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小説「W.I.A.」2-10 第一部最終話

 第2章 第10話
 第一部 最終話

 マールの魂は、エナによって、かろうじて肉体に繋ぎ留められていた。肉体の損傷が激しく、魂を元に戻せない。だがこのままでは、何らかの理由でエナの詠唱が途切れた瞬間に、マールの魂が肉体から完全に離れることを意味する。逆に言えば、肉体の損傷を元に戻すことができれば、マールは高い確率で蘇生するはずだった。

 駆け付けた3人がマールの現状を見て、絶句した。ニズヘイグのブレスをまともに喰らってしまったマールは、全身が黒く焦げており、手の指は完全に失われていた。眼球のない眼窩だけの顔・・・。苦しそうな浅い呼吸と、微かな胸の上下動が、かろうじてマールが生きていることを示している。

 「マール! マール! しっかり!」

 クロエはほとんど半狂乱の体だった。両手で自分の頭を挟み、狂ったように名前を叫び続ける。アルルがその肩を、そっと抱いた。その顔も、涙でぐしゃぐしゃだった。

 ガルダンは怒りを嚙み殺し、カイルは茫然として、崩れ落ちるように座り込んだ。

 「エアリアを! エアリアを呼んできてっ! 早くっ!」

 クロエがアルルの胸倉に掴み掛るようにして懇願する。アルルが正解を求めて、ガルダンを振り返るが、ガルダンにも答えは得られないようだった。

 その時、マールの指の無い左手がクロエの太ももに触れた。マールが僅かに首を振りながら、何かを話そうとしているが、それは声にはならず、空気の漏れる音が繰り返されるだけだった。

 「儀式が、何よっ! あなた、死に掛けてるのよ! な、仲間の、命よりっ・・・!」

 クロエは最後まで言い終えられず、泣き崩れた。マールの手が、ポンポンとクロエの太ももを叩く。相変わらず、首を左右に振っている。声にはならなくても、その思いは、全員に伝わった。

 「ぐ・・・ぐぅ・・・!」

 ガルダンは怒りの表情のまま、その小さな瞳から涙を溢れさせた。きつく噛んだ唇から血が流れ、強く握りしめられた左手は、小刻みに震えていた。

 意識を取り戻したジョウが、カイナに抱えられるようにしてやってきた。ニノが心配そうにマールを覗き込み、子猫のような声を出す。ニノは、泣いていた。

 闇が、辺りを支配した。静寂に包まれた山に、エナの必死の詠唱が低く、果てしなく続いている。初夏とは言え、冷気が覆う時間にも関わらず、エナの額には汗が滲み出ていた。

         ※            ※

 大蝋燭の炎が急激に明るさを増し、大きく揺らめくと、ジッという音を響き渡らせて消えた。

 エアリアは顔を上げた。蝋燭が消えた瞬間に脳裏に浮かんだ言葉を、迷わず口にした。

 「神を追い求めてはいけない。神は、己に見出すもの。それ即ち、信仰の心・・・。」

 エアリアは、雷に打たれたように体を強張らせながら、天井を仰いだ。頭上から、まばゆい光がエアリアを包み込み、光の闇の中で、エアリアは意識を失った。

      ※            ※

 長い夜が、今まさに明けようとしていた。東の空から太陽の明かりが差し込み、マールとその周囲に佇む一行に、冷気を払う暖かい光を注いでいる。

 マールは、まだ、かろうじて、生きていた。だが、それももう、まもなく終焉を迎える。

 エナは必死に詠唱を続けているが、既にその声は枯れ果て、破れた喉から溢れた血が、口から流れ出ていた。疲れ果てたその瞳から、涙が一筋、頬を伝った。

 そして、その時は訪れた。エナの声が完全に枯れ、「言葉」は力を失った。それでもエナは、必死に口を動かし続けていたが、そこから漏れ出るのは乾いた空気の音だけだった。エナの両手から、光が消えた。

