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小説「W.I.A.」2-5

第2章 第5話

 翌朝、と言っても、まだ陽は完全には昇っておらず、辺りには昨夜の闇が残る時間に、それは起きた。黎明の冷めた大気を揺るがす咆哮が、山々に響き渡る。

 「皆さん! 起きて下さい! あれは『カイナ』の声です!」

 室内に、エナの叫び声が響いた。全員が起き上がり、エナに続いて小屋から飛び出した。

 すでに戸外に居た二頭のサスカッチが、山の中腹辺りを見つめ、低い唸りを発している。

  「『ジョウ』『ニノ』どうしたのですか?」

 エナが辺りを覆う冷気に、衣服を掻き合わせるようにして、二頭が見つめる方向を見ると、まだ影の中にある山肌に、松明の赤い灯が列をなして山を下って来るのが見えた。その下、ちょうどエアリアが籠っている、祭壇のある洞窟の入り口付近には、もう一頭のサスカッチが、同じように松明の列を見つめている。

 「リザードマンじゃ! ドラゴネートもおるぞ!」

 夜目の利くガルダンが叫ぶ。ガルダンはカイルに声を掛け、アルルに目配せして室内に戻ると、鎧を着る準備を始めた。鎧の着用には時間が掛かるため、その時間を稼ぐ必要がある。アルルは無言でうなずくと、一旦室内に戻り、自分のブーツと弓、そして外套を素早く身に着けながら、クロエとマールに指示を出した。

 「ガルダンとカイルの準備が整うまで、時間を稼ぐわ! マール、『飛翔閃光弾』を!それからクロエ、ここでエナとマールをお願い!」

 マールから飛翔閃光弾を受け取ると、エアリアは風に乗って、まさに空中を走るようにして、祭壇の洞窟へと向かう。

 「ジョウ、ニノ! カイナと共に祭壇を守りなさい! 一匹たりとも中に入らせてはなりません!」

 二頭のサスカッチも、エナの指示を受け、転がるように斜面を登って行った。その時、アルルの放った飛翔閃光弾が、周囲を明るく照らし出した。見えたのは、重装備のリザードマンと、その隊列のところどころに混じっている、ひと際大きな生き物だった。リザードマンよりも二回りは大きいその生き物は、長い首を持ち、まるで二足歩行をするドラゴンに見えた。武器も持たず、鎧も来ていないが、全身が鱗で覆われ、遠目にも力強さのわかる堂々たる体躯を持っていた。

 突然空を覆ったまばゆい光に、隊列は足を止め、しばしその光を見つめているようだった。その列は、『傷跡』まで続いており、そこから続々と新たなリザードマンやドラゴネートが姿を現していた。現在山肌に見える数だけで、30体以上はいるだろう。『傷跡』近辺にも同じくらいのリザードマンがいる。

 そのうち、一体のドラゴネートがアルルの存在に気付いた。金属同士が擦れ合うような声で、周囲のリザードマンに指示を出したようだ。付近にいた5、6匹が、アルルの方に向かっていく。

 「いけない! アルルが孤立してる! 二人はまだなの?」

 クロエがマールを見た。マールはどうしたら良いかわからず、室内に目を向けた。二人とも、まだ鎧を着込み終わっていない。マールは室内に駆け戻り、二人の鎧の装着を手伝った。鎧は通常、分厚い革でできた「鎧下」と呼ばれる服を着てから着用する。鎧は斬撃や刺突は防げても、衝撃は防ぐことができないのだ。

 例えば、リザードマンの蹴りを喰らえば、その巨大な爪で皮膚を破られることはなくても、衝撃で骨を折られたり、筋肉に重大な損傷を引き起こす可能性がある。それを防ぐ役目を負っているのが鎧下で、内側が柔らかい革、外には硬い革を縫い合わせた二重構造になっており、その中に綿や樹脂を詰めて、衝撃を和らげる働きをさせるものだ。伸縮性は全くなく、完全なオーダーメイドで、それだけでも着にくいというのに、分厚くて動きが制限されるのだから、すんなり進むはずがない。

