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小説「わたなべなつのおにたいじ」⑧

翌朝、私は8時に家を出ることにした。鬼丸は昨日と同じように、刀にしてスポーツバッグに詰め込んだ。駅には交番もあるけど、見つかったらどう言い訳したらいいんだろう?

清明と博正には悪いけど、やっぱり私は一人で動いた方がいいと思った。学校でも、ちょっと距離を置こうと思う。むしろ、しばらく休んだ方がいいのかも知れない。

 玄関を出て、門から道路に出ると、私の家の塀に寄りかかっていた清明と鉢合わせた。

 「よお、どこ行くんだ?」

 「き、清明!何してるの?」

 「それはこっちが聞きたいな。まさか、一人で駅に行こうとしてたわけじゃないよな?」

 清明は肩に掛けたスポーツバッグをじっくりと見てから、私に視線を戻した。私はモジモジしながら俯くしかない。その様子を見て、清明がため息をついた。

 「はぁ、こんなことだと思ったんだよ・・・。いつになく素直だったからな、博正と交代で一晩見張ってたんだぜ?」

 そう言うと、清明はスマホを取り出して電話を掛け始めた。二、三言で電話を切ると、まもなく博正が清明の家から出てきた。

 「やっぱり。見張ってて良かったね。」

 博正が清明とハイタッチをして、ニヤニヤしながらこちらを見ている。

 「ごめん!私・・・。」

 「いいよ、お前がそう考える気持ちも、わかるんだ。これ以上人を巻き込みたくないんだろう? でも、俺たちは別だぜ。」

 「そうだよ。僕は・・・僕たちは、那津と一緒に戦いたいんだ。」

 「うん・・・。」

 「これで懲りたと思うけど、抜け駆けはもうなしで頼むぜ? こっちも毎晩見張るわけには行かないからな。こっちも那津を信用してるんだから、那津も俺たちを頼れよ、な。」

 清明が私の腕を叩き、これで終わりというように駅の方向に歩き始める。博正も、大きくうなずいて同じように歩き始めた。私も後を追って、三人で並んで歩く。

 土曜日の朝8時台ということもあってか、歩いている人はまばらだった。駅に向かう途中、清明が調べた鬼についての話や、私の御先祖の話を聞かされた。きちんと私の頭でも理解できるようにわかりやすく解説してくれるのがありがたい。それに、鬼にも吸血鬼のような弱点がいくつかあるのだ、という。もちろん実際に試してみないと効果は定かではないが、試してみる価値はあるだろう、ということだった。

 「面白いのがあってね、鬼は、綺麗な音楽が嫌いなんだって。特に、音の高い笛の音が苦手みたいなんだよ。もしかしたら、僕のフルートが何かの役に立つかも。」

 博正が興奮した様子で話し掛けてきた。

 「実際、あの鬼界の音ってのは、ひどいもんだった。太鼓のほかに何か金属的な音もしてたけど、リズムもテンポもめちゃくちゃだし、逆にどうしたらあんな不快なメロディが出来上がるのか不思議だよ。少なくても鬼ってのは、音楽的なセンスはゼロだね!」

 博正が、一気にここまで話すのも珍しいことだと思った。そんな様子を清明が愉快そうに見つめていた。

 駅に着くと、案内板を見ながらコインロッカ―へと向かう。券売機と駅事務所の向かい側に一か所、西口と東口のエスカレーターの近くにそれぞれ一か所ずつあることが分かった。

 とりあえず、一番近い券売機前のコインロッカーから当たってみることにしたが、ここには1番から56番までのロッカーしかなかった。と言うことは、目当てのコインロッカーは東西どちらかの出入口付近にある、ということだ。東口に向かうと、そこは57番から始まっている。コインロッカーの数からして、72番のロッカーはここにあるはずだ。

 「ここみたいだな」

 列の、中央からちょっと左寄り、一番下の、他のロッカーよりも少し縦長のロッカーに「72番」の表示があった。私は鍵を取り出すと、鍵穴にはめて、鍵を回す。カシャっという音とともに、コインが下におちる音が聞こえた。取手に手を掛けると、扉が開く。

