不自由だからこそ自由を感じられる
今、私は何にも縛られることなく本当に心が自由な状態だ。
すごく安定している。
この波のように穏やかだ。笑
(生理前は荒波のような感情の起伏になる 笑)
前置きはさておき、
心が自由な状態を言語化すると、どういう状態なんだろう。
少し深掘りして考えてみる。
私の中では、
心の自由な状態=絶対的な幸福状態と指す。
以前、幸福論を勉強していて学んだことなのだが
幸福には2種類あり
相対的な幸福=物質的な欲求・人から与えてもらう幸福を指す。
絶対的な幸福=何者にも紛動されることのない心が自由な状態。
相対的な幸福を追い続ける限り、本当の幸福は得られない。
なぜなら、相対的な幸福=物質的な欲望は満たされれば満たされるほど
もっともっと、と求めてしまうのが人間だから。
絶対的な幸福を築いていくには、
自己中心的な欲望を満たす境涯から、他者(利他)のために尽くす行動を起こしていく事が大切だと学んだ。
確かに、私の出会う心から幸福そうな人(オーラレベル)って
自分のことばかり考えているような自己中心的な人じゃなくて
いつも周りの人のこと考えて行動できていたり
あるいは、困っている人がいたら悩みを聞いてあげたり、
励ましてあげたり、寄り添ってくれたり
って自分よりも他人のために行動している人なんだよな。
反対に、相対的な幸福を追い求めている人は
常にお金儲けのことばかり考えていたり、
人と自分を比べて常に何かに焦っているような安定感のない人。
常に不安そうで悩み事が耐えないとか、過去をひきづってるとか
物欲凄かったり、
アルコールとかタバコとか男に依存してたりする傾向が強いような...。
表情も暗い感じで愚痴っぽい。イメージ。www
そんなとても儚い、幸福というなの偽造に依存していると
その執着していた物質がなくなってしまった瞬間に、
目の前にあった自分の心の幸せが崩れて消えてしまうんだろう。
そんなことを自分も今までの人生でたくさん経験してきたし、
今でも年齢問わず、
『振り回されちゃってますなぁ。』
っていう人たくさんいる。かわいそう。
で、結論。
私の今の心の自由な状態を言語化すると
「何者にも依存していなく、何を失っても怖くない状態。
だからこそ他者(周りの人)に優しくできる余裕があり
困っている人がいたら手を差し伸べることができる心の状態である。
自分の思考がシンプルなため大切な人や価値観が明確になっている。」
相対的な幸福状態の時には
人との繋がりは
結局はとても儚く、不安定な状態に感じていた。
別に環境が変われば一生会うことなんてなくなーい?みたいな。
さっぱりした感じ。でもそれってなんかさみしいですよね。
きっとその本質的な理由は、相手がどうこうではなく
自分に自信がない。他人に依存しやすい。
幸せを与えてくれるその人を失うことが怖い。
そんな理由で自分を守る為だったんだろう。
今の私は、自分の心の変化があったからこそ
信頼できる強固な繋がりのご縁の方ばかりで
そんな信頼できる人たちに囲まれていると
人を心から信頼できている自分のこともすごく好きになる。
そうやって心が変わると人間関係も良好になった。
それに自分が変わると自然と出会う人も変わった。
人に幸せにしてもらっているうちは、本当に幸せな人生とは言えない。
自分で自分のことを幸せにできる人生でこそ
本当に自由で最高に幸せな人生だと思う。
たくさんの素敵な出会いを通じて_♡
今日は、私の考える自由と幸福論について考えてみました。
おやすみなさい。
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