「ふ、二人とも! 急いでよ! アルルが危ない!」

「わかっとるわい! マール、手を貸せ!」

言われるまま、マールは特に遅れているガルダンの着込みを手伝った。鎧下を引っ張り、革当てが正常な位置に来るように調整し、留め具を止め、紐を結ぶ。ようやくガルダンの鎧下が着終わった頃、カイルは盾と槍を手に、戸外へ出るところだった。

「ガルダン! 先に出るよ!」

「おう! 儂もすぐ追う! よいか、ドラゴネートに気を付けろ! あやつはブレスを使うぞ!」

「わかった!」

 カイルが出ていくと、マールが鎧の留め具を調整している間に、ガルダンがブーツを履いた。このブーツにもある程度の防御性能を持たせているため、非常に履きづらいのだ。

「ええい! この役立たずブーツめが! 言うことを聞かんか!」

「ガルダン、落ち着いて! 左右が逆だよ!」

 慌てて左右を変えると、今度はすんなりと履けた。憮然とするガルダンに構わず、マールは鎧の胸当て部分をガルダンに被せた。左右の留め具を止めている間に、ガルダンが皮手袋を着ける。それが終わると肩当と肘当だ。最後に兜を被せ、顎ひもを締めれば、鎧の装着は完了する。ガルダンは腰の左右に手斧を二本ずつ差し、両手で大型の戦斧を持った。

「ガルダン! 気付けだよ!」

 そう言って、マールはガルダンの口にブランデーを瓶ごと当てがった。たっぷり三回、ガルダンの喉が上下したのを確認して、瓶を放す。

 「ぷはぁ! マールも分かってきたようだのう!」

 カイルから遅れること数分、一行のうちで一番頼りになる男が、豪快な笑いと共に小屋の外へ飛び出した。マールも自分の盾とバッグを持って、それに続いた。

 アルルはシルフに乗って、地面から浮いた状態でリザードマンを迎え撃った。既に狙いすました矢で、3体のリザードマンを倒していた。4本目の矢は、相手の盾に防がれてしまった。これ以上近付かれては分が悪いと判断したアルルは、そのまま後退しながら斜面を下り、祭壇の入り口に近付いて行った。

 サスカッチのジョウとニノは、祭壇の入り口にいたカイナにエナの指示を伝えた。カイナは、一番体の小さいニノを入り口に残して、ジョウと二頭で隊列の先頭を進むリザードマンに突進していった。途中からジョウが斜面を斜めに駆け上がり、列の中段を襲う素振りを見せると、果たしてリザードマンたちは、どちらを警戒した方が良いのか、迷いを見せた。そして、その迷いが致命的な対応の遅れに繋がった。

 カイナは先頭のリザードマンに体ごとぶつかって行き、その後ろを進んでいた2匹を巻き込んで倒すと、起き上がりざまに4匹目のリザードマンの脳天に、両手を結んだ打撃を叩き込んだ。両目が飛び出るほどの衝撃を受けたリザードマンは即座に絶命し、カイナはそのリザードマンの尾を掴むと、振り回して次々とリザードマンを斜面から突き落とし始めた。

 ジョウは、手近な岩を掴むと、さらに上方を進んでいたリザードマンに、次々と投げつける。その太くて長い腕から繰り出される岩の威力は凄まじく、一撃でリザードマンの膝を折り、頭を潰していった。残されたニノが入口前で両手を叩いて飛び上がり、兄二人の活躍を喜んでいるようだった。

 クロエは、カイルが装備を整えて現れると、簡単に戦況を説明した。その時、アルルが二発目の飛翔閃光弾を空に放った。それはより『傷跡』を照らし出すように打ち出され、その付近にいたリザードマンたちに軽い恐慌を起こさせる。

 「とにかく、あの出口を塞がないことにはどうしようもない! いい? これからあなたと二人であの山の割れ目に『転移』するわ! 私が魔術で何とかしてみるから、あなたはその間の私を守って。」

