見出し画像

17歳のできごと

こんばんは

6月25日に誕生日プレゼントが
ゆうパックで届きました。
(誕生日は5月ですが)
スマホで撮った写真をビューティープラスという
アプリで突然編集してみたくなりました
無料のはず…
課金されたらどうすべか~?と
ちょっと不安です。

Beautyplus編集、無料のはず
まさか課金されてないよね?

今日の記事は備忘録として書きとめておこうと思い書きました。

※長文です

毎年、デラウェアを送ってくれるのはエリカ

高校1年で初めて出会い
それ以来の長いお付き合い。
同じクラスだったのは高1の時だけ。

私たちは、部活に入ってなかった。
帰宅部の二人。
帰りみちは反対方向、でも
高校の近くの喫茶店で遅くまでしゃべっていた。

彼女の家に遊びに行くと
きれいなママがいて
クッキーを焼いて
ピアノを弾いてくれた。
もちろんエリカも
ピアノを習っていた。
とっても上手。

クッキーを食べながら
先生の悪口、
男子の話、そのころ流行っていたバンドの話をしたりと
それはそれは
楽しい時間だった。

2年になると
私は文系、エリカは理系とクラスは離れた。
それぞれクラスに友達ができたけど
やっぱり帰りは一緒に帰って
いつもの喫茶店で遅くまでしゃべっていた。

そんな秋のある日
5時間目の終わりを告げるチャイムが鳴りやんだその直後
校内放送が流れた。
『3年7組の○○ケイスケくん
 2年8組の○○エリカさん、大至急職員室に来てください』
エリカにはひとつ上の学年にお兄ちゃんがいた。

『エリカとお兄ちゃん、どうしたんだろ?』
 少し心配になった。

その放送のあと6時間目の退屈な授業が始まった。
授業中エリカのことが気になってはいたけど、チャイムが鳴るのを
おとなしく待っていた。
終礼が終わり、エリカのクラスに行ってみた。
エリカは6時間目の授業を受けずに帰った、と。

18時ごろ家に帰った私は
ダイニングでお菓子を食べながら
テレビを見ていた。

ローカルのニュース番組で流れた
トラックとスクーターの衝突事故

スクーターを運転していたのは
市内に住む○○○子さん40歳
全身を強く打って
病院に運ばれましたがまもなく死亡。

目と耳を疑った。

エリカのお母さんの名前だ。
珍しい苗字だし、家の表札に並んでいたその名前に間違いない。

キッチンに立っていた母も動揺して
夕食の準備はそこで止まった。

エリカのママが40歳という若さで
交通事故で亡くなった。

【突然のお別れ】というものを
17歳の私は知らなかった。


私の父は42歳でガンで亡くなっている。
私が10歳の夏休みの終わりに。
闘病期間が2年あり、周囲の様子や父の衰弱ぶりに
(お父さんはもうすぐ死んでしまうかもしれない)と
子どもながらに感じていた。

【突然のお別れ】ではなかった。

それでも寂しかったし悲しかった。

自分の大切な友達の身に降りかかった

【親の突然の死】

その喪失感は17歳の私には
想像できていなかったと思う。

エリカが登校してきたのは10日ぐらい経ってからだったのか
それも定かではないが、二人でお昼学食に行ったときのこと

学食人気メニューのひとつ
ラーメンを食べ終わり
食堂の外のベンチでエリカがぼそっと言った。

yaaはいいな。お母さんがまだ生きていて。

 急にお弁当とか、作れんよ・・・

事故、ママじゃなくて、パパだったらよかったのに』


そう言って少し泣いていた。

私の父がガンで死んだことを彼女は知っている。
知っていて、こう呟いたエリカ。

17歳の本音だった

私はこれに対して何を言ったのか、

どんな顔をしてどんな言葉を
かけたのか、思い出せない。

多分、一緒に少しだけ泣いた。

翌日からもしばらくお弁当は持っていかず
学食に行って一緒にラーメンを食べた。

月日は流れ
昭和天皇が崩御になって
昭和から平成に元号が変わった
その年

私たちは最後の共通一次試験を受けて
高校を卒業。

大学進学、就職、結婚とそれぞれの道を歩んできた。

離れていたけど、ずっと手紙や電話でつながっていた。

エリカは地元の大学に進学、地元で就職、そのまま職場結婚。
結婚後も実家で暮らしていた。
エリカのパパと、ご主人と。2人のこどもと。
ネコのみーと
高校時代からいる柴犬タロー。

年に2回、私が実家に帰省するときは必ず彼女の家に寄って
近況報告しあっていた。


私たちが36歳頃だったっと思う。

エリカの部屋でコーヒを飲んでいたら
17歳のあの日のことを話し始めた


ママの事、ずっとひっかかっていたことがあって占い師さんというか
霊能者みたいな人にみてもらったよ~


あの日の朝、ママはちょっと疲れていて学校行く前
今夜何が食べたい?なんか食べたいものある?って聞いてきてね、

『別になんでもいい!』って答えて玄関を出たの。

学校行く途中なんとなく気になってた。
それがママと交わした最後の会話。

ずっと後悔してた。
もっとちゃんと考えて返事すればよかったって。

そのことを泣きながら占い師さんに話したら


「あなたのお母さま、嬉しそう。

スクーター運転しながら

今夜の夕食はエリカの好きなハンバーグにしよう

買い物して帰ろうって

とっても楽しそうにして
いらっしゃる」って。

それ聞いて、
ずっとモヤモヤしてたものが
すーっと溶けていった。
すごく軽くなったよ~」

そう話すエリカかはとってもきれい。

「ママに似てきたね~」と
写真の中で微笑んでいる
エリカのママに目をやった。


17歳のあの日なにも出来なかった。

お昼休みの1時間、
学食で一緒にラーメン食べることしか
できなかった。
気のきいた言葉が出てこなかった。

次の日私がとった行動は
今思い出してもちょっと驚き

スマホとかない時代
音楽を聞かせるために
カセットデッキとカセットテープを
学校に持っていって(大荷物)
昼休み無理やり聞かせた。
エリカはたいして興味なかった
私の愛する 尾崎とブルーハーツを。
ちょっとは元気になってくれた・・・
気がする・・・。

今もよく聴いている曲がある。
初めて家に遊びにいったとき
エリカのママが
ピアノで弾いてくれた曲

ジョージ・ウィンストン
【アルバム Autumnn】の中に収録されている
Longinng/Love

エリカも弾いてくれる。
エリカの娘ちゃんも
めちゃくちゃ上手!


今、エリカは、長男である旦那さんの実家で
ぶどう農家の義父母と一緒にデラウェアの収穫を手伝っている。

今年のデラウェア、
甘酸っぱくて美味しい!

ありがとう。


私がnoteを始めたこと
エリカは知らない。
いつか、読んでもらってもいいかな。


学食のベンチで話したこと。

忘れてるかな?

私が何も言えなかっ時のこと。

エリカとパパは
今、とっても仲いいの、
うらやましい。

エリカのお父さんは
ママの分までエリカを愛し
私が遊びに行くと温かい笑顔で
迎えてくれた。
男料理 頑張って作ってたよね。

長生きしてもらいたいな。

※追記
私のnoteのアイコン画像
女性パソコン(いらすとや)の背景
にょろにょろと50という数字のクッキー
私の50歳の誕生日に彼女が作って送ってくれたもの。
手作りクッキー、最高に美味しい!


長文になりましたね・・・

最後まで読んでくださった方

お付き合いいただきまして

ありがとうございました⭐


この記事が参加している募集

サポートありがとうございます! いただいたサポートは アイス代、いえ 社会貢献活動に寄附します!