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自分に縁のある場所は自ら足を運んで巡る

9年ほど前、まだ学生時代に宮本輝の「ドナウの旅人」を読んだことがあって、何年も月日が経ってしまったけれどこの6月にようやく、縁の地を巡ってきた。


ドイツはバイエルン州のレーゲンスブルクとパッサウ、オーストリアのウィーンの3都市だ。


まさか9年もの歳月を超えて、実際に足を運ぶことになるとは思っていなかったけれど、これにはいくつかの物語があって、今回はそんな話をしたい。



今でこそヨーロッパに入り浸っているが、初めてヨーロッパを訪れたのは2010年の2月だった。


当時学生で、長期休暇を利用して海外インターンなるものに参加して、ポーランドに行ったのがこの時だった。


この時は2ヶ月ほどポーランドに滞在して、英語もあまり通じないような町で暮らしながら、滞在のちょうど折り返し地点でパスポートをはじめとする貴重品が盗難に遭ったりして、どちらかと言えば「悪く心に残る」滞在だったのだけれど、無事に帰国してからは彼の地に郷愁を抱いてしまい、なんとかして自分の心だけでも、大陸の向こう側に留めて置きたいと思っていた。


そんな折、大学の生協書店で手にしたのが、この「ドナウの旅人」だった。


恥ずかしいながら、当時はヨーロッパの地理なんてものはほとんど分かっておらず、ポーランドに関係する本を読みたいとは思っていたものの「ドナウ川もポーランド流れてるやろ」くらいに思って読んでみただけなのだが、ご存じのとおり、この川はドイツ~オーストリア~スロバキア~ハンガリー~ルーマニア、のように流れているので、ポーランドの「ポ」すらかすることなく、物語は終わってしまう。


しかもこの物語は、複雑で込み入った二組の大人が、それぞれの事情でドナウ川に沿って旅をするというもので、当時の自分にとっては、心の描写も分かるような分からないような………。そんな本でしかなかったのだ。


(ちなみになぜ「宮本輝」が好きかというと、中学生のときに国語の学習参考書に彼の作品が使われていて、その文章が心に響いてから、長きにわたってファンとなっている、という始末)



とは言うものの、確かにこの時に「ドナウの旅人」を読んで、この物語の舞台となっている場所にも興味を持ったことは事実だった。



そしてその2年後に、僕は再度ポーランドに行くことになるのだけれど、この時に自分の人生を救ってもらったと思っていて、それ以来ポーランドとは長く関わりが続くことになった。



そしてその後、日本にいる間に「何かポーランドに恩返しを」と思って始めたのが、カウチサーフィン(CS)というサービスだ。


これは、今で言う「エアビ」の「宿泊料金を介さない」タイプのもので、要するに「タダで泊めて下さい」「タダで泊めてあげます」という、旅のアコモ提供を軸にした一種のSNSのようなものだ。


ポーランドに行った際にこのサービスを使って、何度もポーランド人の家にお邪魔させてもらったことがあるのだけれど、その後さすがに「このまま何もお返しできないと罰が当たる」と思い、そこそこ広い実家の一室(和室)を開放して、日本にやってくる外国人を定期的に泊めていた。


とは言うものの、「タダで泊めます」というサービスのため、利用者も玉石混交なのもまた事実で、中には前日に「泊めさせてください」というリクエストが来ることも多く、このままではいかんと思い、「月に1回程度」のペースで人を泊めることにした。


その際に、「相手がポーランド人であれば、基本的に顔パス」という方針を採って、1年ほどのCSで、半分くらいはポーランド人、という結果になったのだけれど、その中で泊まってくれたポーランド人の一人が、今「レーゲンスブルク」という、ドナウの旅人の舞台になった町に住んでいるというのが、あの河に沿って旅をしようと思った、一番大きなきっかけである。


(ちなみにその子とは、北京からワルシャワに飛ぶ飛行機で偶然一緒になったりと、「偶然」という一言では言い表せない、何か不思議な力が働いている)



そんなわけで、「ドナウの旅人」を読んでから9年2ヶ月という、途方も無い歳月を経て、ようやく小説の舞台となる場所に足を運ぶことができた。


レーゲンスブルクではその子にももちろん会い、厚かましくも家に泊めさせてもらったが、CSで日本に泊まったのは6年前(2013年)にもかかわらず、「やっとあの時の恩返しができた」と言ってもらえた。