 中には、小型のスーツケースと使い込まれたリュックサックが入っていた。

 取り出してみると、スーツケースもリュックも、ずしりと重い。中身は帰ってから確認することにして、私たちはそれぞれ荷物を持って、元来た道を引き返そうとした。

 「ちょっと待てよ。」

 清明がそう言って、財布からコインを取り出すと、72番のコインロッカーの鍵をまた掛けた。中には何も入っていないのに。

 「ほら。」

 そう言って、鍵を私に渡す。

 「え・・・?」

 「おじさんが最後に持ってた鍵だぜ?お守り代わりに持っておけよ。」

 本当のところ、私もそうしたい、と思っていたけど、次に使う人が困るだろうと思って我慢していた。

 「でも・・・。」

 「大丈夫だって。二、三日したら、紛失したことにして届け出るから。」

 「そうだよ。ほら、あそこにも『紛失の場合は3000円』って書いてある。つまり、鍵を無くす前提で作られているんだよ、このロッカーは。」

 その意見には、私も清明も賛同しかねた。でも、それくらいなら私にでも払える。お金で済ますみたいでちょっと後ろめたい気もするけど、これは手から手へ託された、唯一のものだし、これくらいは大目に見てもらおう。

 「それに・・・気付いてたか?その番号。」

 清明にそう言われて、あらためて鍵を見る。

 72番。最初は何のことか分からなかったけど、72つまり「なつ」だ。

 「・・・あっ!」

 「俺は、おじさんが偶然その番号を選んだとは思えないな。たぶん、那津のことを想ってあえて選んだ番号だと思うぜ。」

 そう言われると、このただの鍵が、なんだかとても大切な物のように思えてきた。そうか、お父さんが選んだ番号・・・。

 私は大きくうなずいて、鍵を上着のポケットにしまった。


 それから三人で、博正が住むことになったマンションに行くことにした。どっちにしてもこの先行き来することになるだろうし、中身がなんであれ、保管するのならマンションはセキュリティ面でも一番安全だろう、という清明の判断だった。

 一つ目の自動ドアをくぐると、インターホンと管理会社に連絡を取れる電話が設置された、未来的なデザインの台がある。鍵を持ってない人は、ここで部屋番号とインターホンを押して、中から開けてもらうのだという。博正は鍵を持っているので、特に何をするでもなく、二つ目の木目調の重厚な扉がスーッと勝手に開いた。

 「うわ・・・すげぇな。」

 清明が小声で呟くのが聞こえた。確かに、すごい。右の壁は一面ポストと宅配ボックスになっている。ここでは配送員が入ってこれないのでは、という私の疑問は、「そういうのはコンシェルジュがまとめて受け取って各部屋に配る」という博正の話で、すぐに解消された。その発言を裏付けるように、左には今は無人の受付台が設置されていた。

 エントランスの中央には周囲がベンチになっている植え込みがあり、小さめの樹木と色とりどりの花が植えられていた。奥は一面ガラス張りで、ヨーロッパ風の中庭から明るい陽射しが差し込んでいる。奥に進むと、右に二つの、これもいかにも高そうな応接セットがあり、左には四基のエレベーターが設置されていた。ところどころに卒業式なんかの時に演壇に飾るような、かなり大ぶりの花瓶と、いっぱいの花が生けられている。

 私と清明は、見るものすべてが珍しい、といように、落ち着かなくキョロキョロと周囲を見回していた。

 「こっちだよ。」

 博正に促されてエレベーターの一つに乗る。が、開くと閉まるのボタンはあるのに、階数を表示したボタンは見当たらなかった。博正が持っている鍵を検知して、自動でその階に連れて行ってくれるのだそうだ。他の階に行きたいときは、パネルを開いてテンキーで入力するらしい。これも、鍵がないとパネルは開けないのだが。

 「なんちゅう横着な・・・。」

 清明は感動を通り越して、半ば呆れたようにそう言った。確かに、エレベーターのボタンくらいは押してもいいような気もするが、お金持ちというのは、そういう無駄なところに労力を使わないらしい。

 ティーン

 どうやら、目的の階に着いたようだった。到着の音まで高級な感じがする。扉が開くと、高級感はさらに増した。壁も床も大理石で、中央に毛足の長いフカフカの絨毯が敷かれている。照明はもちろん間接照明だ。どこからともなく優雅なクラシック音楽まで聞こえてくる。

