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小説 「ベビーブーム狂騒曲(裏)」


        ※※※   注意!!   ※※※
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「賛成多数により、『新生児特例措置法案』を可決します。」

 国会中継を食い入るように見ていた私は、思わず机に拳を叩きこんで舌打ちをした。
 これでは、今までやってきたことが水泡に帰す。

 これで、来年の4月から5年の間に子供を産んだ夫婦には、一人目で3000万円、二人目なら5000万円、3人目には1億円が、いかなる制限も受けずに支払われることとなった。しかも、その子供たちが22歳になるまでは、食費、医療費、教育費が全て無償になる。さらに子供を持った夫婦は、住宅を半額で購入でき、ファミリーカー限定ではあるが3年ごとに新車が支給されるのだ。

 2040年現在、少子化は深刻な社会問題となっていた。出生率が1を割り込んでから3年が経ち、減税や補助金などの措置がチマチマ取られてはいたものの、数字の低下に歯止めを掛けられなかった政府が、とうとう思い切った政策を講じたのだ。いわば、人為的に「ベビーブームを生み出そう」とする政策だ。

 私の名前は片岡英雄。今年29歳になる会社員だ。と、言うのは「表向き」のことで、裏ではある組織のために、日本を弱体化させる目的を持って活動している。無論、名前も偽名だ。その組織が一番力を入れて取り組んできたのが、少子高齢化による国力の減退だった。古来より、子供が減って栄えた国などないのだ。その作戦は見事に功を奏し、順調に子供を減らして来ていたのに、まさかこの国の政府が、こんな思い切った政策を取るとは。組織の上層部にも予想外のことだっただろう。

 今後、組織からどんな指令が下されるかはわからないが、今まで通りできるだけ目立たず、マジメだけが取り柄のつまらない男を演じ続けて時をまとう。

 幸いにして私の職場での評価は最低限だ。上司や他の社員からはもちろん、パート従業員や学生アルバイトにまで軽んじられ、自然と「避けられる」存在になり切っていた。だが、今のこの立場を失わないために、勤怠だけには気を付けていたし、シフトの交換を申し出てこられた場合は快く応じ、断ったことがない。 
 つまり、「無能だが便利な男」なのだ。

 会社員とは言え、実のところ私の仕事はスーパーの店員だ。一応親会社に就職してこの部署に配属されたのだが、はじめはこの顔を曝すことになる仕事は、真の仕事の弊害になるのでは、と不安になった。だが、始めてみると勤務時間は短いし、夜間は100%フリーになるし、思ったほど目立たない。誰だって、買い物に来たスーパーの店員など、いちいち記憶に留めないだろう? 

 私の焦る気持ちとは裏腹に、組織からはなんの指令もなかった。おそらくは政策の経過を見守り、それから対応策を考えるのだろう。それとも、何も打つ手がない、ということなのか? 

 そんな時、私に近付いてくる女がいた。名前は板垣リリコ。今までは何の接点もなかったのに、急に話し掛けてくるようになり、私の仕事を手助けしてみたり、菓子など手渡してきたり、妙に付きまとうようになった。

 私はすぐに組織に報告を入れ、この女が何者なのか調査してもらうことにした。その答えはこうだった。 

 「偽装身分の盤石化に向けて、その女と昵懇になれ。」

 なるほど。確かに、30歳を目前にして独り身と言うのは、偽装の維持から考えても好ましいことではない。この国では、「家族を持ってようやく一人前」という、前時代的な考えが未だに根強く残っている。社会的な身分を確立していくためには、「結婚して家庭を持つ」ということは非常に重要なポイントとなるのだ。

 とは言え、勘が鋭く、賢しい女が相手では困る。こちらの行動をいちいち束縛してくるような女もダメだ。だが、調査結果から見ても、この女にその心配はなさそうだった。生まれた時からコンプレックスを抱え、ろくな教育も受けていない。美人というわけではないが、目立つほどに不細工ということもない。申し分のない相手に思えた。

 私は、常に彼女に主導権を握らせるように振舞い、彼女との関係を一生懸命に維持していこうと努力する男を演じ、着々と関係を構築していった。周囲の好奇の目が鬱陶しかったが、正式に付き合うことになった辺りには誰も気に留めなくなったようだった。

