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PPP的関心【続。ウォーカブルシティ。「すでに起こった未来」をいかに探し出すか】

沖縄は梅雨明けらしいですが、当地では、家の湿度計の数値も日増しに高くなり「すっきり」というわけにはいかず、どこかカラッとした場所に出かけたくなるこの頃です。そんな気候の時に街中を歩くのもなかなか大変ではありますが、一方で普段は車に占拠(大げさですが)されている道の真ん中で座って見上げてみると違った景色や気づかなかったことの発見もあってそれはそれで面白いことになります。
*写真は関内界隈で道の真ん中に座って桜を見上げた時の1カット。

注目記事。首都圏で広がる歩行者重視の街づくり

#日経COMEMO   #NIKKEI

首都圏の駅周辺などで歩行者の滞在しやすさを優先した街づくりが広がっている。飲食店のテラス席を歩道に広げたり、車の通行を止めた道に芝生を敷き詰めたりすることで、居心地のよい公共空間を目指す。迂回道も整備して車とのすみ分けを進め、中心部の消費地としての潜在力を引き出す狙い

記事より

こうした「歩ける街づくり」というのは、言い換えれば「街の使い方」や、あるいは誰(何)にとって便利な街かの「利便性の優先順位」を入れ替えるということとも言えます。つまり人口増加やそれに伴う経済活動規模の拡大にとって都合の良い、人や物を大量に楽に運べる車にとって便利な街なかの使い方から、その場にいる、歩く人にとって快適で便利な使い方に変えるということです。

将来を見越した使い方や優先順位であるか

良いことと、受け入れやすいことではないですが、街中の使い方や優先順位の計画をしているうちに時代、社会構造、事業環境が変わってしまい、いざ実行に移す時には当初の目論見とは異なる結果になってしまうことは現実にあります。特に、多くの人の意見や利害関係を調整をする必要がある場合には起こりがちでしょう。

「すで起こった未来」というドラッカーの言葉があります。「すでに起こった未来は、特に人口構造、知識、他産業・他国・他市場、産業構造、組織内部という5つの領域の変化から見出せる」と語っています。中でも「人口構造の変化は、労働力、市場、社会、経済にとって最も基本となる動きである」こと、そして「すでに起こった人口の変化は逆転しない。しかも、その変化は早くその影響を現す」と述べています。つまり、人口や世帯の動向がその後の市場に影響を及ぼすというわけです。

「どうする」だけではなく「どうなる」の視野が必要

実現・実行するまでに時間や手順のかかるプランであれば、今取り組もうとしているプランが、「この先」の人口構造、知識、他産業・他国・他市場、産業構造、組織内部という5つの領域の変化に目を凝らしたものであるのか、この先の変化に柔軟なものになっているのかという点に関心を持つべきだろうと思います。

ちょっと横道にそれますが、昔のことを思い出しました。
10年くらい前、ある会で自分達の街の未来について考えるというテーマなら「どうなる」ではなく「どうする」ではないのか?という質問をしたことがありました。↓リンクはその時の活動記録的な本です

主催であり会のタイトルをつけた方の回答は、記憶も曖昧ですが確か「どうなる」という言葉により大きな社会の動きのようなものも含めた未来を考えたい、というものだったと思います。後日、別の方からも、「どうする」では考える人の背景や持っているものによって解法や方向が制約される可能性があるので「どうなる」という視点で全体を見渡してみることが大切なのだという考え方を教えてもらいました。

「この先」の人口構造、知識、他産業・他国・他市場、産業構造、組織内部という5つの領域の変化に目を凝らすことは、「どうなる」を客観的に俯瞰的に捉えた上で、この先を見通すということと重なるなと思い出しました。

歩ける街に期待される効能、もたらす効能

以前のPPP的関心でも書いた通り、周辺の経済効果や市民の健康効果があることが指摘され始めています。
冒頭の記事の首都圏各地での取り組みもそのような効果が期待されて検討、実施されていると思います。

例えば、の見方です。
人口規模の縮小に加えて高齢化の傾向は、購買量(例えば一回に食べられる食料は減る)や購買力(例えばそもそも消費に回せる総額が減る)を落とすことは仕方がないところですが、一方で「時間の価値」や「体験の価値」に対する付け値(買い手が支払っても良いと考える値段)は高齢化とは関係がないものだと思います。

健康増進のために時間をシェアすることや車からの目線では気づかなかった店の存在とその店での消費といったことは、まさに時間の価値や体験の価値の増加(いや増加というより再発見ということかも)ことだと思います。

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