 マールは最後に、大きく息を吐いて、まるで人生に満足してうなずいたように、ゆっくりと顔を俯けた。

 「・・・マ・・・マール・・・。」

 クロエは、泣き腫らした目でマールを見つめ、その唇にキスをした。

 アルルは、文字通り、声を上げて泣いた。

 カイルは、何度も何度も、地面に拳を打ち付けた。

 ガルダンは、低い唸りを発しながら、静かに瞑目した。

 ニノが天空を睨み据えるようにして、慟哭の咆哮を上げた。ジョウがそれに続き、やがてカイナがひと際低く、後に続いた。

 悲しみに暮れる一行の前に、音もなくゆっくりと近付いてくる人影があった。いち早く

気付いたカイルが、驚きの声を上げる。

 「エ・・・エア・・・エアリア?」

 その声に顔を上げたエナが、ハッとして両手を組み、首を垂れた。

 現れたのは、エアリアに似ていたが、髪の毛が銀色に輝き、見慣れない衣装を身に着けた女性だった。女性は滑るように近寄り、マールの足元に立つと、右手をゆっくりと持ち上げ、マールの身体にかざす。

 マールの身体が、まるで真珠のような光沢を放つ、白い光に包まれた。

 やがて、光が消え去ると、マールの肉体が元の形を取り戻した状態で、静かに横たわっていた。

 『この者の魂を、呼び戻しなさい。』

 それは、耳で聞いた音ではなかった。頭上から直接それぞれの頭の中に響き渡る「声」だった。

 全員が、口々にマールの名を叫んだ。クロエとアルルは体に取り付くようにして、必死に揺すりながら呼び掛けた。カイルも、ガルダンも。声の出せないサスカッチ達は、明け方の空に放った遠吠えでマールを呼んだ。

 ひゅー

 その音と重なるように、マールの胸が大きく膨らむ。全員が一瞬の沈黙の後、さらに大きな声でマールに呼び掛けた。

 「マール! マール! 目を覚まして!」

 「マーーール! がんばれ! 頑張るんだ!」

 「戻るんじゃ! 目を開け! マールっ!」

 マールの瞼が、ピクリと動いた。呼吸は規則正しく続けられ、同じリズムで胸が上下に動き、やがてマールは、まぶしそうにしながら、ゆっくりと目を開けた。

 「あ・・・あれ?」

 「マールーッ!!」

 なんだかわからないが、マールは幸せだった。右からアルルが、左からアルルが抱き着いてきて、頬に何度もキスをされた。何が起こったっていうんだ・・・?

 『マール、小さき魂よ、見事な戦いでした・・・。私の娘たちを守ってくれて、ありがとう。』

 頭の上から、じんわりと広がるように声が響いた。足元に立っている見慣れないきれいな女性が、うっすらと微笑んでいた。

 『あなた方の世界に、闇が迫っています。それを跳ね返せるのは、あなた方を始めとした、全ての命ある者たち・・・。』

 その女性が、遠く南の方を向き、しばらくしてから向き直って語を継いだ。

 『エナ・・・ご苦労でした。あなたの役目は、次の段階に移りました。これよりは、神々の言葉を伝えなさい。全ての天上の力を、あなたに授けます。』

 エナが片膝を立てた正式の礼法に則った姿勢のまま、深く首を垂れた。

 マールはその横顔を見て、はじめてこれがエアリアだと気が付いた。髪の色も雰囲気もまったく異なっていて、すぐには気が付かなかったのだ。ということは、エアリアは無事に儀式を終えたのだ。今、目にしているのは、神を宿したエアリアの姿だ。

 『ガルダン、アルル・・・私はあなた方の神ではありませんが、どうか、お願いです。これよりも、この者たちに力を貸してあげて下さい。あなた方に、私がして差し上げられることは多くはありませんが、どうか・・・お願いです・・・。』

 エアリアが、いや、人間の神であるエーテルが、ガルダンとアルルに深々と頭を下げた。ガルダンもアルルも、無言で頭を下げた。再び顔を上げた時、ガルダンの右腕は以前よりも頑健に治癒し、アルルのこめかみの傷は、きれいに消えていた。

 エアリアの身体が、天に昇るかのように、ふわりと浮いた。次の瞬間、まばゆい光に包まれたエアリアの身体から、光だけが天空へと飛び去り、意識を失ったままのエアリアの身体が、ゆっくりと地上に降りてきた。