 そしてその年のクリスマス、世間の例に漏れず、私たちも始めて肉体関係を持った。いわゆる「お約束」というやつだ。彼女は若い頃から相当遊ばれてきたのだろう、22歳だというのに、だいぶ使い込まれた形跡のある体だった。そのくせ、妙にしつこい。最後の方には無性に情けなくなってきて涙をこぼしたが、彼女はそれを、童貞を失った男の感動の涙と捉えたようだった。実に他愛ない。

 それからも、彼女はほぼ会うたびに関係を迫って来て、いい加減に辟易し始めた。それに避妊を極端に嫌がるのだ。感じ方がどうのと言っていたが、こちらとしては薄いゴムでもないよりはいくらかマシになるはずなので、本当はゴムを付けたかった。大体、こういう議論は普通、立場が男女逆で行われるものではないのか?

 だがある時、私は彼女が避妊を嫌がる本当の理由を知ることとなった。それは、あの「人為的ベビーブーム政策」だった。幼い時から貧乏だった女が、人生を逆転させるために浅はかな知恵を働かせたに違いない。彼女は殺意のこもった目で、適用者第一号が田岸総理から目録を受け取っている場面を睨みつけるようにして見ていた。 

 なるほど。見栄えが悪く人から気持ち悪がられるような男をあえて選んだのは、子供さえ作ってしまえば捨ててしまおうという魂胆があったからに違いない。別れる理由などいくらでも見つけられるし、またその理由を周囲も何の不思議もなく受け入れることだろう。 

 そうはさせるものか。これまでの手間と労力をこんな女に無駄にされるのは、何としても避けなければならない。それに、組織への体面もある。この程度の女一人をコントロールできないと評価されたら、組織内での立場も危うくなる。

 私はまず、それとなく自分の住むアパートの愚痴をこぼしたり、近所に新しいマンションが建ったというような話を、会話の端々に紛れ込ませた。案の定、彼女は私に同棲を迫ってきたので、喜んだフリをしながら、「せっかくだから」と新築のマンションで同棲を始めることにした。もちろん、家財道具を含め、費用一切をこちらが出し、「ある程度の貯金」があることを匂わせておく。元々金が目当てなのだから、これで簡単に捨てるようなことはしないだろう。家電も家具も量販店で安物を集めたのに、彼女は満足そうだった。どこまでもバカな女だ。

 だが、この同棲が私を大きな苦しみに陥れた。彼女は毎日毎日、執拗に体を求めてくるようになったのだ。正直、これには本当に参った。「組織からの評価」という一事がなかったら、とっくに絞め殺してるところだ。

 それでも、さすがに限界を感じ、私は新たな一計を講じた。今までは妊娠しないように疑似精液を使って射精したように見せかけていたのだが、それを止め、あえて妊娠させることにしたのだ。その際、「私の両親」を登場させ、「結婚」を意識させるよう仕向ける。

 その計は見事に図に当たり、陽性反応から両親への挨拶を一気に済ませた後、彼女のお茶に薬を入れて子供を流した。これにはいかに組織のためとは言え、いささか良心が痛んだものだが、今はまだその時ではない。 

 こちらの予想に反し、彼女はそれほどショックを受けている様子でもなかった。少し意外な気もしたが、これでしばらくは性生活から解放されると思うと、浮かび上がろうとする笑みを堪えるのに必死だったので、すぐに意識から離れていった。

 その年のクリスマス、私は彼女にプロポーズをして、受け入れられた。組織から、今の職場を辞め、とある小さなソフト開発会社で開発中のソフトをそっくり奪い取るという新しい指令が降ったのだ。

 私は今の職場で副店長という地位を与えられていて、給料もそれなりに上がったので、怪しまれないためには、それなりの退職の理由を作る必要があった。結婚と言うのは、その動機として十分なインパクトがある。転職による経済的な不安を彼女に抱かせないため、両親からという名目で家を建てた上に、祝い金として300万をもらったことにした。 