 「・・・さすがに・・・やりすぎじゃね―?」

 清明が私を振り返ってそう言った。私は無言で苦笑いを返した。そんな二人のやり取りを不思議そうに見ながら、博正が先頭に立って歩いていく。万事に広いので、そこそこ歩いてる気がする。

 博正の部屋は、最上階のペントハウス的な部屋だった。この階には2軒しかない。右側に見えたのが、もう一軒のお宅に向かう通路なのだろう。博正の部屋はエレベーター正面の扉の向こうのようだ。と、いうことは、つまり、このマンションで一番「お高い」ということなんだと言うのは、私にでもわかる。

 最後の濃いグレーの扉が開くと、驚いたことに、そこは車が3台は止められそうな広さの芝生の庭だった。その先に見える玄関のドアまではワイン色の舗道が続いている。

 「ここで、犬を飼おうと思ってたんだよ。一人じゃ寂しいから。」

 なるほど、確かにここなら犬の運動場としては申し分ないだろう。室内だけど。

 玄関から中に入ると、短い廊下が横に伸びていて、右側に広い洗面台が見えた。左を見ると、広大なリビングと、その先のガラス張りの壁の向こうは、また庭だ。小さめだが、プールまで付いている。

 「お前・・・ここに一人で住むのかよ。リビングだけで俺んち入りそうだけど。」

 「そうだよね。さすがに広すぎるかと思ったんだけど、学校も駅も近いし、何より馴染みのある土地だから、ここが良かったんだ。」

 博正にとっては、経済的な理由は問題にならない。

 「それに、ほら、演奏の練習するだろ? 他の部屋だと防音工事なんかもできなくてさ。」

 なるほど、それなら納得だ。確かにここなら、音の問題は影響が少ないだろう。

 リビングには、ソファカウチとテーブルしか置かれていない。他の荷物は壁の一隅を埋め尽くした、引っ越し会社の段ボールやらケースやらにしまい込まれたままなのだろう。

 海外からの荷物がまだ届いておらず、片付けるに片付けられないのだ、と言う。だが、船便でヨーロッパから荷物が届くのは、まだ3週間も先のことらしい。

 「それまで、このまま暮らすつもりかよ!」

 「うん、そのつもりだよ。荷物が揃ったら、業者にお願いしてるんだ。ほら、家具とか一人じゃ無理だし。」

 何から何まで、こちらの予想を超えてくる。私は清明と顔を見合わせ、これ以上はこの話題に触れないことにした。

 「それより、ほら、開いてみようよ。」

 博正がソファに座り、スーツケースを引き寄せた。

 おのずとスーツケースを先に開けてみることとなった。

 スーツケースはいわゆる機内持ち込みサイズ、というやつで、スーツケースの中では小型の部類だろうが、拡張され、だいぶ厚みが増している上に、かなり詰め込んである様子なのが外見からでもわかった。ロックは壊れているようで、後付けのダイヤル式のシリンダーキーでチャックのつまみが閉じられている。清明は迷うことなく、ダイヤルを「072」に合わせると、シリンダーが音もなく外れる。

 外周を囲むようにしているチャックを開けるのが、一苦労だった。上から体重を掛けながらでないと、うまく開けることができない。

 「だいぶ詰め込んであるな・・・。」

 清明と博正が、二人がかりでようやくチャックを全開にすると、中身の圧力でケースがひとりでに開いた。

 紫の風呂敷が掛けてあり、それを取り除くと、大量のノート、小型のノートパソコン、細長い木製の古い箱などが見えた。それを取り除くと、その下には防水バッグが二つ、木製の平たい箱が大小それぞれ一つずつ、納められており、その下はビニールに包まれた衣装がいくつも入っていた。外から見ても、時代を感じさせる風合いで、色は違うが、形も鬼丸が着ている物に似ているように見える。

 「こりゃあ、鬼丸に聞いてみないとダメなやつだな・・・。」

 清明が私を見てそう言った。私はうなずき、スポーツバッグから鬼丸を取り出すと、刀から人に変えた。

 「ふむ・・・これが、伊織殿の遺した物か・・・。」

 鬼丸は刀の状態でも、こちらでの動きをある程度まで把握している。どうやら、私を通じて外界の情報を手に入れているらしかった。

 清明はノートの一冊を手に取り開いてみると、図面や注釈が所狭しと書き込まれた、何らかの下書き文書のように見えた。残りのノートもそれぞれ同じような内容で、書き込まれた日付を見ると、15年前の物が一番古く、最後は半年前の物だった。

