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細川豪志「東電福島原発事故 事故調査報告 深層証言&福島復興提言:2011+10」

細川豪志「東電福島原発事故 事故調査報告 深層証言&福島復興提言:2011+10」(徳間書店)。
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 2011年の東日本大震災から10年。それは地震と津波という天災だけではなく、東電福島第一原発事故という人災からの10年でもあった。当時の原発事故収束担当大臣兼環境省大臣であった細野豪志が、震災以降の自ら取った対応を、事実と科学的実証から振り返る自己調査報告。そこにはやりきれなかった悔恨と、自ら下した結論が起こした蹉跌への懺悔の気持ちが込められている。冒頭に「静岡に戻る時間があったら福島に行ってくれ。ここは東京電力の管内だ。俺たちがここまで便利な生活ができたのは福島のおかげだ。福島のために働いてくれ」という地元支持者の言葉が、自分を支えたとある。東京は福島の犠牲の上に成り立っていることを自覚している人は意外と多いのだということを実感する。そして未曾有の災害に遭遇して、いかに多くの叡智や献身があったかが、よくわかる。
 第1章では事故当時の最前線にいた人々へのインタビュー。原子力規制委員会の委員長だった田中俊一氏は、事故後の原発安全審査を司った。原子力委員会委員長だった近藤俊介氏は、菅総理から頼まれて「最悪のシナリオ」を提出。陸上自衛隊東部方面総監だった磯部晃一氏は、日米同盟「トモダチ作戦」の窓口だった。ここでの教訓は「同盟軍は行動を共にしてくれるが、運命は共にしてくれない」というド・ゴールの言葉そのものだった。当時の福島原発で働いて、その光景を作品「いちえふ」に描いた漫画家の竜田一人氏。現場にいたからこその、意味のない風評被害を当局が異常に怖れることを鋭く批判する。環境事務次官だった森本英香氏は、避難計画や中間貯蔵施設用地の確保など、環境省として初めてポスト震災に力を尽くした。長崎大学や広島大学など被曝医療経験のある医師の応援を受けた福島県立医大。そこで甲状腺がんの診断に当たった緑川早苗医師は、県民健康調査事業の検査継続を「過剰診断の害」と強く主張。
 第2章「10年たった現場へ」では、災害から10年経った福島が今どうなったかを検証する。原発そのものが立地した帰還困難地域であった大熊町。町長だった渡辺利綱氏は、大川原地区を復興拠点に提唱。現在の帰還率は4%。復興支援が途絶えた時に必要なのは、被災地の自立とそれを支える人。南郷市兵はそのために「ふたば未来学園」を作った。2012年3月に早々と帰村宣言した川村町の遠藤町長。その甲斐あって8割の住民が帰村し、地域振興も充実。富岡町長だった父から会社「ふたば」を引き継いだ遠藤秀文社長は、被災後にいわき市に移転した本社を、富岡町に戻して町の産業復興に努める。いわきを代表する老舗・大川魚店。鮮魚販売は原発の風評被害を最も受けた。ずっと続いた試験操業が、ようやくこの4月に解除される。そこでの課題は処理水の海洋排出。今、国に求められているのは、トリチウム希釈水の安全性の世界的アピール。安全は科学で証明された。あと必要なのは安心だ。そして福島県知事だった佐藤雄平氏こそ、県民の安全を一身に背負った。細野豪志に「福島が地元だと思ってやれ」と諭し、東電には復興本社を東京から福島に移転させ、福島復興再生特措法を作った。10年の歳月で風評被害もおさまってきたが、災害や復興も風化させる。浜通りのイノベーションコースト構想など、復興はこれからが出発と説く。
 第3章はまとめとして、細野豪志が挙げる「福島のために、わが国が乗り越えるべき6つの課題」。
①科学が風評に負けるわけにはいかない。処理水の海洋放出を実行すべき
②中間貯蔵施設には確かな希望がある。独り歩きした除染目標の1mSv
③福島で被曝による健康被害はなかった。甲状腺検査の継続は倫理的問題がある
④食品中の放射性物質の基準値を国際基準に合わせるべき
⑤危機管理に対応できる専門家の育成は国家的課題
⑥福島の決断も問われている。双葉郡を中心とした町村合併の検討を”

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