 私は新しい職場に移り、そこでは同年代の社長に取り入って、自分の立場を上げていった。ここの匙加減が難しい。先任の社員たちから反感を買わないよう、細心の注意を払いつつ、ソフト開発の最前線に携わる必要がある。特に専門的な知識があるわけでもない私が選んだのは、「社長の秘書にして相談役」という地位だ。「気の置けない友人」という言い方もできる。これなら、特に給与面で優遇されることもなく、全ての報告が私を通して上がる仕組みを構築できる。それなりに時間は掛かるだろうが、事前に調査した社長の趣味嗜好を、さも偶然かのように小出しに披露していくことで共通の話題ができればこっちのものだ。

 その辺りの生活が、忙しさのピークとなるだろうと判断した私は、日中の仕事に全力で取り組むため、また彼女を妊娠させ、そして流産させた。今度はさすがに彼女も堪えたのか、医者から性生活の解禁を示唆されても、私を求めてくることはなくなった。 

 だが、彼女はそんな殊勝な女ではなかった。組織からの報告で彼女の浮気を知った。相手は若い男ばかりで、多い時には日に3回、相手を変えて行為に及んでいるという。なるほど、特例措置期間も終了が迫って来て、いよいよ焦り始めたらしい。バカはバカなりに、血液型だけは気を付けているようだが、私との行為がないのに妊娠したら、それは疑いようのない浮気の証拠となることなどは、気にしていないようだ。

 私はその報告を聞いたとき、怒りや呆れよりも、笑いがこみ上げてきてどうしようもなかった。なんという愚かな女なのだろう。だが、もしかしたら愛すべきバカなのかも知れない。とは言え、今は大事な時だ。間違っても彼女が妊娠することなどがないよう、彼女の相手として性病持ちの男を送り込んだ。何も知らない彼女は見事に性病を移され、浮気のためのホテルではなく病院に通うことになり、私は仕事に集中することができた。

 彼女の性病も完治した頃、また彼女が私を激しく求め始めてきた。仕事で疲れていると言っても、体調が良くないといっても、容赦なく求めてくる。いよいよタイムリミットも迫っているから、無理もないことなのだが。彼女は私の健康にも気を遣い始め、刺激的な下着や試したこともない体位を取らせて私を夢中にさせようとした。まあ、こちらとしても悪い気はしない。それに、性病の影響からか、彼女の具合が格段に良くなったのだ。炎症の痕跡なのだろうか、今までにない刺激を私に与えてくれた。こちらも余裕がなくなって来て、何度も本気で彼女の中に精を放ったが、結局彼女が妊娠することはなかった。

秋が始まる頃、彼女は落胆の色を隠そうともせず、呆けたような顔をして毎日を過ごしているようだった。こちらも全ての事情を知っているから、彼女の落ち込みようも理解はできたが、会社ではいよいよソフトが完成に近づき、私は表に裏に、多忙の極致でそれどころではなく、そのまま放置しておいた。やがて彼女は精神を病んだ。

 しかし、とうとうやった。私は秘密裏にアメリカの上院議員と接触し、会社が開発したプロトタイプのソフトを使って交渉を進めていたのだが、それが実を結んだ。そのソフトは交通関連のソフトで、渋滞問題に悩むアメリカの交通管制に劇的な改善をもたらすような、画期的なものだった。その上院議員は、素知らぬ顔でそのソフトを自分の会社で完成させ、あたかも0から開発したかのように世界に向けて発表する。

 その前に、私は「妻の看病」を理由に会社を辞し、上院議員の会社に籍を移す。もちろん、別の人間として。私はその会社の株の34%を報酬として受け取り、以降はその会社で表には出ないが、役員として少なくない役員報酬を手にすることだろう。かわいそうなのは元の会社の社長だ。私が退職する理由を告げた時など、今にも泣きそうな顔で少なくない額の見舞金まで渡してきたのだから、おめでたいものだ。あと少しで開発が完了する、社運を賭けたソフトを掠め取られているという事実に、今話しているのがその張本人だということに、気付きもしない。まもなく、本当の涙を呑むことになる。平和ボケした人間に似つかわしい末路だ。

 終戦直後から国民性を骨抜きにしてきた側の人間が言うのもなんだが、古くは国中が戦乱の渦に巻き込まれながらも数々の英雄を輩出し、近年はほぼ独力で世界を相手に戦い抜き、アジアの大半を手中に収めたこともある国とは思えないような悲惨な凋落ぶりに、思わず目を背けたくなる。

