ある「ギフテッド」当事者の半生(13) どうしてこうなった

2014年1月の終わり、母の葬式が営まれることになった。
場所は父の会社の近くにある斎場で行うことになった。高齢のために来ることが出来ない母の母(つまり祖母)からも、儀礼的ではあるが取引先の方からも、花を送ってもらった。
 通夜と告別式は、二日とも父も私も出勤することが出来ない。
 – それを助けてくれたのは、かつて母と働いていたパートさん達であった。彼女たちは自主的に出勤と通夜告別式出席のためのシフトを組み、参加してくれた – 。
 頭が下がる思いとは、このことなのだろうと感じた。

実を言うと、亡くなった夜には葬儀社に連絡を取った。亡骸をドライアイスで保存し、死化粧を施してもらい、火葬までの具体的なスケジューリングを決めるためだ。
 だが、私と父は混乱するばかりで、具体的な段取りを立てられずにいた。
それを見かねたのが父の妹である。横須賀に住んでいるのだが、母の臨終にも立ち会ってくれた。彼女は、具体的なことを次々と決めてくれた。
家族編では、父の妹に関して触れなかったと思う。と言うのは、父と父の妹はとても独立心が強く、仲はとてもいいが『うちはうち』という考え方の持ち主であるからだ。ちなみにそちらの方で、自分には従姉妹が二人いる。

 − 母は強し、と言う言葉があるが、その時ほどそう強く思った時はなかった。

 告別式が終わり、我々家族は火葬場へ向かう。霊柩車には父が、それ以外家族は後ろからマイクロバスで追いかける形だ。父は、母が生前元気な頃毎日通っていた会社を経由するよう、霊柩車の運転手に頼んだらしい。普段はそのようなことを気にかけるような性格でないことをわかっている私は、それを少し意外に感じた。

火葬場は少し遠くであった。と言うのも、近くの火葬場では予約で一杯で、少し遠くの火葬場しか空きがなかったからだ。
 亡骸を焼いている間、菩薩寺の僧侶と祖父が話し込んでいた。その寺は僧侶が兄弟という少し変わった寺で、その兄弟僧侶の父親と祖父が幼馴染だという。
その僧侶の父と、昔チャンバラごっこをしていたと祖父は話していた。
 − 相変わらず、古い家である。 −

そしてお骨を拾い上げる。…のだが、それを見た私は思わず絶句してしまった。
 というのも、2008年に母方の祖父が亡くなった時もそれを見たのだが、お骨の量がその時の半分にも満たないくらいの量だったからだ。
身長としては15cmほどしか違わないのに。
 …長らくの闘病生活で、母の骨はボロボロだった。

お骨の拾い上げといっても、ここら辺の地域では箸を使わず、スコップのようなもので拾い上げる。そして拾い残したお骨は、斎場の職員さんが「ご了承ください」と言い、スコップとハケのようなものを使って骨壷に収める。
 そして、身長160cm弱あった母は、両手で持てる大きさの骨壷に入ってしまった。

『ああ、全てが終わったんだな』と、当時は思った。
 私が幼少期だった頃、母は髪を伸ばしていた。そして父の会社で仕事している時は、比較的短めの髪型だった。抗がん剤を始めてから抜け落ちてしまった母の姿。
その全てが、まるで走馬灯のように思い浮かぶ。

 …気づけば、我が家の菩薩寺でお経をあげながら納骨の最中だ。
帰国してから涙ぐむことは一度もなかったが、その時に初めて涙が自然とこぼれ落ちた。
 …全てが、終わったのである…。




 それから、月日は流れて2018年の暮れ。
父は、会社を畳む決意をした。私はあまりに未熟であり、母のように父を補佐する立場にはなり得なかった。その数ヶ月前に父からそのことを打ち明けられたが、私は否定出来なかったし、その事に同意をした。

 仕事を探さなくては − 。
とは言うものの、日本で就職活動というものをしたことがただの1回も無かった私は、どうすれば良いのか見当がつかずにいた。
転職サイトに登録したものの、経歴が経歴だけにまともな求人が引っかからない。
 …はて、どうしようか?

そんなことを考えていたある日のこと。
とあるPC・スマホを買取販売する店舗を訪れる機会があり、そこで「従業員募集中」とのポスターを目にする。
連絡先が書いてあった。本社は千代田区外神田。どうやら秋葉原のようだ。
 これだ、と思った。小売の経験が長いし、むしろ日本ではそれしかやっていない。
思うがまま、連絡を取ってみた。
 すると「履歴書と職務経歴書をメールで送って欲しい」と言われた。

履歴書なら、父の会社で人を採用するときに散々見てきた。職務経歴書は書いたことが無かったが、ネットで検索して雛形を見つけて作成した。自己アピールの文面は英語で作成するのは慣れていたので、若干大袈裟っぽい表現の日本語になってしまった。少し手を加え、メールで送信する。

…数日後、私宛にEメールが届く。送り主はそのG社の採用担当と書いてある。
 開いてみると、面接のために秋葉原へ来て欲しいとの旨。

- 言われるがまま、秋葉原の店舗兼オフィスに向かう。
 ちょうど約束の時間5分前。店舗の店員さんに「◯と申しますが、面接に来ました」と伝える。
店員さんは内線電話で何かやりとりをした後、すぐに上の階から男性が降りて来た。

「初めまして、G社のSと申します。どうぞ3階へ」
40代に見えるその担当者に言われるがまま3階へ行くと、同じ位の年齢の男性がもう一人待っていた。

「えーっと、◯さん。アルバイトの応募に来たの?社員の応募に来たの?」
向こうが困惑するのも無理はない。父の会社でスーツなぞ着たことがないので、私服で行ったからだ。
『はい、正社員の応募で来ました』
担当者二人は私の履歴書と睨めっこしている。

「こういう経歴の人初めてだから…詳しく話を聞かせて?」
今までの経緯を話す。向こうは、ふむふむと聞いている。

「うちの会社、パソコンとかスマホ扱ってるのはわかってると思うけど、どれくらいの知識があるの?」
『コンピュータに関してはVBを使える程度です。携帯電話はGSM端末を昔使っていて、ノキア端末のアンロックも出来ました』

 へぇ〜、と向こうは聞いている。
そして転勤の可否などを聞かれ、面接は30分程度で終了。

 別れ際、担当のNさんが言った。
「本社に行く時は、スーツ着て行った方がいいよ」


どうやらそれは、一次面接通過のサインだったようだ。


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