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三つ子の魂百までも(30)


30

私は自己紹介をしようと、修君の前に出て、行った。

「初めまして、杉田公一と申します」と元気よく言うつもりでいたが、緊張のためか声が上ずり、カスれていた。

母親は、僕に笑顔を見せながら、会釈をして

「こちらにどうぞ。上がって下さい。修から貴方の事はお聞きしております。どうぞ」
言われた。
僕は案内されるまま、母親の後を付いて行った。

案内された部屋は洋間の客室で、広さも充分で、豪華な椅子が四脚あり、簡易的な椅子も用意されている。
間に有るテーブルも豪華で高価な物に見える。
探偵事務所に有るものとは比べ物にならない。

椅子の座り心地もよく、柔らかくも無く硬くも無く、自分が偉い人になったみたいに感じさせてくれる座り心地の良い椅子である。

しばらくして、父親が部屋に入って来た。
私は立ち上がり、父親を迎えた。

修君の養父は、威厳がありそうな風貌で、此方も和服であった。
私の養父とはまるで違う。またもや、複雑な気持ちに覆われた。

「初めまして。修の父の洋三です。お掛け下さい」
と、自ら腰を降ろした。
私もその言葉に従い、椅子に座った。

母親がお茶とお茶菓子を運んでくれた。
そして、洋三の隣に座った。
お茶も良い香りのする物で、銘柄は分からないが、
私の実家では体験することがあまり無い、美味しいお茶であった。

「こちらは私の妻で晃子と言います。」
と修君の養父は養母を紹介をしてくれた。

修君の養母は、見れば観るほど、美しい人で有る。

若い時はもっと美人だったであろうと想像できる。
それに比べて私の養母は、ブスでは無いが見れば観るほど、
あらが見えると思っていた所に、綺麗で澄んだ声が聞こえた。

「公一君は、修と兄弟と知った時、どの様に想いましたか?」
と、養母にとって一番知りたい事であったのであろうか?
いきなり際どい質問が、私に飛んで来た。

修君の養母も、自分の心を隠すことも無い率直な人ではないかな〜と感じ、親近感を覚えた。僕の養母と似ている。
もしかすると、修君の養母は、私と修君の顔がそっくりなので、
違和感無く本音を聞けたのかも知れない。

私はどの様に応えたら相手の気持ちを損なわせずに済むかを、
一瞬考えたが、
ここは私の感じたことを素直に言うのが、相手に対する礼儀とわきまえて、

「ずーっと、ひとりっ子と想っていたので、びっくりでした。」
と、正直に応えた。

養母は微笑みを浮かべながら、
「そうですか?一人っ子と思っていたのですね。
そちらのご両親の事は、修から聞きました。
明るく、優しい方だと修は言っていました。
公一君を見れば、ご両親の人柄が想像できますね」

と、僕の両親を誉めてもらって嬉しかったが、もしかすると、
僕がこの人達の養子になったかも知れないと想うと、本当に複雑な想いである。

「お父さん、今日 公一君に来てもらったのは、僕達は双子では無く三つ子と言う事を、公一君の両親から教えてもらったのです。
だから、公一君を家に呼びました。
真相を僕達二人に教えて頂けませんか?」

と、修君は丁寧な言葉使いではあるが、他人行儀な言い方で、
少し冷たい話し方である。
いつも父親に対してこの様な話し方をしているのだろうか?


母親の笑みは消えた。夫の横顔を見ている。
突然その様な事を言われてびっくりしたのだろうか?

しばらくの沈黙があったが、洋三は晃子に言った。

「金庫にあの当時の書いたものがあるから取って来なさい」
と少し命令口調で言い、晃子は素直に従った。

僕の家庭なら、お父さんが命令される。ここも大違いだ。

しばらくして、晃子さんが返って来た。
和紙に包まれた、手紙みたいな物を持っている。
それを、洋三に渡した。

少し黄ばんではいるが、大事に保管されていみたいで、
年月の長さは感じない、綺麗な和紙であった。

そこには、墨書で書いてあり、しかも達筆である。
私の家にあった、封筒には入った物とは大違いだ。

書いてあった事は、洋三夫妻の決意文であった。

[私達夫婦は縁あって、一子を養子として貰い受けた。
名を修と名付ける。
これより、我が夫婦は修の真の親であり、愛情を持って育てていくのは当然の事、修を人格の良い人間に教育するのが、親の責任と心得え決意する。

修には、二卵性双生児の三つ子で他に二名の兄妹があり、
一名は杉田家の養子となる。
もう一名の女子は、三浦家の養女となる。
お互いに詳しい情報の交換はしてはいないが、
名前だけは教えあった。
杉田家の両親の名前は、純一、妙子。
三浦家の両親の名前は、朔太郎、小夜子

子供達が成人しお互いが兄妹として名乗りあう時が来たならば、
この情報を伝える。

佐伯俊夫 享年28歳
佐伯純子 享年24歳

修の実の母親は出産後、死亡。
父親はその病院に向かう途中に事故死。
哀れなとしか言いようがない。

三家族がそれぞれの子供の養父母となり、必ずや立派な青年と育てていくであろう。
その時が来るのを楽しみに待ち望む。

平成8年10月吉日
         加藤洋三、晃子。]

なんとも立派で、しかも達筆で僕のお父さんが書いた物とは大違いであった。

運命とは不思議なものである。
もし、私が加藤家の養子になっていたならば、
どの様な生活をしていたのだろうか?
私は修君の様に聡明な人間になっていたのであろうか?

複雑な気持ちがより複雑になり、頭の中が真っ白になっていくのを感じた。思考力がまるで出ない。


「私達には妹がいるのですか?」
思考力0の頭に近くから声が聞こえてきた。

確かこの声は、……  修君の声だ。







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