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自己紹介|はじめてのnote ①〜ギタリストとして〜

はじめまして、やぎしたと申します。横浜を中心に音楽活動をしているギタリストです。noteでは最初の投稿として自己紹介を書くのが通例のようですので、その流れに乗って書いてみたいと思います。

フリーランスのWebライターとして生きつつ、2017年頃からWordPressブログを運営している経験もあるので、そういった知見を活かした記事も今後は書いていきたいと思っていますが、それをすると非常に長くなるので今回はひとまず音楽活動だけに焦点を絞って自己紹介をしていくので、ご了承を……。

挨拶はこの辺にして、以下の記事本文ではこのnoteでの基本となる書き方となる常体(だ・である体)にさせて頂きます。Webライター・ブロガーとしての自己紹介は以下記事。


どういうギタリストか

2024年のライブ写真

僕は現在、横浜や都内を中心にギタリストとして活動している。得意なジャンルはブルースを中心に、その他ソウル、R&B、ロックンロール〜70年代頃までのロックスタイルだ。いわゆる「渋い」と表現されるタイプのギタリストである。

具体的な年齢はこのブログでは明かさないが、90年代生まれなので、ブルースギターを弾く人間の中では若手に属する。

現在、形式的に所属しているバンドは4つある。しかし、ここ半年から1年ほどは、メンバーの体調問題や家庭の事情などで全く活動できていないバンドが2つ、他のメンバーの都合が合わず3、4ヶ月スタジオにも入れていないバンドが1つ、そして最近新しく結成したばかりでメンバーもまだ完全に揃っていないバンドが1つという状況だ。

生演奏中心のバンド活動からDTMに

最もバンド活動が活発だった数年前は、月に最低1本、多い時は月3本ほどライブをこなしていたので、それに比べれば今はかなり落ち着いている。その代わり、最近になってようやくDTMにも力を入れ始めた。去年頃から参加し出したバンドで、バンマスと僕が中心となり、一部のメンバーだけで宅録ベースの作品を作ろうという話が持ち上がったのだ。(というか、自分が持ちかけた)

ドラムは打ち込みになってしまうが、僕が直接打ち込んだり、バンドのドラマーが簡易的に打ち込んだフレーズをもとに、僕がドラム音源を差し替え、ベロシティを調整したりすることで対応している。その他の楽器は生楽器で録音しており、最終的にミックスからマスタリングまでを僕が担当して作り上げようとしているところだ。

そんなわけで、ここ最近はYouTubeなどでDTMや制作関連の情報ばかり見ている。新しいことを覚えるのは楽しい。せっかく覚えたことがたくさんあるので、このnoteで発信していきたいと考えている。

ギターを始めたきっかけはGLAY

話をさかのぼると、僕がギターを始めたのは中学1年生の頃だった。GLAYのHISASHIに憧れて、当時の定番だった格安エレキギターセットをクリスマスプレゼントとして買ってもらったのが始まりだ。

母親にはあまり仲のよくない兄がいる。その兄が昔エレキギターを弾いていたらしいが、いつまで経っても拙い”Smoke On The Water”のリフしか弾けてなかったらしい。その経験から独学じゃ駄目だと思ったのか運の良いことに「習わなきゃ上手くならないんじゃないの?」と言ってくれた。

さらに幸運なことに、近くに西山毅氏(ex. Hound Dog)とその弟子の先生が教えるギター教室があったので、そこに通うことになった。最終的にこのギター教室には13歳から19歳まで通い続けたし、本当にたくさんのことを学んだ。西山先生は未だに毎年の誕生日にお祝いの言葉を送って頂いている。

音楽遍歴(中学編)〜洋楽少年になる〜

きっかけこそGLAYだったとはいえギターを初めてすぐに洋楽少年になった。

当時周りにギターを弾いている友達が全くいなかったため、入ってくる情報と言えば数冊持っていたギター教則本とギター教室の先生くらいだ。当時は今のように懇切丁寧に教えてくれるYouTubeチャンネルもなかったが、今思えばギターを始めて数年という時期にYouTubeがなかったことはむしろ良かったと思う。

教則本では「絶対に聞いておきたいギタリスト」としてエリック・クラプトンやジミー・ペイジ、リッチー・ブラックモアなど、往年のギタリストの名前ばかり出てくる。素直な性格だった僕は、ギタリストと言えばこういう人たちの音楽を聴かなければならないんだと思い、TSUTAYAでディープ・パープル、レッド・ツェッペリン、クイーンなど、とにかく目についた洋楽のCDを借りまくっていた。

