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小説「W.I.A.」2-9

第2章 第9話

 「・・・ようやく・・・この、大きさ・・・。」

 トルナヤの地下空洞の奥底で、ロックは金属的で耳障りな声で呟いた。眼前の窪地に横たわる幼い竜に、リザードマンの肉を与え続けること数日、目も開かない、矮小な状態で『環誕』したニズヘイグが、5m程の大きさに育った。

 「あれだけ食って・・・この・・・程度・・・か・・・。」

 この数日間で、ロックはリザードマンを50匹はニズヘイグに与えたが、思っていた以上に成長が遅い。

 ヴァイロンの部下だと言う、あの生意気な女ヴァンパイアは、ノストールに攻め込んで人肉を与えろと言っていたが、そんなことをしたら手ひどい仕返しに遭うのは火を見るより明らかだ。現実に、ノストールに人を攫いに向かわせたリザードマンの部隊は、このすぐ上にいるたった数人の人間どもに全滅させられた。50を超えるリザードマンと、8体のドラゴネートが、だ。

 忌々しい人間どもめ。だが、ニズヘイグもようやくここまで育った。この大きさになったニズヘイグと、自分も加わってノストールに攻め込めば、人間を喰わせて、さらにニズヘイグを成長させられる。夏至までに、大いなる『環誕』に足る力を得させることもできよう。全土からかき集めた手持ちのリザードマンは、その数を恐ろしく減らしてしまったが、そんなものは、すぐに増やせる。

 その前に、この上にいる奴らを何とかしなければならない。今度はニズヘイグのブレスで先制攻撃を仕掛ける。それからリザードマンをけしかけて、あいつらがその対応をしている時には、こちらは空の上だ。

 ロックは、ブレスで焼き尽くされる人間の肉の臭いを思い出して、口元を残忍に引きつらせ、細くて長い舌で口の周りを舐めた。思い出しただけでも食欲がそそられる。こうなったら、もう躊躇していることはない。今こそが、動くときだ。

 ロックは大声でリザードマンどもに指令を下した。同じように幼いニズヘイグにも指示を出して、あの穴に繋がる地下水脈に一緒に飛び込んだ。

   ※           ※

 地上では、カイルが支えて、ガルダンが穴から身を乗り出して中を覗いていた。マールの遺してきたランプの明かりにガルダンの夜目の能力が合わさり、洞窟内を見渡すことができた。

 「む! 池に動きが・・・な、なんじゃ、ありゃ?」

 水面に次々と気泡が現れ、次第にその数と大きさを増していくと、やがて水面が大きく盛り上がり、中から背中にドラゴネートを乗せた黒い竜が姿を現した。

 「いかん! ドラゴンじゃ!」

 ガルダンが急いで身を引いて、全員に警戒を呼び掛けた。山からは、異常を察知したカイナとジョウが猛烈な勢いでこちらに向かっており、小屋からはエナとアルルが斜面を登って来るのが見えた。

 「ドラゴンだって? ニズヘイグってやつか?」
 「わからんが、ドラゴネートを背中に乗せておった!」

 カイルとガルダンの話を聞いたクロエが、詠唱の準備を始めた。

 「相手がドラゴンなら、普通の武器は効かないはずよ! 二人とも、武器を構えて!」

 クロエの正面に光の巻物が二つ現れると、その巻物はカイルの持つ槍と、ガルダンの持つ斧を包み込み、染み込むように消えていく。そうすると、武器自体が鈍く白色に輝きだした。

 「魔力を付与したわ。これでドラゴンの鱗も貫ける!」
 「よし! やるぞ!」

 カイルとガルダンが穴の前で、あらためて武器を構えた。マールは炸裂炎上弾を準備する。

 「ねぇ! これ、落としたらどうかな?」
 「おお! やってしまえ!」

 マールは迷わず、焚火から抜いたばかりの木を火縄に押し付け、穴に落とした。穴の中から轟音に混じり、怒声とも悲鳴とも取れる叫びが聞こえたような気がした。

※           ※
 
 ロックはニズヘイグの背に乗り、壁を這い上がり始めたところだった。池の端には次々とリザードマンが姿を現して、下からその光景を眺めていた。穴から外に出たら、すぐにニズヘイグにブレスを吐かせるつもりだ。やつらは度肝を抜かれるに違いない。

