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橘かがり「女スパイ鄭蘋茹の死」

橘かがり「女スパイ鄭蘋茹の死」(徳間文庫)。電子書籍版はこちら↓

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 かつて誰をも魅了した女性が上海にいた。鄭蘋茹(テンピンルー)は、高等法院の最高検察官である中国人の鄭鉞を父に持ち、日本人の母親・香君を持つ日中混血児であった。才色兼備の美しさ、そして人を惹きつける力は群を抜いていた。しかし時は乱世、日中戦争が火蓋を切った。日中平和を願う鄭一家の願いは、日本軍の侵略によって瓦解した。独立抗日の志から、中国国民党のスパイに抜擢された鄭蘋茹。彼女の役割は日本の要人の籠絡だった。しかし特務機関の長・丁黙邨の暗殺に失敗した鄭蘋茹は、家族に累が及びことを恐れて自首。釈放を楽観視するも、ピストルで射殺される。本書は彼女の死を悼み、その生涯を追いかけた花野吉平による鄭蘋茹への恋文である。

 文章を読んだだけで、鄭蘋茹の品格や魅力が伝わってくる。自分がそばにいても見惚れて、胸が鼓動でドキドキし、頭に血が昇ってしまったことだろう。しかしそんな彼女が自分の性を武器にして、中国国民党の指令を果たさねばならなかった理不尽。そして冒頭の鄭蘋茹の処刑シーンの惨さ。ピクニックと称して誘い出されて喜んでいただけに哀れだった。どんなに美しい人も、死ねば骸となり、焼かれれば骨となる虚しさ。昨今はロシアがウクライナに言いがかりをつけて侵攻している。この情勢は日中戦争時の日本軍と全く同じである。しかしである。この乱世を生きた人々のエネルギーは、溶鉱炉のように煮えたぎっている。故国を思い、夷狄に身を挺して立ち向かう。銃弾に散ることになったが、鄭蘋茹はジャンヌ・ダルクのように雄々しく生きた。その生涯は儚くても、われわれの心に鮮烈な印象を残していった。短くても、凝縮された濃い命であった。

 

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