ふつうの家庭のへんな父ちゃんの話
ふつうの家庭
うちはふつうの家庭だ。
姉ちゃんと私、母ちゃんと、父ちゃん。
父ちゃんは愛人宅に住んでいて、週に二回、
水曜日と日曜日の夜にだけ帰ってきていた。
まあ、ふつうの家庭だから、ふつうに不登校してたりもする。
そしたら毎朝8時半に父ちゃんが電話かけてくる。
んで、学校行けと叱られるわけだ。
そんなんで行けたら苦労しない。
それはまあいい。怖いのはこれからだ。
うちの父ちゃんは営業職だったので時間が比較的自由だ。
「ガシャーン」
うちは団地だったので玄関は鉄扉だ。
鍵がかかっているのに力いっぱい引くとすごい音がする。
父ちゃんがやってきたのだ。
続いて「ガチャガチャ」
鍵を開ける音。
隠れる姉と私。
説明し忘れていたけれど姉もふつうに不登校だ。
隠れても狭い部屋、すぐ見つかる。
私は柱にしがみつく。
父ちゃんは両足首をつかみ力づくで引っ張る。
学校まで引きずっていくつもりだったのだろうか。
私の強情さに諦めたら次は姉にターゲット変更。
さすが年の功、姉は的確に弱点を突いてくる。
「たまに帰ってきて偉そうに」
正論をかまされた父ちゃんは実力行使で足蹴。
証拠が残らない程度に気持ちよくボコったところで満足し、
仕事へ戻っていく。
日曜のドライブ
そんな父ちゃんだが、たまの日曜はドライブに連れて行ってくれる。
せっかくのお出かけ、姉妹におしゃれさせようと
父ちゃんからおそろいのトレーナーのプレゼント。
たぶん、というか十中八九、愛人の選んだ服。
そして、残念なことに、本当に残念なことに、
彼女には絶望的にセンスがなかったのだ。
ダサいペアルックを着て近場に行くわけにはいかない。
知り合いに目撃されでもしたら、さらに学校から足が遠のいていく。
自然、早朝出発高速3時間、遠方の目的地へ。
道中はお葬式状態…かとおもいきや、飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎ。
(子供なので飲んでいたのは眠気覚ましのコーヒー。)
これには理由があった。
これがうちを「ふつうの家庭」にしていた所以だ。
週二日の晩酌
父ちゃんは九州男児なので家事は何もしない。母ちゃんは言いなりだ。
「酒」「はい」「灰皿」「はい」「油揚げの焼いたの」「はい」
テレビはずっと大好きな阪神の中継。
週二回の晩酌はニコニコ、チヤホヤされっぱなしである。
父ちゃんはそこそこ仕事ができる人だったらしく、なかなかの収入を得ていた。
しかし愛人を囲っているので、あまり家には金を入れたくない。
母ちゃんが家計の厳しさを訴えると、
金でなく「私の節約術」なる新聞の切り抜きを渡してくるほどだ。
そんな父ちゃんの機嫌を損ねてしまったら、
「好きにしろ」と捨てられてしまう、母娘三人路頭に迷ってしまう、
そんな恐怖が我が家には漂っていた。
今思えば婚姻関係のある相手にそこまではできないと思うのだが、
追い詰められている人間の思考なんてそんなものだろう。
たぶん、父ちゃんは二つの家庭をうまく両立していたつもりでいた。
よくもまあそんな思考になるものだ。
うまくいっている家庭は不登校の子供を蹴ったりしない。
離婚
時は流れ、末っ子である私が大学を卒業した時点で両親は離婚し、愛人と結婚する。
「責任は果たした」
父ちゃんは言った。
なんだよ責任って。
理系なので大学院に行きたかったが問答無用だった。
大学まで出してもらって感謝すべきなのだろうが、
そのときはバブル華やかなりし頃、
金は湯水のようにあった(父ちゃん本人談)。
専業主婦だった母ちゃんは、毎月振り込まれる慰謝料だけが頼りとなった。
母ちゃんはご機嫌とりを続けていたようだが、
私は父ちゃんと縁を切った。
父ちゃんは最後に
「折り目節目には相談しろよ」
と言った。
はあ、そうですか。
「折り目節目」の意味はよくわからなかった。
電話
そうやって二十年は経ったろうか、母ちゃんから連絡があった。
「今月分の慰謝料が振り込まれてない」
母ちゃんにとって慰謝料が振り込まれないということは無収入を意味する。
面倒だな…と思いつつ、なんとか連絡先をさがしあて、
父ちゃんに電話をした。
父ちゃんは大喜びだった。しかしなんだか要領を得ない。
軽く認知症が出ているようだ。
「慰謝料?なにそれ?」
話にならないので、愛人、じゃない、もう奥さんだ。
彼女に電話を替わってもらう。
お金の話なので、まずは下手に出なければならない。
「父がお世話になってますぅー。」
慰謝料を振り込んでいたのは彼女のようで、テキパキと話は進む。
彼女は事情で振り込みが遅れたことを詫び、振り込み日を約束した。
あまりにあっさり話が済み、彼女は世間話を始めた。
「もう結婚はしたのー?」
そんなあっけらかんと聞くことだろうか。
服のセンスもダサいが、話のセンスもダサい。
「いいえー、まだですぅー。
子供の時男性不信になる出来事がありましてぇー」
彼女は慌てて取り繕っていた。
最後に父ちゃんが話したいといったらしく電話を替わった。
「何か機会があったら会おう」
ああ、やっぱりふつうの家庭だと思っていたんだ。
そうでなければ、私が会いたいと思う理由など、どう考えても、ない。
会って何を言おうというのか。
自分が不幸にした子供に許しを請おうとでもいうのか。
「気が進まない」
そう答えておいた。
寂しそうに父ちゃんは言った。
「折り目節目には相談しろよ」
ちょっとだけ可笑しくなった。
次の節目は葬式だろ、と。
この物語は、実話をもとにしたフィクションです。
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