 そのタイミングを計ろうと上を見上げた時、穴の外から何か丸い物が落ちてきた。気付く者は誰もいなかったが、それはまさに、奇跡のタイミングだった。ロックは反射的に、落ちてきた物を口に咥えた。少し前に食欲をそそるような回想をしたロックが取った、完全に無意識の行動だった。

 次の瞬間、それが口の中で弾けた。ロックが落下しながら最後に見た光景は、首から上がない、自分の身体だった。
 
※          ※

 「マール! 後は下がっていて!」
 
 カイルの声に、マールは後ろに退がり、自分の盾を構えると、地面に突き刺した。盾の下に金属製のスパイクを一本付け、常に保持していなくても大丈夫にしようと考えていたのだが、ここの固い地面にはあまり深く刺すことができなかった。

 盾の内側に付けたラッチを外すと、上と左右に盾が広がる。のぞき窓の下に取り付けたクロスボウを固定してからストックを折り、弦を引いた状態にしてストックを戻した。レールに、金属製の太い矢をセットする。予備の矢が、あと5本、盾の内側に取り付けられていた。

 「盾も改良してたのね! 」

 クロエがマールに身を寄せるようにして盾の内側に隠れた。のぞき窓から様子を窺うと、カイナとジョウも戦列に加わり、エナがそれぞれに『守護』を与えていた。アルルは一人、全景を視界に納められる高台に身を置き、弓を構えている。

 「エナ! こっちへ!」

 マールが呼び掛けると、エナが振り向き、ニノとともにこちらに駆け寄って来る。
 それから、しばらく不気味な沈黙が続いた。だが、穴のすぐ下に、何かの気配があるのは間違いない。風の具合で、呼吸をするような重々しい音も聞こえてくる。

 穴から出てきたのは、算を乱したリザードマンたちだった。慌てて穴から出て来ては、それぞれが勝手な方向に逃走を図っているように見える。中には腕や尾が食いちぎられたようなリザードマンもいた。

 「な、なんじゃ!?」

 その予想外の動きに、ガルダンもカイルも、サスカッチ達も戸惑った。まるでこちらのことなど眼中にないように向かってきて、カイナに吹き飛ばされるリザードマンまでいたのに、それでもこちらに向かってくるのを止めない。

 ガルダンたちから反対方向や、小屋の方向、山に逃げ込もうとするリザードマンもいたが、それらはアルルの矢と、ジョウの投石で次々と倒れていった。中でもアルルの矢は凄まじく、目から頭を撃ち抜かれたり、一矢で2体を串刺しにしたりと、大車輪の活躍ぶりだった。

 やがてその波が落ち着きを見せた時、最後のリザードマンとともにニズヘイグの巨体が穴から現れた。背中に生えた巨大な翼を翻してジャンプすると、頭からリザードマンに噛みつき、その体をあっという間に食い尽くした。

 「リ、リザードマンを喰ってる! 」

 リザードマンが恐慌を来たしていたのは、このためだったのだ。穴の中でも同じような惨劇が繰り返されていたに違いない。味方のはずのドラゴンに食われては、リザードマンもたまらなかったろう。

 ニズヘイグの食欲は旺盛だった。その後も次々と倒れているリザードマンに襲い掛かり、腹の中に納めていった。やがて周辺にリザードマンがいなくなると、目標がこちらに変わったようだった。

