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“パンと魚の奇跡”とモザイク

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詩編・聖書日課・特祷

2024年7月21日(日)の詩編・聖書日課
 旧 約 イザヤ書 57章14b〜21節
 詩 編 22編23〜31節
 使徒書 エフェソの信徒への手紙 2章11〜22節
 福音書 マルコによる福音書 6章30〜44節
特祷(聖霊降臨後第9主日(特定11))
恵みと憐れみを賜るとき、殊に全能を現される神よ、豊かな慈しみをわたしたちに与え、あなたが約束されたものを目指して走り、ついに天の宝にあずかる者としてください。主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン

下記のpdfファイルをダウンロードしていただくと、詩編・特祷・聖書日課の全文をお読みいただけます。なお、このファイルは「日本聖公会京都教区 ほっこり宣教プロジェクト資料編」さんが提供しているものをモデルに自作しています。

はじめに

 どうも皆さん、「いつくしみ!」
 さて、今回は最初に、こちらの絵を御覧いただきたいと思います。

 皆さん、見たことはおありでしょうか。真ん中にカゴのようなものが描かれていて、その両脇に魚が2匹、描かれています。そして、この真ん中のカゴのようなものをよく見てみますと、この中に、“丸いパンのようなもの”がいくつか入っているのですね。
 皆さん、お気付きかと思いますけれども、こちらは、本日の福音書に書かれていた、いわゆる「5000人の給食」をテーマにした“モザイク”作品ですね。小さい、いろんな色の石を組み合わせて、このように一つの絵とか模様を作り出す手法を「モザイク」と言います。

 ちなみにこちら、いま僕が手に持っておりますのは、この絵をモデルにして造られたものなのですけれども、これは、去年、香織先生がイスラエル旅行に行かれた際に、おみやげでくださったものです。マグネットが付いているので、家の冷蔵庫に貼っています。イスラエルにあるモザイク作品の中で、おそらく最も有名な作品の内の一つだと言われているそうです。

「パンと魚の奇跡の教会」の床モザイク

 この“魚とパン”のモザイクは、かつて、イエス・キリストが活動していたガリラヤ湖……、そのガリラヤ湖のほとりに、「タブハ(Tabgha)」と呼ばれる場所があるのですけれども、そこに建てられているカトリック教会(The Church of the Multiplication of the Loaves and Fish)の“床”が、このようなデザインになっているのですね。オールター(聖卓)が祭壇の上に置かれていますけれども、その足もとの、会衆席側の床に、このモザイク画は施されているわけです。
 これ、なかなかオシャレですよねぇ。オールターという、キリストの体であるパンを分かち合う、そのテーブルのところに、こうやって、「5000人の給食」のモザイクが飾られている――。これは、なんとも象徴的なデザインだなぁと思わされます。 この“魚とパン”のモザイクは、今から1500年以上も前、紀元5世紀の作品だと考えられています。その一方で、教会自体は、割と新しいのですね。教会は、20世紀になってから設立されたものです。それ以前は、この場所は教会じゃなかった。まぁ、何が建っていたのかまでは分かりませんでしたけれども……。しかしながら、この“魚とパン”のモザイクは、1500年くらいの間、ずっとここに“あった”わけです。正確には、この場所に埋まっていたのですね。この教会の床には、この“魚とパン”のモザイク以外にも、いろんなモザイクが施されているのですが、それらの作品も皆、紀元5世紀頃に造られたと考えられています。つまり、この場所には、はるか昔に教会が建っていた、ということになるわけですね。
 大昔のパレスチナのキリスト者たちは、この場所で、こういうモザイクが飾られている床の上で、礼拝をささげていた(!)わけです。そして、そのときのモザイクが今、こうやって1500年以上の時を経て、再び、姿を現し、その上に新しく建てられた教会の一部となっている――。すごくロマンがある話ですよねぇ。

女性修道士エゲリアの巡礼記より

 この場所には、遅くとも4世紀には、教会が建っていたようです。当時、スペインからはるばるパレスチナへと巡礼のためにやって来た「エゲリア」という女性がいるのですけれども、その人の巡礼記録の中に(おそらく)この教会(と思われるキリスト者の共同体)に関する記述があるのですね。