初めてハマった洋楽はMr. Big

最初のうちはレッド・ツェッペリンを聴いても、何がメロディーなのかすらよくわからず、全然ハマれなかった。ディープ・パープルは「Smoke on the Water」のリフだけがかっこいいと思って、そこだけを聴いていた。クイーンはメロディアスなので、多分当時も割と好きになれていたと思う。

そんな中で洋楽を聴き始めた当初、最もピンときたのがMr. Bigだった。ハイテクで知られる彼らだが、一方で「To Be With You」などメロディアスな名曲もたくさんあったので、それまでJ-POPを聴いていたような僕にもすんなりとハマることができた。

中学の文化祭でガンズを弾く

それからというもの、GLAYなんてどこ吹く風といった感じで、すっかり洋楽一辺倒になっていった。中学3年生の頃には、ガンズ・アンド・ローゼズにめちゃくちゃハマり、スラッシュ最高!アクセル・ローズかっけー!となっていた。

中学3年生の文化祭で初めてバンドを組んでライブをやった。演奏した曲はもう1人のギタリストの選曲でベンチャーズの”Diamond Head”と”Pipeline”、僕の選曲でガンズの”Sweet Child O' Mine ”(歌なし)だった。この話も語り出すと長くなるので、いつか昔話の思い出として詳しく書きたいと思う。

音楽遍歴(高校編)〜Charにドハマり〜

おそらく高校2年生のときのライブ写真

バンド部入部

適当に受験を済ませた僕はあまり偏差値の高くないとある県立高校に入学し、そこの「バンド部」という名前で活動していた軽音楽部に入部した。ここでの3年間もまた濃く、僕にとって最高の青春時代だったのだが、長くなるのでまた別の機会に詳しく書いてみたい。

Smokyの洗礼

高校に入学して間もない頃は、ガンズが大好きといえどなんだかんだで憧れのギタリストはポール・ギルバートやスティーヴ・ヴァイなど、テクニカルな人たちだった。後ほどCharの次に好きになるスティーヴィー・レイ・ヴォーンも、中学の頃にはすでに聴いてはいたが、まだ憧れるまでには至らなかった。

そんな時、YouTubeでたまたま目にしたCharが「Smoky」を演奏するライブ映像に衝撃を受けた。

まず、ハットを被ったCharが見慣れない変な白いギターを持っている時点でなんかカッコいい。カウントから曲が始まるなーと思ったら、例のチャッチャッチャッ、チャッチャッチャッというキメのリズムに続き、ハーモニクスのギューンというアームダウン。そして、短くてコンパクトなイントロのソロ。歌詞は英語。

全てがカッコよく感じた。率直な感想は「なんだこれ、外人よりも上手いじゃないか」の一言だった。

ちなみに、その時観たと思われるSmokyの動画は多分これ。改めて今観ても非常にカッコいいし、Smokyを演奏している動画の中でもかなり出来の良い演奏だと思う。

スタジオミュージシャンに成りたかった高校時代

Charにハマってからは彼が影響を受けた音楽にも興味を持ち、クリームやジェフ・ベック、さらにはカッティングの元となったChicやEarth, Wind & Fireなどの黒人音楽も聴くようになった。

高校時代は、バンドマンというよりもスタジオミュージシャン的なポジションに憧れていたので、いろんなジャンルに精通してなければいけないと思い、とにかく色々聴いてみた。

音楽遍歴(大学以降)ブルースバンドに誘われる

大学生になった頃、抜けたギターの後任としてブルースバンドに誘われ、そのまま加入することになった。誘ってくれたのは、実は例のバンド部の顧問だったのだが、まあその話は別の話。

Charを通してブルースは知っていたし、レイヴォーンも好きでよく聴いていたとはいえ、いざ本格的なブルースバンドに加入してみると、出している音が全然違った。演奏する曲目はマディ・ウォーターズやリトル・ウォルターのようなシカゴブルースから、ジミー・リードのようなルイジアナ系、はたまたアルバート・キングのような王道ブルースギターなど、全部が異質だった。