 「来るぞ! 構えろ!」

 カイルの叫びが響き渡る。ニズヘイグは翼を翻し、後脚で立ち上がると、首を真っ直ぐ上に伸ばして息を吸い込んだ。

 「ブレスが来ます! 避けて!」

 エナが叫ぶと同時に印を結びながら「言葉」の詠唱を始めた。クロエが右手を振り、呪文なしで『魔弾』を飛ばす。

 それは、猛烈な勢いの火流だった。マールは何がどうなったのか、状況の整理が追い付かない。気が付くと、自分の周囲が完全に火炎に包まれていた。目の前の自分の盾があっという間にバラバラになり、破片一つひとつが燃え上がり、消し炭になった。悲鳴を上げようと息を吸い込んで、肺がカッと熱くなる。咳をしたかったが、溶けた喉の内壁が肺からの空気を外に出してくれなかった。髪の毛が燃え上がり、瞼が溶けて垂れ下がり、視界が失われた。自分の肉が焦げ、骨が砕ける音が脳に直接聞こえた。クロエが自分の名前を呼んでいるのが、その音に混ざって聞こえた時、マールは闇に落ちていった・・・。

※        ※

 エアリアは、その背中に、わずかに熱気を感じた気がした。先ほどまで続いていた地鳴りと揺れが収まると、静寂の後に、嵐が荒れ狂うような大きな音が聞こえた直後のことだった。

大蝋燭の火が、大きく揺らいだ。洞窟内の空気が動き、エアリアは耳に違和感を覚え、頭を軽く振った。そのわずかな動きで、ローブの羽織紐が一本切れた。不吉を覚えたエアリアが、腰を浮かせる。こんな動きだけで、麻でできたローブの紐が切れる訳がない。

『地上で何かあったのだ』

全身の感覚が、危機を告げていた。頭から血の気が引き、眩暈とともに吐き気が襲ってくる。体中から冷たい汗が出てきた。

『行かなくては!』

 エアリアはそう決意し、立ち上がって出口の階段に向かい掛けた、その時、

 『ダメだ! エアリア! ダメだ!』

 脳裏に、マールの声が響き渡り、エアリアはハッとして立ち止まった。そうだ、今ここを離れたら、儀式はそこで終わってしまう。エアリアは目を閉じて、深呼吸を繰り返した。意識を耳に集中させ、僅かな音も聞き逃すまいと、耳を澄ませてみるが、微かな風の音以外は何も聞こえない。

 エアリアは目を開けた。私が今、成すべきことは、他にある。儀式を無事に完了させた時以外、仲間の元には戻れない。危うく本質を見失い、道を誤るところだった。仲間を信じてここまで来たのだ。仲間もまた、同じようにエアリアを信じてくれた。裏切るわけにはいかない。

 『マール、ありがとう・・・。』

 エアリアは聖典の前に戻り、続きを読み込み始めた。大蝋燭は、今にも燃え尽きようとしている。言葉をみつけなければ。

※          ※

 「マールっ! マールっ!」

 クロエは立ち上がりながら、目の前に広がる風景から、マールを探そうと必死だった。魔弾を飛ばした直後、マールに思い切り突き飛ばされ、クロエは地面に投げ出された。文句を言おうと振り向いた時、ニズヘイグのブレスがさっきまで自分のいた位置に襲い掛かり、目の前が紅く染まった。それが収まった時、そこにいたはずの、マールの姿が消えていた。

 地面が真っ黒に焦げ、それが筋のようになって続いていた。その筋を追って視線を左に動かした時、それを見つけ、クロエは両手で口元を覆った。

 全身真っ黒に焦げ、体のあちこちから燻ぶった煙を上げているマールが、手足を縮めたような姿で横たわっていた。一目で、その体から命が失われていることがわかった。マールは、自分を犠牲にして、クロエを救ったのだ。

 少し離れた斜面の下から、エナが登って来るのが見えた。泥だらけではあるが、体は無事なようだった。

 「エナ! マールが!・・・マールがっ・・・!」

 クロエは噴き出してくる涙を抑えられなかった。自分で感情のコントロールができていないのがはっきりわかったが、それを抑えてしまうことは、自分が自分ではなくなってしまうということだ、と無意識に理解していた。