 「お二人に『守護』を与えます! 少しは足しになるでしょう! すでに出てきたリザードマンはカイナとジョウで対処します! 祭壇の入り口はアルルとニノで!」

 そう言うと、エナは印を結び、短い詠唱に入った。光のベールが二人を包み込み、やがて消えた。

 「じゃあ、行くわよ!」

 今度はクロエの番だった。カイルの肩に左手を置き、短い呪文を唱えながら、胸の前で右手を横に振ると、そこに光でできた巻物が現れた。クロエの手振りに寄って巻物はひとりでに開かれ、書いてある文字が宙に浮かんでは、消えていく。全ての文字が空中に消えた時、クロエとカイルの姿はかき消すように無くなり、『傷跡』の前に現れた。

 そこに、ガルダンとマールが小屋から出て来て、エナに並んだ。

 「なんじゃ! ほとんど片付いておるではないか!」

 カイナとジョウの活躍は素晴らしかった。リザードマンが山地への適応に手間取っている間に、地の利を生かした連携を見せ、ドラゴネートのブレスも岩陰に身を隠して躱し、リザードマンの身体を投げつけて目標を逸らせた。攻撃の的を一つに絞らせない戦い方で、山肌を下っていた列をほぼ二頭で壊滅に追い込んでいた。

 ガルダンは出遅れたことを悔しがっていたが、マールはホッとした気持ちの方が強かった。自分の攻撃手段と言えば、カバンに入っている4発の炸裂炎上弾が全てと言える。いかにも心もとない。こんなことなら、もう少し作っておけば良かった。

 『転移』の魔術で傷跡の真正面に現れたクロエとカイルは、十分の距離を取ってはいたが、数の上では絶対的に不利な状況だった。カイルが相手の出方を窺い、槍を構える後ろで、クロエは両手を縦横に振り、光の巻物を次々と自分の周りに浮かばせた。その全てから、文字が空中に浮かび、文字列を作っては消えていく。その光は、マールの位置からでもはっきりと見て取れた。今やクロエの周囲は、前後左右、全ての方向に様々な光の巻物が現れ、クロエの姿を覆い隠す勢いだ。

 「・・・あれは・・・クロエはかなりの術者なのですね? 同時に複数の魔術を使うつもりのようです!」

 「第四階層までを終えて、秋には第五階層の考査を受けると言っていました!」

 「それはすごい! あの若さでその域に達するには、余程の天賦の才があるのですね。」

 エナは、魅入られたようにクロエの姿を見ていた。マールも同じだった。今やクロエの姿は様々な色の光が輝く、柱のようになっていた。

 その時は、ふいに訪れた。クロエの周囲から一切の光が瞬時に消え、東から差し込んできた朝日を受けて、風にたなびいたクロエの赤い髪がキラキラと光るのが見えた。クロエが高々と挙げていた手を、勢いよく振り下ろした。

 突如、カイルの前に現れた五つの火球が、横に広がりながら『傷跡』へと向かった。それとほぼ同時に、『傷跡』の前にいたリザードマンの集団に、カーテンのように広がった雷光が襲い掛かった。それはまるで、雷でできた紫色の蜘蛛の巣のようだった。その蜘蛛の巣のところどころに、リザードマンやドラゴネートが搦め捕られ、体から炎や煙を上げている。激しい雷に、生きながら体を焼かれているのだ。

 そこに、5つの火球が襲い掛かる。火球はリザードマンを通り越し、その後ろ、『傷跡』の上部にぶつかった。火球は爆音とともに炸裂し、『傷跡』の天井部分を崩落させ、中から外に出ようとしていたリザードマンたちを生き埋めにした。濛々とした土煙が晴れると、『傷跡』はほとんどが崩れた岩と土砂で塞がれていた。 

