美しいものと生きる道を選ぶ人たち

あの人、センスあるよね〜

とてもよく聞く会話だ。

どうしても「センス」という言葉は、天性のものと一言で済ませてしまうところがある。もちろんその側面もあるかもしれないが、周りのセンスあふれる友人を見ていてると、後天的な要素もとても大きいという実感がある。

では、後天的な要素とは何か?

彼らを観察してみると、自分が美しいものと思えるものを知っていて、それと出会う頻度と密度を高く高くキープし続け、誘惑を切り捨てている。そんな共通項があるように思える。

つまり、センスがある人は「美しいものと生きる道を選ぶ」という覚悟を持った人たちだと僕は思っている。

まず、自分が美しいと思えるものを知っている。一口に言っても美しさはbeautiful / cute / cool / lovelyなどたくさんある。その中で自分にとっての美しいものがどれなのかをきちんと把握している。僕は「美しさ」はある種、山のようなものだと思っていて、頂から裾野まで末広がりでいろんな高さがある。センスがある人は、自分にとっての頂きがどこにあるのか、その高さがどのくらいなのかを知っている。なんでもかんでも美しい!なのではないのだ。

次に、美しいものとの頻度と密度。自分が好きだなと思う感性を持つヒトとモノと過ごす時間を中心に生きている。モノと過ごすのはもちろんのこと、美しいものにはヒトも含まれていて、僕の周りにいる素敵なセンスを持つ友人たちは人付き合いも非常にうまい。うまいというのは単に社交的という意味ではなく、好きじゃない人と一緒にいないということだ。惰性のような人付き合いを避けるのがうまい。そうすることで、彼ら自身を守っているのが分かる。

最後に、誘惑を切り捨てる。楽しいことが全て美しいものとは限らない。センスある人たちは、美しくないものに引き寄せられてもある程度、距離を置くことができる。つまり、彼らにとって美しいものたちに囲まれる環境を作るための胆力がある。そうして、ヒトとモノのいい循環が生まれ、脈々とセンスが構築されていく。

これが「美しいものと生きる道を選ぶ」ということなのではないかと思う。

ちなみに「センスがいい」と「センスがある」は別物だ。前者は自分のセンス感覚に基づいた比較であって、主観だ。自分のセンスに合わなくても、素敵なセンスを持っている人たちはたくさんいる。今回話しているのは後者だ。

こう紐解いてみると、少なくとも僕にとって「センスがある」というのはストイックなことだ。切り捨てるものも多い。けれども、きっと好きでそうしているのだから、その分どんどん幸せに近づいていく。そんな、とても素敵な道だなと思う。

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