次の夏が過ぎ、彼女の病気もほぼ治り、断薬にも成功したある冬の日、今の私の会社がアメリカ政府と正式に契約を結んだことを大々的に発表した。このあと日本やヨーロッパでも同様の発表が続けられるだろう。株価は垂直に跳ね上がり、私は大金を手に入れた。と、同時に私を経由して、組織も莫大な金額を手に入れることになる。

だがそれは、本当の目的ではない。これは事実上、アメリカ、ヨーロッパ、日本などの交通管制を、組織が抑えた、ということだ。いざとなれば交通を完全に麻痺させ、経済活動に深刻な打撃を与えることができる。また、有事の部隊の展開を阻害し、補給もままならない状態に陥れ、戦端を有利に開くこともできる。さらに、このソフトを応用し、航空や鉄道、船舶までを同時に管制できる「統合交通管制ソフト」も実証試験に入ろうとしている。実現すれば、戦わずして戦争に勝つことすら可能だろう。

必然的に、私の組織での立場も大いに上がる。組織としての活動で、これほどの成果をもたらした作戦は、他にない。いや、世界中の名だたる諜報機関を相手にしても、ここまで大きな成果をもたらした作戦などないだろう。まさに、世界の縮図を一気に書き換える可能性のある、比類なき大きな勝利だ。

私は様々なところからの問い合わせに対応する部下たちを置いて、自宅へと戻ることにした。いろいろあったが、なんだかんだと私にとっては非常に都合のいい存在であり続けた彼女に、少し報いてやっても罰は当たらないだろう、と考えたからだ。

帰り道、百貨店の花屋でバラの花を買い占め、上半身が隠れるほどの花束を作らせた。車のトランクに入りきらず、仕方なく後部座席を占領する形で家まで運ぶ。道すがら、聞いたことのある名前の男が、どこかの山奥で死体となって発見されたというニュースを聞いた。自殺のようだと言う。 

 家に着くと、彼女に仕事が大成功を収めた事実を興奮した口ぶりで伝え、彼女を抱え上げてリビングでクルクルと回転する。 

 「そんな忙しい時に、早く帰って来て大丈夫なの?」

  彼女が私に尋ねる。
  私が、

 「うん、そんなことより大事なことがあるだろ?」

 と伝えると、彼女は不思議そうに私を見つめる。
 私は語を継いで、

 「今日は、リリと付き合うことになってちょうど5年目の記念日だよ!二人の全てがここから始まったんだ!これ以上に祝うことなんて、他にないだろ?」 

満面の笑みでそう言った。瞬間、彼女が幼子のように声を上げて泣き出した。私は一瞬驚いたが、まあ彼女は彼女なりに、思うところがあるのだろう。

その様子を見ているうちに、今までに感じたことない感情のうねりを感じた。何かのスイッチが、「パチン」と音を立てて入ったようだった。

正直に言うと、それから先のことは覚えていない。気が付くと、彼女を組み敷き、激しく責め立てていた。今までの演技を忘れ、ただ一個の雄となってひたすらに体を動かした。

やがて、今までにない、とても大きな波が、すぐそこまで来ているのを感じた。感じたところでもはや何もなす術がないまま、私は本能に任せて欲求を解放した。



 次の夏、うだるような暑さの中で、彼女は子供を産んだ。

 あれほど熱望しても授からなかった命だ。

 それも、一度に二人。


 これがもう半年も早ければ、彼女は8千万円を手にしていたことだろう。

 私とは、それでおしまいだったかも知れない。


 今となっては、それならそれで良かったのだが、こうなった以上仕方がない。子供は組織で育てよう。いずれ私のような活躍をするかも知れない。

 彼女は、もはや不要だ。私については何も知らないだろうが、確実を期す必要がある。だがもう少し、せめて子供が1歳を迎える頃までは、母親は何かと必要だろう。それまでは、せいぜいいい暮らしをさせてやろう。それくらいの権利は与えやってもいい。 

そうだ、今年の年収は1億8千万ということにしてやろう。
皮肉が効いてて、いいじゃないか。


「ベビーブーム狂騒曲(裏)」
了。



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