きくなり、終わる気配はない。

これだけ謝っているのだから、もうその辺りにしたらどうですか。

30代ぐらいのスーツ姿の男性が割って入る。初老の男は一瞬たじろぐが、ここの教育がなっていないから俺が注意しているんだ、と声高に言う。

まあ、お店の業務も滞っているようですし、他の客も見ているじゃないですか。もう十分。あなたのおっしゃることはみんなわかっているんじゃないですか。レジ袋を頂いてそれでよしとしませんか。貴方のお話は十分届いているはずです、レジ袋を頂きましょう。
30代の男性は物腰柔らかい。女性店員は相変わらず僅かな笑顔を貼りつかせたまま小さくなっている。

俺はレジ袋はなんか必要ない、必要かどうか、俺に聞かなかった。その教育がなってないと言っているんだ。

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大学2年の時に母が亡くなった。母は化粧品売り場で働いていた。そこそこのセールスをあげていたらしい。化粧品売り場と言っても著名な百貨店ではなく、ショッピングモールにあるような店だ。

父はロードサイドにあるチェーンの眼鏡屋で働いている。

共働きでようやく暮らしていける世帯年収。その中で僕を英語教育で有名な大学まで行かせてくれた。

一度、両親の働いている姿を見に行った。

母の接客は確かに巧みなようだ。様々な笑顔を駆使する。接客から購入にいたる割合、どの程度が平均値なのかわからないが、他の店員に比べて成就した回数は高いようだ。客が購入に至ろうと至らないに関わらず、母は笑顔で客を見送る。客の姿が見えなくなった直後、母は能面のような顔をしてカウンターに戻る。

父はロードサイドの眼鏡屋の店頭で何かのキャンペーンなのか、店名が書かれたのぼりを国道に向かい、笑顔で6時間振り続けていた。

僕は6時間その姿を見ていた。

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収入が少ない中、両親は僕をよくキャンプに連れて行ってくれた。

高価なキャンプ道具はなかったが様々な工夫を凝らして楽しんだ。朝食は牛乳パックの中にアルミホイルを巻いたホットドッグを入れる。牛乳パックに火をつける。火が消えるころにはちょうどいい温度のホットドッグが出来上がる。イベント感もある。父が火を扱うのは僕の仕事とした。おかげで思う存分火遊びができる。

キャンプ道具が安物で古いと、どうしても周りと比べて見劣りがする。
母は、難民キャンプもこの通り と笑いながら赤いチェックのテーブルクロスをテーブルに掛ける。それだけで華やいだ雰囲気が出た。母が華やいだ。

父は頻繁に失敗をした。タープやテントを立てる際は順番を間違うと立たないか変な形に仕上がる。家族3人で仕上がった変な形のテントを見てやり直すかどうか相談する。最後は僕の意見が最優先され、僕が、いいんじゃないの、と言えばその変な形のままだ。

その変な形のテントで寝る。寝る前のトランプ、特にポーカーは盛り上がる。子どもの僕にも容赦ない。盛り上がり、その笑い声が大きすぎて周りのキャンパーに何度か注意された。

ハイライトは夜空。真夜中に3人でテントから出て星を見る。父は星に詳しかった。満天の星空から様々な星座を教えてくれた。夏の大三角、白鳥座、こと座、わし座、さそり座。説明する父は満天の星空にも負けないぐらいの笑顔。傍の母も笑顔。

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母の葬儀が済んでしばらくして、父と近所に住む年上の従姉の朔ちゃんと居酒屋で飲んだ。店は個人経営だが、料理が旨いので客は入る。今日も相当な客の入りでほぼ満席だ。料理は主人とおかみさん二人で作り、アルバイトらしい二人の若い男女がホールを切り盛りする。女の子はテキパキと動く。客に呼び止められるとにこやかに対応し、料理を運ぶ時も笑顔だ。男の子はやる気があるようには見えず笑顔も見せない。それでも淡々と仕事をこなしている。

頼んでいる料理が来るのがかなり遅い。混んでいるのは確かだが、それにしても遅い。
父が女の子の店員を呼び催促した。伝票を確かめ、カウンターの主人に確認をとる。どうやら主人が間違えていたらしい。主人は眉間にしわを寄せ厳しい顔で包丁を握り直し、舌打ちをした。女の子は僕らのテーブルまで来て精一杯申し訳なさそうな顔して謝る。

アルバイトの男の子がとなりのテーブルで何かミスをしたらしい。男の子は、ああ、そうですね、と言いカウンターのおかみさんにそれを言う。おかみさんは あなたしっかりしなさい!とかなり強い口調でいう。

朔ちゃんは臨床心理士の資格をもち、精神科のある病院で働いている。
朔ちゃんは言う。
この4人のなかで誰が一番ストレスを抱えていると思う?
僕は何となく分かっていたし、多分父も分かっていたはずだ。でも朔ちゃんの説明をしっかりと聞きたくて、わからない、と答えた。

表情みれば、ストレスを抱えている様に見えるのは主人とおかみさんよね。二人とも厳しい表情だし、店の経営だとか売上とか、ストレス抱える事はたくさんあるよね。で、ふらふら働いている男の子はやる気がない様に見える。で、元気いっぱいのあの女の子はストレスなんかなさそうよね。

もちろん、全部逆よね。元気いっぱいのホールの女の子こそストレスがコップからあふれそう。にこやかに笑顔作って自分のミスでもないのに主人に舌打ちされて。私たちに丁寧に謝って。全部あの子の意思とは逆よね。それからさっきから見てると、呼吸が浅い気がする。男の子は店でのストレスをうまくいなしている様に見える。適当に仕事してるけど、適当じゃないとこんな満員の店、廻せない。抜くとことか、バッファが必要だよね。

