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【慰霊の日】障がい者と戦争 義理父の話

おはようございます✨🌟やふーです✨🌟

以前書いた記事を再編しています。
6月23日は慰霊の日。
一年に一度だけ、でも戦争があった過去に向き合う一日になりますように。という意味もこめて、6月はこちらの記事をトップにもってきています。

平和な未来でありますように✨🌟

  🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻

本日は沖縄は慰霊の日。
本土の方は知らない方も多いと思いますが、
実は6月23日は沖縄は保育園、小中高、市役所関係、すべてお休みになります。

そんな日が今日。

以前、あーーのさんが書かれてた記事から、
少し自分なりに踏み込んで書かせてもらおうと感じました。

きょうは義理父の話をします。

重ためな話ですが、
大事なお話なので、お時間あるときに、
読んでいただきたいと思い、記事にしました。

義理父は障がいがあります。両足下肢障がい。
生まれつきだと周りからは聞いたけど、
本人からの情報とは少し違っていたりします。

実は義理父はテレビの取材をされてたりする。
障がい者であり、戦争体験者だから。

これ、ネットに早速載ってたよーと本人に報告すると、「もうちょっと男前な格好してたらよかったかねぇ」とか、

わたしが「この話はどこまでほんとなの??」と改めて確認しても、本人は笑いながら、「大体言うことはきまってるからさぁ。こういう取材はーと。だから自分でも何話したか覚えてない」と言う義理父。

そんなことは言うものの、
相当な苦労をしてきたコトは間違いない。

いつも口だけは達者な義理父。でも娘はいなかったので、嫁のわたしのことは、そこそこ好いてくれてるはず。と思っておこう(笑)

詳しくは、こちらの記事で。

という、話はさておき、
沖縄にきてから、戦争と向き合う機会が増えたように思う。向き合うっていっても、本人は話さないから、たまーに私からあのときどーだったのー?とかを聴くくらいだ。

以下は義父から直接聞いた話と、
とわたしの推察を交えてお話し記載します。

本当に最中のことは、言ってはくれないが、
10人兄弟のうち、一人は戦時中になくなっている。

那覇から恩納村まで徒歩で逃げたとのこと。
最後は石川の収容所に。

お父さんにおぶってもらいながらの避難生活だったが、目の見えないお姉さんと、足の悪い自分は足手まといだから、父に「途中でもう、置いて逃げてほしい」と頼んだこと。

お父さんからは「どんなときも家族は一緒だから、一緒に逃げる」と言われたこと。

また障がい者が一家族に二人もいたことから、
差別的なことも言われ、
避難先を探すのも大変だったそう。

そんなことを話していた。

戦争が終わっても、家にいると、
近所の方からあそこの家には「タコみたいな子供がいる」と言われ、とても傷ついたそう。
当時は、車いすなども数の確保がなく、
地べたを這いつくばって生活するしかなかったために、外から見えた人からは
そのように言われたらしい。

そう言われたことは今でも覚えてる、
と言っていた。とても悔しかったと想像する。

なぜなら、今はお喋りが上手で、冗談や、てーげーなお話しすることが大好きだからだ。
  
義理父は20歳になるまで、
まともに外に出たことなく、引きこもりのような生活だったよう。バスを見たのも20歳過ぎてから、とは、聞いてます。

自分の人生は20歳くらいでようやくまともになってきた、と以前話してました。

この話を聞いて、よく生きててくれたなぁと思いました。兄弟が多かったから、少し気を紛らわせてたのかもしれないけど、、

昔は身体障がい者への風当たりが今よりもきつく、
まともに勉強もできなかった。またさせてほしい、ということはできなかっただろうな、と推察する。

義理父は新聞を見ながら、よく漢字をかいたり、
血圧を測り、数字を毎日キレイな字で書いたりして、以前は練習している。

特に気遣いぃの義理父で、揉めることができない(正しいことはわかってるが、間違っていても、周りに流されてしまう)、プライドが人一倍高い義理父は、大変だったとおもう。本人も周りもね。

だから、義母の存在は私にとっては、幻ではあるけれど、どんなして義理父をコロコロして前向かせてたんだろうな、、とは気になる存在ではある。(笑)


そんな義理父とは、
核心に触れたり、避けたりしながら、
なんとかやってきた。

それでも長男の嫁が私でほんとにこれでよかったのかなぁ、とたまーにまだ思います。(笑)

義理父は、
いまだに80歳すぎても、
20年ひきこもってたから、わーは20年気持ちは若いんだ!と言い張るおじぃでございます。(笑)

沖縄にいる人も、いない人も
話したらファンになるはず(笑)
みんな話してほしい逸材だな、とおもってます💐

きょうは特別な日ではあるけど、
今年は本当に現実世界でも戦争が起こって、義理父に「まさかやぁ、こんな戦争生きてるうちにあると思わなかった」と言われて、
はっとして、

淡々と過ごすのではなく、こうやって、
文字に起こすことも、大事なことだな、と思える一日の始まりでした。

本日もみなさん素敵な一日を⭐🌟

日々是好日。

【義理父から聴けたことを追記】
兄弟は奇跡的に戦争では生き残り、戦後にお父さん、お母さんが亡くなった。戦中も大変だったけど、戦後の生活が悲惨。とっても大変だった。
ひめゆりの塔におばあちゃん?おじいちゃん?の名前が刻まれている。お盆に見に行こうとおもう。

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