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余裕は生まれるのを待たず、つくるもの

空気がピリつく。
そんなときはだいたい余裕がない。

言葉も、行動も、表情も、すべての所作が少しずつ雑になっていく。タチが悪いことに、その進行はゆっくりである。まるで病気のようだ。

だからすぐに自分では気づけないことがある。大丈夫?と声をかけてもらって、ふと我に返る。ああ、またやってしまったんだ、と。

僕自身、ここのところそんな感じだったので、ひと段落がつき、目下反省中だ。

でも、そうならないようにするにはどうしたらよいのだろう?

と、考えていたところに、友人の鳥井さんがこんな話を書いていた。

隠居系男子:時間だけには焦りたくない。

これは待ち合わせに焦点が置かれているけど、あらゆることにおいて、余裕は生まれるものではなくて、作るものなのだなと思う。

早め早めにやっておく、少し余裕を持ったスケジュールを自分で作る、進行のコントロールを都度都度する。

やれることをやらずに余裕が生まれるのを待つことは、極端に言えば、他人に人生を預けてるようなものだ。

ちょっと前に定時の5分前に出社しなきゃいけない会社なんておかしい、というようなTweetを見かけた。でもきっとそれは最初は誰かが自分のために作った余裕を持つためのルールなのだ。そこから余裕を与えてあげようという親切だったのかもしれない。

文脈が消えて、義務として残るのはよくないけれど、そういう風に言われるのであれば、きっと余裕がなく思われているのかも。

余裕と客観視は反比例していく。
その均衡を保つことを日々トライしていこうと思う次第である。

#ブログ #日記 #エッセイ #コラム #余裕

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