アメリカナイズ

「台湾有事」は「アメリカの夢」と書いたとき、世界で起きているアメリカナイズについて少し書いた。アメリカナイズの「悪夢」が世界をおおっているというのが私の見方だが、それを証明するような事件が起きた。
 『悪魔の詩』の著者、サルマン・ラシュディがアメリカで刺された。容疑者の動機は不明(読売新聞)だが、『悪魔の詩』はイスラム教を冒涜している批判されており、そのことが関係するかのように報道されている。
 これが「アメリカナイズ」とどう関係するか。関係するのはイスラム教だろうと指摘する声が聞こえてきそうだが、私は「アメリカナイズ」のひとつととらえる。

「アメリカナイズ」とはアメリカのスタイルが世界をおおうということである。この動きは「自発的」というよりもアメリカが要求しているものである。それに逆らって自分のスタイルをつらぬくことはむずかしい。そのアメリカナイズのいちばんの典型が「核武装」である。
 アメリカが核を開発し、広島と長崎でつかった。そこから「核軍拡」が広がった。これをアメリカナイズと呼ぶひとはいないが(いないと思うが)、私はそう呼ぶのである。
 核攻撃をされたら自分の国は滅ぶ。対抗するには核を持つしかない。核を持つものが世界を支配する。その主張をソ連(いまはロシア)がまねをし、イギリス、フランス、中国がまねをした。そのあと、イスラエル、インド、パキスタンとまねする国が出てきて、北朝鮮も核をもっているらしい。ほかにも計画している国がうわさされるし、なんといっても、いま世界の注目を集めているロシア・ウクライナ問題でも「ウクライナがソ連時代の核をもっていたら(ロシアに渡さなかったら)、今回の侵攻は起きなかった」という主張もある。ゼレンスキーが求めているのも核の後ろ楯であり、核武装だろう。ここからウクライナのNATO加盟申請が起きた。
 この背景にあるのは、武力のあるものが武力のないものを支配してもいい、あるいは武力で自分の望む「体制」(社会)をつくっていいという思想であり、アメリカ大陸に「アメリカ合衆国」ができたときの考え方を踏まえている。ヨーロッパからやってきた人間が、ヨーロッパ式の武器をもたないネイティブアメリカンを力で制圧し、そこに自分の国をつくりあげた。武力を「文化」と勘違いし、武力をもったヨーロッパ系の人間が、その価値観をアメリカ大陸、アメリカ合衆国に広げていった。
 ネイティブアメリカンを差別し制圧した後は、アフリカ系の人間を差別し、「奴隷」として酷使した。白人の「文化」がアフリカ系の「文化」よりすぐれているから、アフリカ系の人間を支配してもかまわないという思想だろう。これが根を張り続けて、アフリカ系アメリカ人への差別につながっている。白人警官がアフリカ系アメリカ人を死に至らしめた事件は、まだまなまなしい。ヒスパニックへの差別も根強く残っている。自分とは違う文化を生きる人間を差別するというのは、「アメリカ」という土地で増殖したのである。「差別の拡大」が世界のアメリカナイズの「象徴」である。
 そしてそのアメリカナイズの基本、アメリカの理想は「合理主義」である。いかに効率的に世界のシステムを支配するか。この「合理主義」というアメリカナイズが世界を席巻しているのだけれど、「合理主義」というのは「合理」にあわないものは排除することによって促進される。これが、さまざまな問題を引き起こすのだ。「合理」ではかたづかないものを抱えて生きるのが人間であり、不都合(不合理)を抱えながら共存するのが人間である。宗教、それにともなう様々な生活習慣は、ときに抑圧を生み出す。差別を生み出す。
 もしラシュディ襲撃がイスラム系の人間の犯行だとしても、それは、アメリカのアメリカの主張している主義以外は認めない(イスラム社会のあり方を批判、否定する姿勢)というアメリカナイズへの抗議というものだろう。アメリカが「多文化」の国ならば、こういうことは起きない。どの宗教にもそれぞれの主張がある。それを認めるという世界観がアメリカで実現されているのだとしたら、そしてそれが世界に広がっていたとしたら今回の襲撃は起きなかっただろう。アメリカは「人種の坩堝」ではあるかもしれないが、「多様な文化を許容する社会」ではない。マルチ文化を否定するのがアメリカナイズである。アメリカの文化にあわせろというのがアメリカナイズである。
 中国のチベットや新疆ウィグル地区への弾圧が話題になるが、これも、私の見方では「アメリカナイズ」のひとつである。中国で起きているから(中国政府が引き起こしているから)中国独自の問題に見えるが、根っこは同じ。「他文化の共存」を拒否する。「自分の文化」を押しつけ、支配する。アメリカがやっていることと同じ。
 アメリカは、それを「台湾」に強要した。それが「台湾有事」である。台湾の人が中国の経済政策(金もうけ)を選ぶか、いまのままの台湾方式を選ぶかは、台湾に住んでいるひとの問題であり、アメリカ人の問題ではない。
 こうした「他文化」を拒否する、「文化の多様性」を否定する動きを変えていくためには、アメリカがかわらなければならない。アメリカが「多国籍文化」にならない限り、アメリカナイズの弊害は発生し続ける。「なぜ、アメリカの主張する生活(文化)スタイルでないといけないのか。我々には我々の文化(生き方)がある」という抵抗が起きる。
 アメリカが核兵器を廃棄し、アメリカ人が中国人のように、世界中に出かけてゆき、そこに「アメリカタウン」をつくるようにならないかぎり、世界は滅びる。世界のどこへでも出かけ、そこであまりひとが好まないような仕事でもせっせとして金を稼ぎ、生活を安定させ、家族を呼び寄せる、「チャイナタウン」をつくってしまうという中国人の生き方が世界をかえていくだろう。いまは「チャイナタウン」だが、それは多民族をまきこんだ社会システムになっていくだろう。

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