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恋の行方はフルスイングの果てに

そんな綺麗で聡明な女の子と釣り合う訳がないんだよ、僕は。



高校で世界史の教師をしている。授業の評判は普通。寝る生徒はいないけど発言する生徒もいない。僕としては静かに授業が出来れば御の字。

時々隣の教室から盛り上がる様子が聞こえる。現代国語の佐内先生。授業がおもしろいらしい。作文の授業。出だしが良ければ本文を書かなくても「良」以上。でも、この三つを超えるものを出したらの話。

「吾輩は猫である。名前はまだ無い」
「メロスは激怒した」
「さようでございます。あの死骸を見つけたのは、わたしに違いございません」

厳しいハードル。でも佐内先生は言う。最初の段階で気持ちをガッツリ掴む事は人生も役に立つ、恋愛とかも。そんなこと言うもんだから生徒からの人気はある。そして佐内先生、美人、可愛い。少し童顔、ショートカットで、受け答えはビシビシ。美少年にも見えるということから女子生徒にもモテる。そして佐内先生に近づく輩もいる。僕も好き。

そして佐内先生、言うことは言う。例えば校則。この学校、校則は緩いほうなのだが、それでも指導される生徒はいる。その指導される割合が女子のほうが多い。これは世界各国でその傾向があるらしい。それを職員会議で数字をもとに指摘する。周りを納得させる。また、𠮟責される生徒が男子生徒の場合ほど先生の声が大きいなど主観に頼る話もついでに納得させちゃう。女子にだけ偏る訳ではない。やり手だ。他にもある。佐内先生は聞き上手。それだけではなく、話している相手の素敵なところを上手く引き出してくれる。

僕。僕は何から何まで普通。普通っていまいち何なのかわからないけど、まあ、普通の家庭、普通の高校、普通の大学、普通の容姿...だと思う。今に至るまで彼女がいたことは高校の時1回だけ、期間は2週間。ファミレスにその女の子と行った。ウエイトレスの女の子がハンバーグをテーブルに置こうとした時にバランスを崩しそうだったので思わず手を差し伸ばしたら熱々のハンバーグが彼女に飛んで行った。そんな僕が彼女にアピール出来るものがないか、探してみる。

ないんだよな、これが。全く考えつかない、思い浮かばない。逆のことは山ほどある。学校の駐車場で車を停めようとしたら、猫が横切って慌ててハンドルを切る。教頭先生の車にぶつける。廊下で教材を抱えていたら目の前の女子がくるっと廻ってふわっとスカートが広がってパンツが見えそうになったから慌ててくるっと向きを変えたら転んで教材が散乱する。夕立が降る。帰る際、傘を持って来ていなかった男子生徒に傘を貸す。お礼を言われてその男子生徒が傘をさしたら大きな穴が。

パッとしない。僕のアピールできるものを見つけるのは、サハラ砂漠で100円玉見つける以上に大変だ。だったら佐内先生の興味があるものをリサーチしよう。職員室の佐内先生の隣のデスク、宮島先生とのおしゃべりを盗み聞きすることにする。

・綾野剛がいい。星野源が普通だからいいとか言うけどやっぱり綾野剛。でも星野源が私の前で弾き語りするならわからない。菅田将暉も可愛い。あ、菅田将暉も弾き語りできるから、ここは思案のしどころなのである。

・クリントイーストウッドは最高だ。若い頃から今に至るまで非の打ち所がない。ダブルバーガーをブラックコーヒー、それをハンバーガー屋で立ち食いしながらスタンドにもたれかかっていたらその場で土下座もの。

・西武ライオンズ最高。

・ブラットピットとかディカプリオとかマットデイモン、あいつらのはにかんだ顔みると白飯3杯いける。マットデイモンは「ラウンダーズ」がいい。異論は認めない。

西武ライオンズ?野球、好きなんだ。僕はライバルの近鉄バファローズなんだけど。

あるBARのマスターのお話を読んだ。告白は良い戦術ではない。告白はyes/noしかない。された方にとってyesと答えるのはハードル高い。撃沈する可能性が多々ある。なので早めに軽く「好きです」、異性としてあなたを見ています、という意思表示をしたほうが良いと。なるほど。
それと作家の開高健が言ってた、BARのマスターは司祭だから何でもいうこと聞けって。なるほど。
確かに、唐突に告白なんかしたらその場でダメかもしれない。ま、絶対ダメだよね。

中間テストの採点で8時過ぎまで残っていた。顔上げると佐内先生しかいない。特に考えるところなしに佐内先生に聞く。
「コーヒー淹れますけど飲みますか?」

コーヒー淹れる事だけは自信がある。安い豆を淹れ方次第で2ランクぐらい良いものにする。
「嬉しいです!お願いします、西野先生のコーヒー、本当に美味しいですから」

その時の僕は採点で頭をフルで使い肩の力が抜けていた。周りの雑音を自分で調整できるぐらい脳の動きが研ぎ澄まされている。コーヒーを淹れ、佐内先生に近づく。佐内先生はコーヒーを一口飲んで言った。
「西野先生のコーヒー、本当に美味しいですよね。大好きです。あの安くて古いコーヒーからどうやって美味しく淹れるんですか?」

