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Determine that the thing can and shall be done, and then we shall find the way.

「Determine that the thing can and shall be done, and then we shall find the way.」

アメリカ歴代大統領 エイブラハム・リンカーンの格言です。


「経験したことがないことは、できない。」

経験していればできると解釈して良いのか否かは別として、人間、そのような感覚があるのだと思います。

「石橋を叩いて渡る」訳ではないとしても、高い確率で「できる」と思えないものに飛び込むのは、相当な勇気が必要なのかもしれません。


やる前は、不安ばかりだったことも、実際やってみると案外簡単だったりすることがあります。

「思っていたほど、難しくなかった。」

「こんなことに対して不安を抱いていたのだろう。。。」

やってみることによってしか味わえない感情があります。


やる前の不安が的中し、芳しくない結果に至ることもあるのでしょうが。。。


「できる」「できない」を判断するための要素は、経験の有無だけなのだろうか。

経験していれば、できるのだろうか。

未経験であれば、できないのだろうか。

だとしたら、初めてのことは、全て「できない」という結論しかないように思う。


人は皆、どのようなことでも、未経験から始まる。

未経験を経験していく過程で、経験したきたことを応用して、未経験に取り組むことができるようになるのではないだろうか。


色々なことを経験しているのであれば、それらの経験は、必ず「未経験」のことに活用できるという確信がある。

逆に、初めてのことに対して、経験を活かせる要素を探し出す作業により、全く違う経験を類似したものとして捉えることができる場合もある。


経験しているから、できる。

未経験だから、できない。

このアプローチが違うような気がする。

経験しているから、失敗する確率が低い。

未経験だから、失敗する確率が高い。


失敗する確率が高いのであれば、やらない方が良い。

人は、無意識に、そのように解釈してしまうのかもしれない。

確率を計算する上で、「経験の有無」にポイントを置くのであれば、「経験したことを活用できるか否か」をポイントにすべきではないだろうか。


結局、「現状維持バイアス」が、やるかやらないかを決めているような気がする。

ほとんどの場合、「現状維持バイアス」は、「やらない」を選択させる。


よって、「後から見つけるべく方法」を見つけることができずに終わる。

「できない」は、いつまで経っても、「できる」に変わることはない。


「機会損出」に気付くことなく、「できる」ことだけをやり続けることになるのだろう。


やれる方法以上に、「できると決断する」方法が、重要な気がしている。

この名言により、「できない」と決断することによる損出は、後々、大きな違いをもたらすのではないかと思わされた。


(出来ると決断することだ。方法は後から見つければいいのだ。)


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