 平たい木製の箱は、くすんだ墨の字が書きこまれているが、もちろん読むことなどできない。博正が大きい方を開くと、大きな星の付いた、ネックレスのようなものだった。細い鉄鎖で色とりどりの鉱物でできた勾玉が繋いである。

 小さい方の平たい箱には、金と銀の金具の付いた、細長い布が入っていた。

 「ほう・・・勾玉の首飾りと・・・こちらは鉢鉄であろうな・・・。」

 鬼丸が箱を覗き込んでそう言った。

 最後に、博正が細長い箱を開けると、中には黒と朱色で塗分けられた小さな横笛が一本、恭しく浅黄色の布にくるまれて入っていた。

 「これ・・・龍笛じゃない?」

 博正が鬼丸に聞いた。

 「ほぅ、よう知っておったな。いかにも。これは龍笛じゃな。」

 そう聞くと、博正はたまりかねたように手を延ばし、笛を手に取ると、止める間もなくその笛を奏で始めた。

 鮮烈な音が部屋を満たした。とても澄んだ音にも聞こえるが、荒々しく流れる滝の音のようでもあり、妖艶な女性の歌声のようにも聞こえる。何とも不思議な音色だ。

 何音か吹くと、博正が笛を口から離し、信じられない、と言った表情でまじまじと笛を眺めた。

 「・・・こ、これは・・・。」

 そのまま、博正は固まってしまった。静かに目を瞑り、涙をこぼしている。

 「ど、どうしたんだよ・・・?」

 清明が声を掛けるが、博正は固まったままだ。清明が助けを求めるように私を見てくるが、私も首を横に振るしかなかった。

 「・・・懐かしい・・・なにかは知らないけど・・・すごく、懐かしい感じがするんだ。」

 博正は目を閉じたままで、静かに呟いた。

 「と、とにかく、それを一回置けよ。それが何かわかるまでは、迂闊に触らない方がいい。」

 清明はそう言ったが、博正は笛を離そうとしなかった。3人が無言で見つめ続けて、ようやく渋々と箱に戻したが、名残惜しそうに笛を見つめている。

 スーツケースの底に入れられたビニール袋も全て取り出して、色別に並べてみた。圧縮保存袋に入れられたそれらの衣服は、3人分の平安装束のようだった。

 「もしかして・・・鬼丸の着替えかな?」

 私がそう言うと、清明は首を振って、サイズが違うようだ、と呟いた。

 最後に、防水バッグを開けてみる。中身はさらにジップロックに入れられ、油紙で包まれた、とても古い本だった。

 「これはこのままにしておいた方がいい。ヘタすると全部崩れちまう。」

 本は、全部で13冊。いずれもとても古い物で、とても脆そうだ。

 スーツケースの中身が全て取り出し終わると、今度はリュックの中身に取り掛かる。

 こちらは皮の装丁が施された、バイブルサイズのシステム手帳が一冊、記事の切り抜きを貼ったノート、筆箱、着替え、洗面用具、たくさんの鍵の付いたキーホルダー、通帳や印鑑、期限の切れた免許証などが入ったポーチ、サバイバルナイフやライターなどが入ったポーチ、そして分厚い財布。

 「こっちは日用品とか、生活用品がメインみたいだな。」

 清明はそう言いながら、システム手帳をめくる。

 「・・・これは・・・これが本命だ。入っていた物の、目録みたいなもんだな・・・。入手経緯とか、使い方とか、そんなようなことが書いてある。」

 私が覗いて見ると、どのページも端から端までびっしりと、几帳面な細かい文字が書かれていた。時折、地図や絵図面なども書き込まれていて、後から書き足したような部分もかなりあり、解読するだけでも時間が掛かりそうだ。

 「う・・・わ・・・これは・・・。」

 私は見ているだけで寒気がしてくる思いがした。それでなくても字だらけの本は苦手なのに、これはその中でも最高に文字密度が高い。

 「二人に来てもらって、良かった・・・。」

 私は心からそう思った。システム手帳やノート、そしてパソコンに関しては清明に任せておけばいい。あの笛がどのような物かは分からないけれど、少なくても博正なら吹くことができるのは実証済みだ。私一人では、どちらもどうにもならないことだ。