大好きです 大好きです 大好きです

もちろんコーヒーの事だ。しかし、これはチャンスなのでは。
「お湯の温度を低めにするぐらいかな、最初の蒸らしは水がいいと言う人もいるけどどうなんでしょうね、あ、そうそう、佐内先生が僕のコーヒーを好きなぐらい、僕は佐内先生の事が好きなんですよ」
そして僕は多分ではあるが自然な笑顔で自分のデスクに戻った。

あれっ、今、なんかあった? 僕は我に返る。
佐内先生は怒るでもなく、嬉しいのでもなく、まるで草原のキリンを見ているような顔つきだ。15分後、僕は採点が終わり、佐内先生にお先に失礼します、とさらっと言いのけて帰った。自分が恐ろしい。

次の日。佐内先生はいつも通りだ。僕もいつも通り。考えてみる。これ、告白だとそうはいかない。ふられた方はもう目も当てられない。逆にふった方もしんどい。同じ職場だ。そしてこの後どうすればいいんだ?ネットで検索する。出てこない。しかし、気のせいか佐内先生と目が合う回数が増えた気がする。そして気のせいか佐内先生が少し微笑んでいる気がする。どういうことだろう、たぶん気のせいだ。

そして青天の霹靂。佐内先生から映画に誘われる。人生の運を使い果たすどころか、来世の運、そして親類縁者の運を全て使い切った気がする。みんなごめん。
「西野先生、アルキメデスの大戦という映画ご存知ですか、菅田将暉が主演でなおかつ詰襟なんですよ、あ、そんな事は西野先生はどうでもいいか、第二次世界大戦の旧日本海軍中枢を描いているんですよ」

その映画全然知らなかった。旧日本海軍の映画は興味ある、しかしそんな場合ではない。例えジャニーズ全員集合、そこに乃木坂や欅坂が集結し、三山ひろしがけん玉片手に乱入する意味不明な映画でも佐内先生から誘われるなら行く。

映画館前で待ち合わせる。佐内先生、明るい青のロングスカートと白のコットンシャツ。とんでもなくかわいい。思わず口に出る。
「さ、さ、さ、佐内先生、そのろ、ろ、ロングスカートとシャツ、と、とても、い、い、いですね」
佐内先生は嬉しそうに言う。
「ありがとうございますっ」

映画で必要なのはポップコーンと佐内先生が力説するので、一番大きなポップコーンを買う。6才ぐらいの男の子が前をみないで全力で走って来る。そのまま行くと柱に激突する。思わず手を差し伸べる。男の子と僕が激突する。ポップコーンが床に全てばらまかれる。慌てて拾う、佐内先生も拾う。スタッフがきて掃除する。最悪である。映画の内容はまるでわからず菅田将暉が最後まで誰だか分からなかった。

映画館で僕の恋も終わりも寂しすぎるので佐内先生に美術館に行こうと誘う。親類縁者から奪った運をここで費やす訳にはいかない。佐内先生は笑顔で「いいですね」と言ってくれる。しかしその笑顔には何だか影があるように思える。気のせいだ。がんばれ俺。

根津美術館。千代田線表参道が下車駅だ。地下鉄に乗ると窓に姿が映る。ぱっとしない親戚のオッサンと美しい姪のようである。頭を抱えたくなる。
目の前に座っているおばあさんに聞かれる。
「虎の門病院はどこで降りればいいんでしょうかね」
赤坂だ。電車は今まさに赤坂に着く。おばあさんの手をとり、ゆっくりホームに降りる。おばあさんに虎の門病院への出口を指し示す。電車のドアが閉まる。佐内先生がドアの窓越しで大笑いしながら消えていった。
佐内先生とは表参道で落ち合うことができた。それにしても、どうなっているんだ、僕は。少しはしっかりしないと。



そんな僕に懲りずに、佐内先生は西武球場、西武ライオンズvs近鉄バファローズのゲームに誘ってくれた。佐内先生もこんな僕を誘うなんてどうかしている。

近鉄バファローズの先発は野茂。僕は近鉄バファローズのファンというより、野茂英雄のファンだ。しかし佐内先生は西武ライオンズ。チケットはもちろん一塁側。内野席だ。周りは西武ファンしかいない。佐内先生は僕が野茂英雄のファンと知るとフン、と鼻を鳴らす。
あんなわけわかんない投球フォームは邪道よ。

すぐ後ろの席にライオンズの帽子をかぶり、手作りのユニフォームを着た小学校4年生ぐらいの女の子がいる。お父さんと来たようだ。背番号3ということは清原和博のファンなのだろう。佐内先生が話しかける。
「清原のどんなところが好きなの?」
「試合中に泣くところ!」
周りがどっと沸く。清原は読売ジャイアンツに行きたくてしょうがなかったのだけど、ドラフトでジャイアンツに指名されずに泣く泣く西武に行く。そして日本シリーズで西武はそのジャイアンツを倒して日本一になる。あと一人アウトを取れば優勝の時、一塁を守っていた清原は試合中にも関わらず号泣する。僕はとんでもなくかっこ悪いと思うんだけど、佐内先生とその小4女子は清原を、かわいい、かわいいと盛り上がる。