ブルースに洗脳される

実際のところ、加入して間もない頃はそれらのオリジナルの音楽が大して好きになれなかったので、むしろ反抗してアームをギュインギュイン使ったりして、あえてブルース的なフレーズから外れるようなことを試みてた。

しかし、慣れというのは恐ろしいもので、やっているうちにだんだんとそういう音楽に魅力を感じるようになった

渋谷公会堂でデレク・トラックスを観る

デレク・トラックスにどハマりし、まだ結成されて間もないテデスキ・トラックス・バンドのライブを渋谷公会堂で観たのもこの頃だ。

渋谷公会堂でデレクを観れたのは本当にいい体験で、スライドバーと弦がこすれるノイズ音まで聴き取れるような音質の良さだった。

今では来日したとしても、武道館など大きな会場になっちゃっているので、あのときのようなダイレクトな音が伝わってくる感動はないんだろうなと思い、有名海外アーティストの来日公演自体にあまり興味がなくなってしまっている。

歌へのコンプレックスからインストバンド中心に

ブルースバンド加入の同時期に、高校の同級生と後輩とでスリーピースのインストバンドも結成した。このバンドは一言でいえばフュージョン寄りだったが、コアなフュージョンというよりはジェフ・ベック風のロック色の強いサウンドだった。他にも、後輩たちとジブリ作品のインストアレンジバンドを組んだりもした。

当時は歌うことへの憧れはあったものの、自分で歌う気にはなれず、結果として自分でバンドを組むときはインスト中心の活動をしていた。ただ、ギターでメロディーを弾くことは歌心を身につける意味で大変勉強になった。

ちなみに、現在では自分が歌うバンドもやっている

現在の音楽活動

浜松ブルースフェスティバルに出演した際の写真(2022年)

そんなわけで前述したように、現在も音楽を続けており、これからも辞めるつもりはない。アマチュアの趣味としてやっているわけではなく、ある種ライフワークだと思っている。

やっているジャンル的にメジャーデビューで一旗揚げるようなものではないと分かっているし、今時それだけを目標にするのも違うかなと思っている。

かといって、「音楽は趣味でやるのが一番」という大人の価値観にもなれない。それなりに色々注ぎ込んで本格的にやっている以上、最低限のマネタイズは自分たちのメンタルのためにも必要だと考えている。

カミーユ・ビダンの言葉を借りるならば、「遊びでやってんじゃないんだよ!」である。

2022年は浜松でのブルースフェスに出演し、久しぶりに多くの観客の前で演奏できた。また、プロのメンバーも交えた本格的なロックバンドに誘われ、100人弱の観客の前でライブを行ったのも去年の出来事だ。

noteを始めた理由

記事冒頭でも書いたように、2017年頃からWordPressを使ってブログを運営している。ここ数年はサボりがちで、2024年はブログを再開して月10万円程度の収益を目指すと意気込んでいたのだが、数記事書いた後、すぐにその勢いも止まってしまった。

ちなみに、自慢できる金額でもないが、過去の最高収益は月数万円程度を一定期間ずっと出していた頃だ。

SEO中心のブログ運営に嫌気

ここまでブログを書くのが面倒くさくなってしまった理由は、現在のブログを取り巻く環境と僕の書きたいと思っているスタイルが合っていないからだと思う。

WordPressを止めてnoteでブログを書いてみようと思ったのは、SEO中心のWordPressブログよりもnoteというプラットフォーム上で記事を書いていく方が、結果的に読まれる気がしたからだ。

もちろん、これも趣味の一環として終わらせるのではなく、noteの投げ銭や有料記事を使ってある程度のマネタイズはしたいと思っている。

おわりに

このnoteでは、SEOなどを意識するあまり、WordPressブログでは結果的に全然書けなくなってしまっていた音楽記事を中心に書いていきたいと思っている。

ここまで書いてきて思ったが、他の方々の自己紹介に比べると異常な文字数である。これでも、今回は書く内容を「音楽」だけにフォーカスして絞っているつもりなのだが、何かがおかしい。

一応、このnoteでは音楽中心とはいえ、Webライターやブログ運営者といった他の側面も僕にはあるので、需要がありそうであればそれらの記事も並行して書いていきたいと思っている。

読者の方々に楽しんでもらえるよう努力していくので、ちょっとでも気になってくれた方はいいねやフォローをしてもらえると今後の励みになります!これからよろしくお願いします。

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