 「だろ? だけど、この手帳はさすがに俺でも時間欲しいな。とりあえず、2、3時間くれよ。なんとかかいつまんで説明できるようにするから。」

 そう言うと、清明は手帳をテーブルに置き、黙々とページを繰り始める。そうしてすぐ、ペンとノートが欲しい、と言い出した。鬼丸は、時々出てくる昔の言葉を清明に説明するために、清明の隣に座っていた。博正は相変わらず笛に興味津々だ。今のところ、私だけ何もすることがない。

 「じゃあ、私、ちょっとコンビニで買い出ししてくるよ。飲み物とか。それと、ペンとノート以外に必要なものある?」

 「いや、那津はここでお父さんの身の回り品とか、整理してた方がいいよ。何か見逃してる手掛かりとか、あるかも知れないだろ?買い出しは僕が行ってくる。」

 博正はそう言うと、財布とスマホを持って立ち上がる。

 「そう?じゃあ、お願いしていい?」 

 「もちろん。それにここにいると、笛が気になって仕方ないし。」 

 そういうと、博正は出掛けて行った。

 私は、何気なしに父の財布を開いてみて、驚いた。中には札がぎっしり詰まっている。

 「き、き、清明!」

 さも煩わしそうに振り向いた清明に、財布から取り出した札束を両手に持って見せる。

 「わ・・・。」

 さすがに清明も驚いたようだ。目を大きく見開いている。

 「いくらあるんだよ、それ?」

 「し、知らないよ!」

 「とりあえず、数えて全部おばさんに渡せよ。他の、こっちには関係ない物と一緒にさ。」

 そう言って、清明は解読作業に戻った。

 お金は、数えてみると全部で177万6千円。それと小銭がいくらか。

こんな大金、どうしたんだろう?

 

 

 朱点は、苛立っていた。

 体の回復に、ここまでかかるとは、思ってもみなかった。

 『鬼丸・・・だと? ふざけた名前だ・・・』

 あの、刀。切られたところから、どんどん力が抜けていく、恐ろしい刀だ。刀術の心得なんてまるでなさそうな男だったのに。余裕で勝てる相手だった。弱すぎて、逆に油断したのがいけなかった。ちょっと遊んでから殺そうと思ったのが。ほんの少し、髪の毛の筋ほど掠っただけだったのに、結局そこから形勢が逆転して、こんなハメになってしまった・・・。

 思い出すたびに、イライラし、沸々と怒りが湧き上がって来た。

 ずっと以前に、あの男の先祖に負けたときは、数でも負けていたし、全員が恐ろしい手練れだったから、まさか刀が原因で負けたとは考えていなかった。だが、秘密は刀の方にこそあったのだ。

 『だけど、あの男も思い知ったことだろうな・・・。』

 こんな時は、あの男に掛けた呪いのことを思い出して溜飲を下げる。

 鬼殺しが鬼に落ちる、アイツにとっては屈辱的な呪いだ。

 『鬼を殺せば殺すだけ、呪いは強くなる・・・。』

 愉快になってきて、ククッと笑う。とんだ皮肉じゃないか?

 あれ以来、朱点は傷ついた体を癒し、人界の、特にあの刀の情報を集めるために、何人もの人間を攫ってきたが、そのたびにこちらも少なくない犠牲を払ってきた。もっとも、そんなことは些細なことだ。鬼はいくらでも『ある』。

 『それに・・・』

 そのたびに、アイツが一歩ずつ、鬼に近付いていく・・・。

 「あはははは! あっはっはっは!」

 今度は声に出して、高らかに笑った。アイツの苦しむさまを思い浮かべるのは、いつでも楽しい。

 体は未だに幼体のままで、本来の力を取り戻すためには、まだ時間がかかりそうだった。その間は、せいぜい人間どもをいたぶって楽しんでやるつもりだった。

 そういえば、あの『学校』という場所も、若い人間がたくさんいて、いろいろやりがいがありそうだ。もっとも、今は何人か腹心を送り込んでるから、表立っては手を出すことはしないでおく。あそこには、あの一族の係累がいる。それを突き止めるまでは、任せておこう。
 
 朱点は声を出して、いつまでもいつまでも、笑っていた。

「わたなべなつのおにたいじ」⑧
了。


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