自信と過信をどこまで俯瞰できるか
昨日、前職の先輩と飲んでいて盛り上がった話がある。
それは年齢を重ねれば重ねるほど、人は自分のコミュニケーション能力が上がっているかように錯覚してしまう、ということだ。
先輩はひとまわり年齢の離れた後輩に次のようは話をした経験があるらしい。
庭で育てているカボスの木にアゲハチョウが卵を産んだ。幼虫が孵化してから蝶になって飛び立っていくまで、子供と一緒に成長を見守っていた。
普通にいい話である。ただ、後輩からは、
なんだか校長先生の話みたいですね!
というリアクションが返ってきたそうだ。先輩はハッとした。
いい話のネタだなと思って伝えたけれど、誰も批判しようがないだけ&そんなに誰も気に留めない話でしかなかった。つまりコミュケーションが出来てそうでいない。その最たる感想が、"校長先生の話"だ。
後輩は深く考えずにポロっと言ってしまっただけが、かなり芯を食っていた。「こうしてお前への笑い話にはなったけど、少し落ち込んだよ。コミュニケーションって難しいな。」と先輩は笑った。
これは教訓だなと思った。僕もきっとそういう話を知らず知らずのうちにしているだろう。少なくとも、してないなんて言い切れない。
難しいのは、歳をとればとるほど色んな人と付き合い、様々な場面に出会い、経験の数が増えていく一方で、その経験の価値を最初に測るのは自分でしかないことだ。
10年、20年長く生きたことがアドバンテージになるなんて保証はどこにもない。いかに自分に酔いしれずにいられるか。経験という名の裏で、一緒になってついてくる自信と過信をどこまで俯瞰できるか。そんな大切さに気づく、先輩との夜だった。
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