主人とおかみさんなんか、ストレス何もないよね。店は満席だし、感情は全部表に出せる。感情を表に出せるって、楽なんだよ。そしてこれが一番大事なんだけど裁量権があるじゃない。

裁量権。僕はつぶやいた。父はぼんやりした目でチューハイを飲んでいる。

自分の判断で決めることができるとストレス値が物凄く減るのよ。
よく企業の社長とか、日中、起きている間はずっと仕事の事考えろとか言うじゃない。あれはね、社長である自分の立場がそれをしてもストレスがかからない、というだけ。社長達は決裁権があるからいくらでも仕事出来るのよ。遊んでいるのと何ら変わらない。ある社長がね、ビルゲイツ持ち出して、彼らは寝る間も惜しんで仕事した、何かを生み出そうとする者はそれぐらいできるはずだって言うのよ。馬鹿言うんじゃないよね。裁量権や決裁権のない組織の中の歯車がそんな事したら壊れちゃうよね。

父は、はきはきと働く女の子を見つめるでもなく眺めていた。

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就職はキャンプ用品のメーカーに決めた。海外にも進出しているブランド。キャンプはユーザーが様々な場面で自分で決めなければならない。面倒だがそれが醍醐味だ。裁量権は我らにある。そのキャンプメーカーからもそんな雰囲気を感じたのだ。

父はことのほか喜んでくれた。

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就職して2年目の秋に海外赴任が決まった。赴任先はアメリカのポートランド。あと4年ほどで定年の父が空港まで車で送ってくれた。古いスバル。子どもの頃この車にキャンプ道具を満載した。

父が、今日は船出の日だから特別だ、とジャマイカ産のコーヒーを大きなボトルに淹れてきた。父はドリップコーヒーを淹れるのが上手だが、今日のコーヒーは格別だ。

この豆、相当高いんじゃないの?

船出の良き日につまんないこと、言うなよ。大量に買ったからな、ふふ。で、近所のジジイ共と飲もうかなとな。向いのマスダさんっているだろ、あの人プロのフォトグラファーなんだよ。凄くてな。有名な賞何度かもらっているらしくてさ。でな、中古のカメラ、安く譲ってくれるってな、お返しにコーヒーだ。この年で新しい趣味ができるとは思わなかったな。お父さんな、この間な、古いカメラで撮った写真が小さなコンテストで入賞したんだ。

高速道路の繋ぎ目のギャップが、リズムよく、心地よく、車に伝わる。

お父さんな、転職するんだ、今の会社、やめるんだ。この年でな。我が子がグイグイと前に進むのをみてお父さんもな、遅いけど進もうと思ったんだ。遅すぎることはないって言うじゃないか、言わないか?

父は楽しそうに言う。

母さんが死んだときに、朔ちゃんと3人で飲んだろう、あの時の朔ちゃんの話がずっと頭にあってな。無理な笑顔作って一日過ごすのはどう考えてもしんどい。もちろん、それが出来る人はたくさんいるし、その人たちを否定する気はないし、その笑顔で稼いでいる優秀な人たちはたくさんいる。でも父さんはきつかった。でもきついという事がよくわからなかった。もちろん、接客でいい眼鏡を作って差し上げて、結果何人もお父さんにお客さんがついた。それは嬉しかった。やりがいもあった。ただ、いつからか、数字を強く求められるようになってな。会社が一部上場した時からかな。数値目標は当然だ。でも、それがいいのかわからなくなったんだよ。

車は中央道から4号線に入る。車の流れは順調だ。秋の天高い空はどこまでも広がっている。

でも会社辞めようとはなかなか思えなくてな。会社に迷惑を掛けるって言うだろ。それがどうも頭から離れなくてな。でもよく考えると、迷惑って良くわかんないよな。誰が困るんだろうな。誰も困らないよ。

介護老人保健施設に知人がいてな、そこで働くことにしたんだ。その施設の信条の一つに、利用する方に家のようにくつろいで頂くというのがあるんだ。働いている人たちはみんな私服でな、お医者さんも作務衣とかTシャツとなんだよ。家で制服、着ないだろ。でさ、家にいるときと同じような感じで働いてほしいとな。

少し、窓開けるか。今日は、気持ちいいな。

車内に吹き込む風が心地よい。

でさ、スーツで面接行ったら、面接官が笑いながら、朝、そのお姿で出勤されたら、ご利用者が出勤時間と思って、時間のリズムができるからいいかもしれませんね、だと。面白いよな。

東京タワーを遠目にし、しばらくして湾岸線に入る。相変わらず車の流れは順調だ。

3人で行ったキャンプは楽しかったな。夜、ポーカーやったの覚えてるか、母さん強かったよな、あれな、仕事でお客さんの顔色見るだろ、それと同じ様に俺たちの顔色見てたんだよ、お客さんより何倍もわかりやすくて、何倍も楽しかったってな。

うちのキャンプ道具、安物で、周りはみんな高級なブランドでさ、だからさ、お前がそのキャンプブランドに就職した時は嬉しかったな。
お父さんさ、一人用のこじんまりしたもの、買いそろえようと思うんだ。もちろんお前のメーカーでな。

僕は言った。
お父さん、何言っているんだよ、そんなことなら、社割で安く俺が買うよ。

おお、そうか、そんなあくどい手があったか。それならそうしてくれ。
大きな声で大きな口を開けて笑った。

お父さん、転職の合間に、ポートランド、来なよ。キャンプしようよ。

父は大きな声で言う。

そいつは、いいな。


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