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男三人兄弟両親W介護回顧録② ~今日、ママンが大学病院に行った その1~

2月の下旬、ボクは会社に向かおうとしていた。

いつものごとく家を出るのはギリギリ。

いや、むしろ遅刻することは明らかだった。

345メートルくらい歩いたところでママンからの電話。

「大学病院に連れて行ってほしい」

しかし、ボクの会社も重要な時期。

決算期を迎えていた。

ママンはどんなことがあっても耐え難きを耐え忍び難きを忍ぶ人で、息子たちに弱い姿なんて見せたことはない。

それなのに朝の通勤時間に連絡してくるなんて…

一瞬、ママンの頼みを断って会社に向かおうとしたのだが、よほどの事態と考えなおし、会社に休暇連絡をいれることにした。

昨年の12月上旬からパパは脳梗塞で入院していた。

会社が繁忙期であることと、それまでも何度もパパの病院へ行くために突発的に休みをもらったことから、上司の返答も当然のことながら渋い。

しかし、頼みこんでなんとか午前の休暇を取らせてもらった。

2月上旬にはママンの足は太腿から足の裏に至るまでパンパンにむくみ、歩くことさえ難しくなっていた。

2月中旬にはボクもママンに大学病院で検査することを勧めていたものの、3月中旬にパパが退院することを考慮して、それ以降に検査をすることにしていた。

ボクは今でも後悔の念に苛まれている。

ママンが発していた小さなサインを見逃していたことを...

実はママンはそれまでも近所のクリニックで検査した肝臓の数値が芳しくなく、治療のための薬が処方されていた。

そしてそれを飲み続けてもいたのだ。

それでも足はむくみ腹水が溜まって息苦しいとのこと。

ボクは歩いて15分ほどの実家へと急ぎ足で向かう。

なんだか嫌な予感を感じながら…

実家に到着すると準備を済ませた母がすぐに出てきた。

その顔は黄色く、歩くことも難しい様子だ。

当然、車で大学病院まで行くことにした。

その日はボクが15年ぶりの座り慣れない運転席。

ママンも座り慣れない助手席。

大学病院までの道は何度も通ったことがある。

いつもママンがボクの心の病気を治すため、車に乗せて連れて行ってくれたから…

ボクはかなり慎重に、そしてできるだけ急いで大学病院へと車を走らせたのだった。


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