※現存する『巡礼記』からは、彼女がガリラヤを訪れた際の記述が欠落してしまっているが、12世紀に『巡礼記』の写本を所有していた Petrus Diaconus の文書から復元できる……らしい。

 そのエゲリアという人物の記録には、一つ面白いことが書かれてありまして――、実はこの場所は、あの「5000人の給食」の聖地だったのだ、というのですね。どういうことかと言いますと、かつてイエス・キリストが2匹の魚と5つのパンを増やして、大勢の人々を満腹にした、まさにその場所なのだ(!)と、エゲリアは報告してくれているわけなのです。
 このオールター(聖卓)の下に、少し盛り上がった岩みたいなものがあるのですけれども、この岩は、イエスが5つのパンを置いた場所だと言われていて、エゲリアがこの場所を訪れた時(380年頃)には、人々はこの岩自体を、聖餐式を行う聖卓として使っていたということなのですね。ちなみに、そのエゲリアが言うには、当時の人々は、この岩から欠片を少しずつ取って、“お守り”的な感じで持ち帰っていたそうです。
 その後、5世紀後半になりますと、その教会では改築工事が行われまして、より大きな会堂が建てられることになりました。そしてその際に、この「5000人の給食」に代表される様々なモザイクが製作されたのだろうと考えられているのですね。しかし、残念なことにその教会は、7世紀に入って、非キリスト教勢力であるサーサーン朝ペルシアがエルサレムを襲撃してきた際(614年)に、どうやら巻き込まれてしまったらしく、本来ここにあった教会は消滅、そして、これらのモザイクも、その存在を忘れられるようになってしまいました。
 ところが、時は流れて、19世紀末から20世紀ですけれども、ドイツのカトリック団体がこの地域を発掘調査したところ、ここにあった教会の基礎と、これらのモザイクが発見されたのですね。およそ1400年ぶりに、地上に姿を現したわけです。

床モザイク

 よく、1400年間も無事だったなぁと思います。これらのモザイクは、当時の教会が消滅したあと、最初は雨風に晒され、時間が経つにつれて次第に砂とか土をかぶるようになって、それ以降ずっと地面の下に埋まっていたわけですけれども、それにもかかわらず、その間、こんなにもきれいな状態を維持できていたわけですよね。モザイクって、丈夫なんですね。
 どうして、これらのモザイクが1400年もの間、今のような状態を保つことができたのか。それは一つには、石とかガラスが使われているからですね。使われている素材が、そもそも丈夫であるわけです。それに、この表面の色は、塗料が使われているわけではなく、元々そういう色の石やガラスの破片が使われているので、色が劣化していかないということなのですね。

https://www.getty.edu/conservation/publications_resources/pdf_publications/pdf/mosaicglossary.pdf

 モザイクが壊れにくい理由がもう一つあります。それは、モザイクの“下”に隠されているのですけれども、モザイクは、ただ地面に、いろんな石とかガラスを並べているわけじゃないのですね。この下は、実は、こういう構造になっておりまして……、深さはだいたい1メートルくらい、あります。一番下の層には、ゴツゴツとした大きめの石を敷き詰めて、二層目・三層目は、それぞれ大きな石と小さな石を混ぜたモルタル(漆喰)を広げ、そして、四層目にあたる細かい砂を混ぜたモルタルの中に、モザイクの一つ一つの破片を埋め込んでいく、ということになるわけです。このように、いくつもの層によって頑丈な基礎が造られているおかげで、モザイクというのは、何百年、何千年経っても壊れない強さを持っているということなのですね。なので、モザイクの床というのは、単なる床のデザインであるわけではなく、もはや、それ自体が“建築物”なのだと、そう言えるものなのかもしれません。

