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自己紹介【プロフィール】


こんにちは。なつきといいます。


私は普段ドール服の製作をしています。

世間ではお人形遊びをする人は限られているかもしれませんが、お人形遊びも人生を作り込むのも似たようなものだと思っていて、私が関わりたいと思う人は多岐にわたります。


これからはもっと交友関係を広げていきたいので、改めて自己紹介をしようと思います。



私は1990年の年度末に産まれました。

幼少の頃は友達を作ることもせずにダンゴムシを集めてばかりいました。その割に、英語やバレエなどを習っていて自分のことは特別なお姫様だとお高くとまっていました。
親の離婚、再婚を機に、お姫様ではなくただの連れ子になりました。そんな自分を守るために愛想と嘘という社会性を覚えました。


その後は、父親の経営する仕事場に家族みんなで住み着き、24時間一緒に過ごす生活を送りました。普通の家庭とは違ったけど、両親が働く様子を側で見れたことは今とても為になっています。

母の離婚や苦労を目にしていたので、女が独り立ち出来そうな進路を選んで高校卒業後は3年制の看護学校に入学しました。


その精神疾患病棟の実習で、自分が精神疾患のような振る舞いをしていると気がつきます。


ロールモデルになりたい自分と衝動的な欲求を我慢できない自分とが変わりばんこに表れてコントロールできない。いつの間にかそんな状態が加速していたのでした。

大人になるにつれてやることが増え、愛想や嘘で誤魔化せてきたことが追いつかなくなったようでした。


精神疾患の病棟で見たのは、精神疾患を根本的に治すための治療がいつも行われているわけではないということでした。
医療は人間のためではなく、社会のためにあるように思いました。当時、社会は人間のためにあるとはとても思えませんでした。

看護学校は卒業間近で退学しました。
何が正しくて何が正しくないのか分からなくなったからです。

その後、家を追い出されたので一人暮らしをしながらアルバイトをしました。
半年経った頃、無理に長時間働いていたせいで通勤中に交通事故に遭いました。
全身の骨がバラバラになり、3ヶ月寝たきり。おかげで3ヶ月みっちり看護を受ける羽目になりました。ありがたかった。

その後は実家に戻り近所の美容室で働きましたが、婚約者のいる上司と関係を持ってしまって大騒動になり半年で辞めます。

よいよ困り果てた母親が結婚相手にと勧めたのが父親の同級生で、私のことを世界で1番よく知る男性でした。


結婚生活と北海道の景色に安心したのか、いつの間にか失った自分の感覚を取り戻しはじめます。

物心つくかつかない頃に、無駄に愛想と嘘を身につけたことで自分の気持ちまで無意識に誤魔化していたしわ寄せがきていました。

予測したり心配事を考えることを辞められない状態が続いていたので、その時初めて瞑想をしてみたのでした。2014年の3月でした。


ただ20分の間、目をつむって考えることをやめるだけ。考えることをやめること自体が恐ろしく集中力と決意が必要でしたが、たったその20分だけでそれまで恐ろしいと感じていたことが恐ろしくなくなりました。

心の腹の底に安心感が無条件にどっかり鎮座していることが分かったからです




"切羽詰まった状況ではない限り、人間は無条件に安心できる。外側に何を求めなくても、自分を偽ったり着飾ることをしなくても健康に生きていける。
その時その時の目の前の感覚だけを着実に感じれば身体は自然と動く。"


私は疑問でした。このことを知っている人は世界にどれだけいるのかな。居るならなぜ、精神的に病気を患うことが傍観されているのだろう。そうまでしてこの安っぽいものが溢れる社会を駆け足で回し続ける意味はあるのだろうか。

世間知らずだった私は、日本社会や今の医療がどのように発達してきたのかという時代背景や事情をよく理解していなかったのです。




それから色々あって、刺し子を学びました。

手芸として楽しい刺し子。
洋服を補修するための刺し子。
ボロをつないだ念のこもった刺し子。
昔、刺し子をしていた人の想いを想像して
昔、今より貧乏だった日本人の生き様を知りました。