佐内先生とその女の子が声を張り上げて西武の選手を応援するから、周りの大人たちも盛り上がる。その中のおっさんが僕に言う。
「なんかしけた顔してるな!お前の推しは誰なんだ?」
佐内先生が代わりに答えてしまう。
「彼はね、野茂が好きなんですよ、バファローズのファンなんで」
西武ファンしかいない周りがざわめく。後ろの小4女子が言う。
「あんな四球ばかりのピッチャーは西武には要らないわ!」

そうなんだ。野茂は四球がトレードマークの様なところがある。トルネード投法という相手に一度背中を見せる豪快な、今まで見たこともないフォーム。途轍もない剛球ストレートと真下に落ちるフォークボール。三振の山。しかし、四球も多い。ボールがばらけるからバッターも的を絞りきれない。言い方を変えれば四球が多いと野茂は調子が良いとも言える。

今日も野茂らしいピッチングが続く。三者連続四球、満塁にしてその後は三者連続三振。周りの西武ファンからは落胆の声が聞かれる。

ビールを売る女の子が来る。二人分頼む。売り子は20㎏ほどのタンクを背負う。売り子がバランスを崩しそうになる。思わず立ち上がり支えようとする。売り子の女の子は自分で体勢を取り戻す。僕は勝手によろけビールをぶちまけ、自分のズボンの裾が濡れる。

佐内先生は黙ってライオンズのタオルを貸してくれた。
「西野先生、私、今ある男性から結婚してくれって言われているんですよ」
瞬時に目の前が暗くなる。バファローズの光山がライナー性のホームランを放つ。全然嬉しくない。
佐内先生は続ける。
「偉そうなんですが、迷っているんですよ、もう一人の人と」

破れかぶれになって聞く。
「どちらも僕の知らない人ですか」
「あーー、西野先生、ほんと鈍いですね」
佐内先生は何故か不貞腐れている。
「一人はとんでもないお人好しなんです。あ、この話はもういいです」
目の前が暗黒になる。漆黒の闇というのはこの事か。誰と誰なんだ。

バッターボックスはバファローズの村上。振り遅れの鋭いファールボールが僕らに向かってくる。後ろの小4女子に当たりそうな軌道。立ち上がり捕ろうとする。僕の頭にヒットする。佐内先生と周りの人に球場の救護室に運ばれる。頭がふらふらする。

外傷がないため、医師から軽い脳震盪といわれる。頭でまともにボールを受け止めずに浅い角度だったから良かったと。氷嚢をもらって席に戻る。席に戻ると周りが名誉の死球と盛り上がる。僕はまるで盛り上がらない。ただ、思うのだ。僕は今までよくやった。何をよくやったのかわからないけど。このまま佐内先生を見過ごすわけにはいかない。

「佐内先生、突然で申し訳ないのですけど、結婚してください」

佐内先生は僕の目をしっかり見て言った。
「野茂から清原がホームラン打ったらね」

最悪だ。今日の野茂はボールがばらけている。だからバッターは的を絞りづらい。既に野茂は西武から10個の三振を奪っている。2種類のフォークが切れまくっている。おまけに清原相手だと野茂はむきになる。名勝負とマスコミはもてはやす。清原がいかに良いバッターであろうと今日の野茂からホームランは厳しい。

清原がネクストバッターズサークルに入る。思わず叫ぶ。
「清原!頼むぞ!」
近くのおっさんが言う。
「おお!兄ちゃん寝返ったか!」
「はいっ!」
僕は祈る。祈りに祈る。何に祈ればいいのかわからないけど、祈る。

球場のアナウンスが清原の名前をコールする。唸る。西武ファンの怒涛の様な咆哮。球場全体が揺れる。所沢の森も揺れる。清原がバッターボックスに入る。野茂がマウンドを足でならす。清原は一度バッターボックスを外して素振りを、2度、3度。5万人入った球場からは地鳴りのような響きが聞こえる。キャッチャーの光山がサインを出しているが、誰が考えてもストレートだ。野茂が大きく振りかぶる。





あの西武ライオンズと近鉄バファローズのゲームから随分たった。僕には今、子どもが二人いる。一人は人の話を上手に聞く、そしてはっきり言うちゃきちゃきの女の子だ。もう一人は妻が言うには、底抜けのお人好しの男の子。

時々、西武球場にみんなでライオンズの帽子を被って行く。近鉄バファローズはなくなってしまったけど、代わりに楽天イーグルスが出来た。今年はイーグルスにマー君こと田中将大が大リーグから帰ってくる。春が来るのが楽しみだ。



※フィクションなので色々違います。
このお話は菅田将暉と星野源、野茂/清原が同時代にいるのです。


※top画像引用元 週刊ベースボールオンライン


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