キリストという「かなめ石」

 ここで、本日の聖書日課のお話をしたいのですけれども、今回注目したいのは、“使徒書”のテクストですね。使徒書は、エフェソの信徒への手紙2章11節以下という箇所が選ばれておりましたが、その中の14節以下を見てみますと、こんなふうに書かれています。「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、[……]敵意という隔ての壁を取り壊し」。
 このように、“キリストの平和(キリストにおける平和)”に関することが、この箇所では語られているわけなのですが、この箇所の最後の部分、20節以下のところでは、神の家族である我々一人ひとりは組み合わされて成長し、一つの聖なる神殿になるのだということが記されています。20節以下、読んでみます。「使徒や預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり、キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。」
 かなめ石……、つまり建物全体のバランスを整えるうえで、最も重要な役割を担っている部分が、イエス・キリストなのであり、そして、その支えによって、神の家族は一つとなり、平和が保たれるのだと、このエフェソ書の著者は語っているわけです。
 日本の建物というのは、昔から“木(木材)”で造られてきましたので、我々にはちょっと想像しにくい話かもしれませんけれども、古代の地中海世界の建物は皆、石を組み合わせて造られていたのですよね。なので、当時の新約聖書の読者たちにとっては、この話は、非常に身近な、分かりやすいたとえだったのだろうと思います。教会の壁を触りながら、「そうか、自分たち一人ひとりが、この『石』なんだなぁ」と言ったりしていたのかもしれません。
 今日のこのモザイクという芸術作品も、そのような“石”を組み合わせて建物を造る――、そういう文化の中で培われてきたものでした。この絵の下には、さまざまな大きさ・形をした石が積み重ねられて、層が造られており、その上に、立方体の形をした石やガラスの破片を埋め込んでいくことで、一つのモザイクが完成するわけですけれども、これもまた、先ほどお読みしたエフェソ書の御言葉と通ずるところがあると思うのですね。「歴史」といういくつもの層の上に、僕ら一人ひとりは生きていて、そして、まるでこのモザイクのように所狭しとひしめき合いながら、一つの世界を形作っている。ある一部分だけ切り取って見てみても、なんのこっちゃさっぱり分かりませんけれども、少し離れて、俯瞰的な視点から見てみれば、素晴らしい芸術的な作品として成り立っている。このような世界の調和を、かなめ石であるキリストが保ってくださっているのだということを、今日、心に留めたいと思うのですね。

おわりに

 このモザイクのピース……、美術の世界では、この一つ一つのピースを「テッセラ」と呼ぶそうですけれども、この「テッセラ」、同じように見えて、よく見てみますと、一個一個、歪んでいたり、削れていたり、微妙に大きさや色が違っていたりと、それぞれに個性があります。現代の技術ですと、おそらく、きれいな立方体の、全くおんなじような形のテッセラを大量に作れたりするのかもしれませんけれども、多分それだと、モザイク的には魅力に欠けるんじゃないかなと思います。同じようだけれども、良く見たら、みんなバラバラ。でも、そのような「テッセラ」が、作品によっては何百万個、何千万個と集められて、見事なモザイクを作り上げている。それが良いんだろうなと思うのですね。
 そして、この“魚とパン”のモザイクに込められた、イエスの福音、神の救いのメッセージを、これからも大切にしていきたいと思います。この美しい世界を一緒に構成しているすべての人々と食べ物を分かち合い、幸せを共有する――。そんなこと、到底出来っこないだろう(非現実的だ)と言いたくなるようなことではありますけれども、しかし、イエスはかつて、たった魚2匹とパン5つを、何千人もの人々に配るというミラクルを起こして、その場にいた人たち皆を幸せにしたのですよね。僕らの社会にも、きっとそれは不可能なことではないのだろうと思います。諦めず、知恵を出し合い、みんなが幸せになる社会の実現をみんなで作り上げていく――、そのような最高のモザイク作品の完成を目指して、そこにキリストの支えを願い求め続けたいと思うのですね。 
 最後に、今日の詩編の言葉、22編26節と27節をお読みして、奨励を終わりたいと思います。「貧しい人は糧に恵まれ、神を求める人は主をたたえる‖ いつまでもあなたがたの心は生きるように 遠く地の果てまで、すべての者が主に立ち帰り‖ 諸国の民は神の前にひざをかがめる」

 ……それでは、礼拝を続けてまいりましょう。

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