 「クロエ! 今は、ダメです! マールは私が! ニズヘイグをお願いします!」

 そう言うと、エナはマールの元に走り寄って行く。そうだ、ニズヘイグ!
クロエは振り向いた。

 ニズヘイグの背中に、カイナが乗り、その翼を引きちぎろうと両手に力を込めていた。その下で、カイルが長剣を振るってニズヘイグの左足に切りつけているのが見える。カイルの槍は、ニズヘイグの左肩の辺りに刺さったままだった。ガルダンは少し離れた位置で、ちょうど起き上がったところだった。右腕が異様な角度に曲がっていたが、それに構うことなく、左手の手斧を振り上げ、ニズヘイグに向かっていく。ジョウがニズヘイグの足元に仰向けに倒れており、ニノがその体を引っ張って、戦域を離脱しようとしているのが見えた。アルルは高台で何かの呪文を唱えている最中だった。

 クロエは一度深呼吸をすると、ゆっくりと目を閉じ、凄まじい速さで両手を振り始めた。足元の地面と、クロエの頭の上に、金色に光る魔法陣が現れ、それぞれがゆっくりと回転を開始した。引き続き、両手を胸の前で打ち合わせ、呪文と共に両腕を伸ばす。今度はクロエの面前に、巨大な光る巻物が現れ、勢いよく左右に開いた。その両の手に、魔法陣と巻物から金色の光の粒子が集まり始めた。
 
 そのまま、クロエは両手を胸の前で合わせるように動かそうとするが、光の粒子がそれを阻むように手と手の間に流れ込んだ。クロエの両手が震えながら、徐々に、徐々に、合わさり始める。その動きは驚くほど緩慢だったが、それとは反対に、クロエは必死の形相だった。

 やがて両手がある一点を超えると、光の粒子は一つの大きな球となり、クロエの手と手の間で膨らみ始めた。それを、クロエの両手が挟み込み、抑えるようにする。

 金色の球は輝きを増しながら、さらに大きくなりながら、回転を始める。
 回転が速くなると、今度は集束し始め、輝きをどんどん増してきた。キーンという音が周囲に響き渡り、クロエの足元の地面が小刻みに震え出した。

 『よくも・・・よくも・・・私の想い人をっ!』

 クロエの目がカッと開かれた。

 「いっけええぇぇぇぇぇぇっ!!」

 クロエの胸から青みがかった金色の光線が放たれた。光線は砂煙を巻き起こしながらニズヘイグに向かっていき、その大きく開かれた口から、尾までを貫いた。

 光線に貫かれたニズヘイグの身体が、ビクッと弾かれたように動いたかと思うと、真っ赤に光っていた瞳から急速に光が失われ、そこから漏れ出た金色の光が、火山の噴煙のように噴き出した。

 そして、ニズヘイグは完全に動きを止めた。
 カイナは動かなくなったニズヘイグから興味を失ったように、掴んでいた翼を放り投げると、ジョウのところに向かった。カイルとガルダンは、止めとばかりに打ちかかり、硬い背中の皮を残して、ほとんど首を両断するばかりに打ち落とした。

 「あ、危なかった! ガルダン、大丈夫?」
 「なに、かすり傷じゃ!」

 その言葉とは裏腹に、ガルダンは尻もちを着くように地面に座り込んだが、その拍子に走った右腕の激痛に、顔を顰めた。

 「ガルダン! カイル!」

 そこにアルルが現れ、二人と合流した。3人は、そこで初めて、後方の異変に気が付いた。クロエとエナが屈みこんで何かをしている。エナの両手からは溢れるばかりの光が見え、その光にシルエットとなっているクロエは、泣き叫んでいるようだった。

 そういえば、マールは・・・。
 3人はハッとして顔を見合わせ、急いでエナとクロエの元に駆け寄った。

              ※            ※

 その様子をはるか上空から、白い蝙蝠が見下ろしていた。蝙蝠はニズヘイグの首が斬り落とされたのを見届けると、闇の深まる西の空へ飛び去っていった。


「W.I.A.」
第2章 第9話 
了。



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