 走り寄ったカイルがその身体を受け止めると、エアリアはゆっくりと瞼を開いた。

 「カイル・・・みんな・・・ありがとう・・・。」

 いつもの、見る者をほっとさせる、エアリアの笑顔だった。

 再開の喜びは、一同に活気をもたらした。エアリアはすぐにエナに治療を施し、マールは大丈夫だと言うのにカイルに背負われ、後ろからアルルとクロエに腰を支えられて小屋へと戻った。先頭を歩くガルダンは調子はずれの鼻歌を口ずさみ、カイナ達でさえ愉快そうにふざけ合っている。

 エーテルは、ニズヘイグの屍体を完全に消し去っていた。地面にはニズヘイグの形に黒ずんだ跡と、巨大な牙が人数分、残されていた。その牙は、ドラゴンを倒した証として冒険者の勲章となる。今やここにいる全員がドラゴンスレイヤーだ。それはハイペルの300年の歴史の中でも、稀有な存在、ということになる。エーテルの、粋な配慮、ということだろうか。

「私の記憶では、カイルが12人目、ということになるわね。」

「僕がかい? 倒したのはクロエの魔術じゃないか!」

 冒険者ギルドでは、ドラゴンの牙を持つ者を正式の記録として登録している。その身体に最初の一太刀を浴びせた者が、その称号を手にすることができる。

 クロエにその説明を受けたカイルは、照れたように頭を掻いた。

 「ははは! そう卑下するでない、カイル! 最初の一撃は、間違いなくお前の槍じゃ!」

 「それは良いとして、クロエ、あの魔術は何? あんなの、初めて見たわ! ドラゴンを一撃で倒すなんて!」

 「ああ、あれね! あははっ! 実は、私も初めて使ったの! 階層のわからない古代の呪文らしいんだけどね、ちょっと前に地下遺跡帰りの冒険者から譲ってもらった魔術書に書いてあったから!」

 「そ・・・そんな・・・そんなデタラメで、いいの!?」

 「まあ、なんとなくはわかってたから! 私も夢中だったのよ!」

 「そんなにすごい魔術だったの? 僕も見たかったなぁ。」

 暢気な声を上げたマールに誘われるように、一行から大きな笑いが巻き起こった。実際マールはそれどころではなかったのだが、その記憶はなくなっているらしい。クロエなどは涙を流して笑い転げていた。

 『私があの術を使った理由は、まだ秘密にしておいた方が良さそうだわ』

 笑いながら、クロエはそう考えていた。とにかく、今はマールが戻り、エアリアも目的を果たした。伝説の女神さまにも会えたし、ドラゴンも倒した。これ以上の幸せを求めたら、罰が当たりそうだった。

 小屋に戻ると、全員が倒れ込むほどに疲れ果てていたが、エナとエアリアが心尽くしの料理を振舞い、小屋の外で大きな焚火を囲んで、サスカッチ達を巻き込んだ大宴会となった。

 ガルダンはカイナにブランデーを飲ませ、酔った二人が早々に寝転がって大いびきをかき始めた。

 「・・・未だに信じられないよ。俺たち、とんでもない強運に恵まれて、少し怖いくらいだよ。」

 「強運と言えるかしら? エーテル様の言うことが正しければ、大暗黒戦争の再来ってことでしょ? 自分たちの生きている時代にそれがまた起こるっていうのは、むしろ運がないんじゃないの?」

 「いいか悪いかは別として、少なくても『運』だけは持ってるってことだね。」

 カイルとアルルの会話に混ざり、マールは自嘲的な笑みを浮かべた。二人とも大きくうなずいて、同じように笑った。

 「おかげさまで、無事に秘儀をやり遂げることができたようです・・・。」

 「覚者エアリア。その礼は、あなたの仲間たちに・・・。とても素晴らしい仲間に恵まれましたね・・・。」

 エアリアが大きくうなずいて、それぞれを見た。エナの話によれば、ニズヘイグのブレスが襲った時、エナもマールに突き飛ばされていた。その勢いで斜面を転がり落ちたエナは、ブレスから逃れることができたのだそうだ。

 「いくら不死とは言え、まともに喰らっていれば、無事では済まなかったでしょう。」

 エナは感謝と共に、マールの動きに感動すら覚えた、と言う。マールが咄嗟に取った行動は、まさしく「自己犠牲」そのものだ。人間は、ああした咄嗟の行動に、その本性が現れる。自分の身の危険を顧みず、他者を救う行為は、「最も聖なる行為」として称えられる。それ故、エーテルはエアリアの身を借りて、マールをこの世に戻したのだろう、と。