 「す・・・すごい・・・あれが、魔術の力・・・。」

 「いえ・・・私の知る『火球』と『迅雷』の魔術の比ではありません・・・。あれでは体が・・・。」

 エナがそう言い掛けた時、クロエの身体がぐらりと揺れ、横ざまに倒れた。魔術の衝撃に驚いていたカイルが、我に返ったようにクロエに向かう。

 「やはり!」

 エナの行動は迅速だった。口笛を吹いてニノを呼ぶと、自分も斜面を駆け登り始めた。ニノは、祭壇の入り口からエナの元に駆け付けると、その体を背に乗せ、手を前足のようにした四足走行でクロエの元へ向かった。それは、凄まじい速度だった。

 クロエは、気を失っていた。一時に魔力を使い過ぎたのだ。

 「クロエ! クロエ、しっかり!」

 カイルがクロエを抱き起し、必死に呼び掛けるが、目を覚ます様子がない。そこにニノに乗せられたエナが到着する。エナはクロエの額に右手を当てると、言葉の詠唱を始めた。

 荒い息を吐きながら、カイナとジョウも現れる。山肌のリザードマンは、ドラゴネートも併せて、この二頭に駆逐されていた。どちらも、返り血で体のところどころが青緑に染まっていた。ニノが近寄ってその臭いを嗅ぎ、顔を顰めた。

 「クロエは・・・大丈夫かな・・・?」

 「わからん・・・だが、エナ殿がおれば、大丈夫であろう・・・。かなり慌てた様子ではあったが・・・。」

 マールとガルダンは、小屋の近くからエナたちの様子を見上げていた。気付くと周囲は明るくなってきており、アルルも弓を持ちながら、不安げに『傷跡』のあった場所を見つめていた。

 エナが詠唱を続けていると、クロエの瞼がぴくぴくと動き、やがてクロエは意識を取り戻した。心配そうにのぞき込むエナとカイルの顔に気付くと、力のない笑顔を浮かべる。

 「アハハ・・・さすがに、少しきつかったみたい・・・。」

 「当たり前です。『火球』を5つも飛ばした上に、同時にあれほど広範囲に『迅雷』を展開するなど・・・。普通なら、10人掛かりの魔術でしょう・・・。」

 「でも・・・どうやら気絶した甲斐はあったみたいね・・・?」

 「ああ! 30匹くらい、一気に全滅だよ! いや、出てこようとしてたのも併せたら50匹はいたかも! 『傷跡』も塞がったし、もう大丈夫! すごいよ、クロエ!」

 カイルは明らかに興奮しているようだった。今までに何度か魔術は見ているが、これほど大規模なものは見たことがない。実際のところ、ほとんどの人間が見る機会などないであろうほど、大規模なものだったのだから、当たり前のことではあるのだが。

「とりあえずは、これで良いでしょう・・・しばらくは小屋で寝ていて下さい。・・・ニノ、この方を小屋まで運んでちょうだい、あなたたちも、よくやったわ。」

 エナがカイナやジョウの働きを労う。カイナもジョウも、先ほどまでの荒々しい側面は姿を消し、まるで幼子のようにエナに甘えかかっていた。

 最初は、爆発音の余波が耳の奥に残っているのかと思った。しかし、それは徐々に大きさを増し、微細な振動を伴う地響きとなり、やがて山を揺るがす振動となった。

 「地震です! 大きい!」

 エナがそう叫んだ時だった。

 どんっ!

 という音と共に、文字通り山自体が下から大きく突き上げられた。その威力は凄まじく、カイナやジョウですら、まともに立っていることが出来ずに両手を着いた。

 マールとガルダンは、地面に転がるように投げ出された。クロエとエナはニノとカイナが支えたが、カイルは槍を地面に突き立て、片膝を着いた。やがて揺れが収まり、ゆっくりと全員が立ち上がった時、アルルの姿が消えており、アルルが立っていた地点には、大きな地割れが出来ていた。

 それは、祭壇の入り口から、わずか数十mの位置だった。



「W.I.A.」
第2章 第5話
了。



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