ちなみに、「ドナウの旅人」が書かれたのは1982年。まだドイツは西ドイツと東ドイツに分かれていて、西ドイツとオーストリアを移動するにも国境審査が必要、チェコとスロバキアはチェコスロバキアという1つの国だったし、ハンガリーに行くにもビザが必要で、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国が存在していた時代に、彼らはその舞台を旅していたのである。


今や、東西ドイツは統一され、国境審査も多くの国で撤廃され、共通通貨も導入され、インターネットを使えば何でも簡単に調べられる時代。


「たった」25年ほどでこれだけ世界が変わってしまうことに驚きつつ、そんな、当時とは様子が様変わりしてしまった便利な時代に、舞台となる町を練り歩いてきた。



旅の最中では、できるだけ小説に登場した場所も訪れるようにしたが、そもそも情報が少なすぎたり、建物が建て替えられていたりして、あくまで「街」を訪れることが主体になった。



しかし本音を言うと、「小説ゆかりのスポット」をどれだけ訪れるかなんて、自分にとってはそこまで重要ではないのだ。それより何倍も大事なことが、「自分にとって大切な人や場所には、自らの足で出向く」という「生き方」だ。



これまで、自分が人生でお世話になった人の数は計り知れないが、特に自分が恩を感じている人には、今でも自ら足を運んで挨拶をしている。


会社を辞めた後、翻訳の仕事を振って頂いて自分が独立するきっかけを与えてくれた小さな会社の社長や、海外で暮らす中で知り合った、自営業の友人や、年代が近い人たち。


肩書きや年齢や立場に関係なく、自分がお世話になった、お世話になっていると思う人には、自分から声をかけて近況報告をして、時には一緒に遊びにだって行く。


別にこのご時世、メールやチャットで文章を送れば連絡なんて取れるわけで、そんな時代にわざわざ直接出向くなんて、効率を考えればメリットなんてゼロに近い。



でも、それは違うと前から思い続けている。



こんな、「インターネット越し」に何でも知れて、誰とでも繋がれるようになったご時世だからこそ、実際に直接足を運ぶのだ。


インターネットが使えるようになって何が起こったかと言えば、周りの人や場所が「one of them」でしかなくなってしまった、ということだ。



SNSを覗けば、色んな人と繋がっている。けれど、名前と顔が一致しなかったり、いつどこで会ったのかも思い出せないような人だって沢山いる。


旅行に行く場合を考えよう。インターネットを使えば、色んな場所の「それっぽい」情報は全て手に入れることができるようになったし、画像検索をすれば、実物よりきれいな写真を目にすることだってザラにある。


けれど、そんな状態で自分が「誰を選ぶか」「どこを選ぶか」と言えば、何らかの形で「印象に残っている」人や場所にするのが普通じゃないだろうか。


SNSの繋がりも、Googleを調べて出てくる情報も、所詮全て「one of them」でしかない。


だから、Facebookのイベントページに誰構わず招待しても、反応なんてたかが知れているし、ネットの情報「だけ」を頼りにして行ってみた場所なんていうのも、実際に行ってみると「知れて」いるのだ。



じゃあ、そんな「one of them」の状態から抜け出すにはどうしたらいいかというと、何らかの形で記憶に残る、印象に残るようになるしかない。


そのためにできること、というのが、自分の場合「実際に声をかけて足を運ぶ」ことになる、というだけだ。



これは多くの人間が勘違いしていることだけれど、なぜか「自分は特別」な存在だと、どこかで思ってしまっている。でも、実際にそんなことはなくて、何か「特別なこと」が起こったのは、たまたまの偶然か、ビギナーズラックか、あるいは根っこから勘違いしてしまっているだけだ。



だから、メールを1本書いただけで相手から反応(返信)がある、なんてことは普通はないし、普段から何もやっていないのに、自分に幸運が舞い込んできたり、良きことが起こるなんてことも、あり得ない。あるとしても、1回だけ起こってそれっきりだ。



つまりそれは、他ならない「one of them」の状態でしかないわけで、その状態を勘違いしてしまっていることこそが、自分が「one of them」でしかない理由の1つとも言える。



じゃあ、その状態を抜け出すにはどうしたらいいかというと、もうこれは、「いかにして相手に覚えてもらうか」ということを考えて、実践するしかない。


これはあらゆる人間関係について言えることで、最近は「人工知能が仕事を奪う」とかなんとか言われるけれど、その人工知能を扱うのは人間なわけだし、人間同士のやりとり・コミュニケーションはこれからも続いていくわけだから、どうやったら「その相手にとって、自分がone of themではないか」ということを考えていけば、答えとは言わないが、これからの世界を生きていく上での方針・指針は自ずと分かってくるんじゃないだろうか。







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