 「・・・これよりは、お互いに新たな試練に立ち向かわなければなりません。私も山を下り、この危機を、それに立ち向かう術を、世界中に広めるつもりです・・・。」

 「・・・はい・・・。私たちは、カリランドに向かおうと思います・・・。」

 「それがいいでしょう・・・。相手は不死の王、ある意味では、ドラゴンよりその信仰を試される相手です・・・。」

 「はい。覚悟は、できております・・・。」

 エアリアはもう一度、それぞれの時を過ごしている仲間を順々に見た。

 いずれも、この世で最も信頼できる、心の通じた仲間だった。この仲間とともになら、なんでもできそうな気がした。

 マールは、一人離れたところで、夜空を見上げてブランデーを飲んでいるクロエの元へ向かった。エアリアの悲願達成のお祝いも兼ねているこの宴会では、新参のクロエが少し浮いてしまうのは、無理もないことだった。

 「シャトーに戻るのは、少し先になりそうだね。」

 マールはそう話し掛けながら、クロエの隣に腰を下ろした。

 「そうねぇ・・・。残念だけど、世界の命運には代えられないわ。世界が終わったら、私たちも自動的に終わりになっちゃうんじゃ、ねぇ?」

 「あーあ、ドラゴンの次は、ヴァンパイアだってさ。トンカを出た時は、そんなこと考えもしなかった。」

 「人生って、そんなものよ? いつ、何の拍子でどうなるか、少し先のことだって、誰にもわからないんだから。」

 クロエは、『恋もね』と、心の中で呟いた。一目見たときは、自分がマールにこんな感情を抱くとは、それこそ考えもしなかった。

 「まあ、やるだけやるしか、ないね。どうやら僕も、エーテル様に借りができたみたいだし。それに、クロエにもね・・・。あの時、なぜかクロエの声だけは、はっきりと聞こえてたんだ・・・。クロエに呼ばれたから、戻らなきゃ、って。」

 「そ・・・そう・・・なの?」

 「そうさ! 雲の上を歩いていてね、目の前に、とんでもなく大きな扉があったんだ。その扉がゆっくり開いて、中に入ろうと思った時にクロエの呼ぶ声が聞こえたんだ。それで、慌てて戻って来たんだよ!」

 クロエがマールに飛びつくように抱き着いた。

 「良かった・・・。良かったね・・・マール!」

 「ちょ! クロエ! く、苦しいよ!」

 「黙って! 少しは我慢しなさいよ!」

 そう言われて、マールはクロエがきつく抱きしめて来るのに任せていた。こんなに喜んでくれるとは。やっぱり人生は、不思議だ。

 カイルもアルルも、エアリアもエナまでも、その二人の様子を温かい目で見つめていた。

     ※          ※

 はるか西の地で、ノストールへ使いに出していたヘルガの報告を聞いたヴァイロンは、声を出して笑った。

 「やはり! あのトカゲの化け物は、役立たずであったな!」

 「・・・懸念していたことが、現実になってしまいました、ね・・・。」

 隣で同じ報告を聞いていたハンナも、そう言いながら不敵な笑みを浮かべた。

 「だから、最初から言っていたであろう! そもそも知性の欠片もない連中に、何を期待しろと言うんだ!」

 「・・・まさに・・・。」

 「こうなっては、アズアゼル猊下もこちらの提案を飲まざるを得ないであろうな?」

 「・・・そうなりましょう・・・。すでに、猊下の策は破れました。」

 「よし! ならばハーメルンに使いを出せ。今後はこちらの思うようにさせてもらうとな! 捕らえてある愚か者どもの様子はどうか?」

 「すでに、半数ほどを堕落し終えております・・・。残りも・・・時間の問題でしょう。」

 「作業を急がせよ。それと、な。カリランドを落とすぞ。あそこにはこちらに必要な物がいくらでもある。聖職者などと呼ばれておるが、所詮はただの肉の器よ!」

 「・・・御意。」

 ヴァイロンは高笑いを響かせながら、その部屋を後にした。後ろには腹心のヴァンピレス、ヘルガとアービスが、いつものように付き従っていた。


「W.I.A.」
第2章 第10話
第一部 
了。



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