私は刺し子を美しいと思いました。

地味だし、ボロボロだったり、伝統工芸でもないけど、それを次の世代にきちんと伝えたいという人達とも出会いました。

私は刺し子がしたいと思いました。

生活が苦しくても、幸せを祈って惨めな自分を受け止めて地道に手を動かし暮らした人たちのように生きたいと思いました。

https://natsukidenim.mystrikingly.com/


今は、刺し子がうまれた当時とは生活環境がよほど違います。刺し子を趣味にする人の中にはこう言う人もいます。

"昔の人が刺し子をしていた頃はとても貧しくて、布きれを手に入れるだけでも一苦労だった。今の贅沢を知っている私たちの刺し子は、当時の刺し子には敵わないよね。"


その通りだけども、私はどうしても納得がいきませんでした。


今の社会の方が昔より絶対に裕福なのに、どうして自分は幸せでもないどころか気持ちも失い、幸せを純粋に祈ることさえもできないのだろうか。


昔の人が残した刺し子の針目を見ていると、昔のその人の方が幸せそうだと思ったのです。

この今の世界で、私が手に入れられるもの全てを精一杯利用して、自分や家族の幸せを一心に祈りながら、実際に幸せにならなくちゃ。

"貧しかった頃の方が心が豊かだったよね"なんて呑気すぎる。当時の人がこの時代を生きていたら、きっとそんなことには甘んじない。当然、インターネットもSNSも駆使しながら脇目も振らず泥臭く意地を貫いて生きただろう。


そう思い、刺し子をしよう!と決意したものの
、見よう見まねで刺し子を続けても、昔刺し子をしていた人たちと同じ気持ちになることはできないと思いました。


私は自分の生活を顧みました。純粋に幸せを願える題材は何か。自分の暮らしを豊かにするものは何か、自分にできることは何か。



それはドール服作りでした。

be my baby! Cherryドール


お人形遊びの贅沢さは、私の生活を豊かにするもので、今の生活に必要なことでした。
刺し子が人の暮らしも心も豊かにしたように、私の暮らしを実際に豊かにしてくれるお人形遊びに関するもののために手を動かそうと思いました。
私の作る小さなお洋服が、大人の想像をかき立て心を豊かにできるように。丁寧に作られた作品が人の心を癒せるようにと願いました。

そうして、この何年かドール服作家として活動してお陰様で需要もありお客さまにも恵まれていましたが、このたび個人的な作家活動は終了することに決めました。


自分の納得のいくものを作って自分の暮らしを豊かにしてということを叶える前に、作家活動で販売することに逃げて安易な収入を得る手段にしてしまいそうだったからです。


これは、生活に十分な収入ともいえず、納得のいく商品を作ることもままならない上、作品が手元に残ることもない状況で、何年かのうちに行き詰ることが目に見えていました。

今は、こんな↓課題を攻略するために活動しています。

◆納得のいくドール服作りを続けるために、人脈を広げる努力する。SNSを頑張って活用する。

◆ドール服作りなど基本的な技術の腕をもっと磨く。

◆ビジネスや経営など社会を渡り歩くために勉強する。

◆縫製技術を商品化サービスとして提供できるように、プレゼンできる見本を製作する。


私の作品の仕上がりを決めるのは、100年後の人間を驚かせることができるだろうというところまで作り込んだかどうかです。

私が刺し子に魅了されたように、生活も心も豊かにするために本気で取り組んだ人間が居たことを残せたらいいなと思います。


コロナもあり、私が引きこもって刺し子とドール服を黙々と作っている間に世間ではウェルビーイングな仕事の仕方が提唱されるようになっていました。
多様な働き方や暮らし方がこれからも増えていくんだろうなと思います。

noteでは、仕事仲間で、友人で、社会を想う間柄の良い関係が築けたら嬉しいです。

ここまで長い自己紹介にお付き合いくださり大変ありがとうございました。

今後ともどうぞよろしくお願いします♡

奈月

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