まるでフランス映画みたいな

多様性! 男女平等!! を・掲げる!!!
…自分という人間の程度の低さゆえに堂々とそのように宣言することが憚られがち・なんならちょっと陰に隠れがち、いやこんな末端の人間がわざわざ掲げんでも当然そうあるべきで、そうじゃないことで困ってる人がいるという現状には当然納得がいかないし、でもその表現方法っていうか言い方が気になっちゃってさぁ、いやいや当事者からしたら銃口突き付けられてる時に言葉の綾みたいなそんなん気にしてる場合じゃなさすぎるから良いんだけど、っていうか良いんだけどっていうのも上から温室目線でもうアウトなんじゃないか、うーんやっぱりワタシって程度が低い。人としての程度が。病むぅ~。病み病み~。中野のyamiyamiってカレー屋が美味しい、つって、いつの間にか矛先というか視線が自分に向いちゃってて、ああやっぱり自分のことばっかだな、いやんなるね、みたいなぐるぐるに取り込まれてしまったりして。

と、そのようなことをわざわざ何度も言ってしまって、そして勝手にひとりでぐるぐるしている訳だけれども、女を二十九年と数か月、人の親、平成初期の人権スタンダードを悪気なく継承する両親、ネオ価値観のワガママ坊や(男・三十二年目)と家族やらせて頂いて、この国で生きていたらまあ支障、不合理、くそムカつく慣習、風潮、みたいなものは個人レベルで日々それなりに感じるというのも事実であり。鬱々を晴らすべくはりきって酔っぱらって記憶なくして怪我をするのが趣味の人みたいになってたりして。もちろんそんな悪趣味の人として生きていきたくはないのだけれども。
で、でね、でもね、そんな環境下でもどんな環境下でも、私が個人として他人に屈しないで生きることで、またその世の中のスタンダード的なものに属さない人、理不尽な思いをしている人と接したときに生理的に共鳴することで、声高らかに発信せずとも、微々たるものでも世の中の底上げを出来るのではないか。とは思っていて。

ほんで、そういうぐるぐるとか世の中の大小の悲劇、日常レベルの悲喜こもごもをうつくしくおもしろく文章化、映像化、音楽化してくれた、エンターテインメントに触れたとき。私はもう、ぎゃああああああ生きててよかったああああそういうことだよアリガト!! となり、睡眠や食欲や物欲に支障をきたしたりするのである。バグる。うれしくってバグ。

現在公開中の映画、『パリ13区』を観ての感想。得ての感想。です。

自分が変わろうとか(省みることはする。皆、省みている)世の中に向かって発信しようとか、そういうことではなく、ありのまま(個人的に超嫌いワード)のきみが素敵だ、みたいなのとも違う、自分が自分のままで愛を与える・得ることを諦めない、その真っ当さを示してくれたこの映画は、誰しもの心に沁み入るのではないだろうか。

*この映画の主要人物の一人、台湾系フランス人の女の子のスタイル(等身のことではない。彼女のそれはもう絵になるバランスだった)、スタンス、佇まいに妙な親近感をおぼえたというか、時折自分を見ているような錯覚に陥った。なんとなくの衣服のセンスとか、雑にまとめた直毛の黒髪とか、胴回りとか(寸足らずの自分とは明らかに等身は違うけど、なんかめっちゃ頸から下・膝あたりまでの形状が似ていた。映りの問題かもしれないが、鏡見てるみたいだった)。あと仕事中マッチングアプリやってるところとか。
単純な共感とも違う、不思議な映画体験で、特に外国映画でこんなの滅多にないことだったもんで、そういった意味でも興奮しちゃった。

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