デジタルは「手段」か「目的」か
はじめまして。渡辺と申します。
広告会社で、プランナーをしています。
まだまだ駆け出しです。日々色んなことを吸収したいと思っています。
そう、「吸収」。
今の時代、情報の移り変わりの早いこと早いこと…。
新しい概念や考え方が毎日飛び込んできます。
プロフィールにも書きましたが、わたしは紙の本派。
知識吸収のためによく本を買います。
最近はもっぱらAmazon。便利ですよね。
Amazonのこと、もはや知らない人の方が少ないんじゃないか?
とすら思います。
が、AmazonがDXを実現した企業であるときちんと認識している人は
実はそれほど多くないのでは?とも思っています、
と、強引に話を持ってきました。本日のテーマは
DX(デジタルトランスフォーメーション)とパーパスの関係についてです。
「デジタル」と「存在意義・志」であるパーパス。
なんだか、遠い話のような気もします。
はたして、これらの間につながりを見つけられるのか…。
まず、DXについて。大手コンサルティング会社「野村総合研究所」では、
DXをこのように定義しています。
「DXには、DX1.0(デジタルバック、デジタルフロント)、DX2.0(エコシステム型)がある。
DX1.0デジタルバックは、既存の業務の効率化。
DX1.0デジタルフロントは、顧客と販売後までつながることで顧客のことを把握することで、それに応じ、バックエンドの仕組み全体の変革と最適化が求められるDX2.0は企業の枠を超えたプラットフォーマーとして顧客への価値を提供すること」
(参考:https://www.nri.com/jp/service/solution/mcs/theme_dx)
つまり、DX1.0は「顧客からリアルタイムで吸い上げたニーズをもとに、
既存の業務を変えていく」こと。
DX2.0は「顧客のニーズに真摯に向き合い、『顧客価値は一企業だけで
提供するもの』という考え方も変えて、時には複数企業で協力しながら
価値を生み出す」ということだと、わたしは考えています。
…と、わかったように言っていますが、正直わたしは、
数か月前まで「DX…?」という感じでした。
なのでこれまで、DX関係の本や記事をそこそこ読みました。
その中でふと、あることを感じました。それは、
「『DX』と聞くと、ついつい『デジタル』に気を取られてしまいがち」
ということです。
どういうことか?
今、よく語られているDXにまつわる情報は、
「AI」とか「アジャイル開発」とか「デジタル人材獲得」などなど…。
結論も「デジタル化、待ったなしです!」というように
まとめたものが多い気がしています。
もちろん、これらが間違っているということではまったくないです。
ただ、DXは「Transformation(変える)」がポイントだと思うのです。
※あくまで個人の感想です。
そこにフォーカスを当ててみると、ちがった見方ができるのでは…?
と、考えているのです。
何かを変えようと思うとき、「どんな手段で変えるか」は、
実はそこまで重要ではないと思いませんか?
むしろ本当に大切なのは「何のために変えるのか」
「変えて、どうなりたいのか」、という「目的」ではないでしょうか。
DXでも同じように考えてみると、実は「デジタル」という要素は、
変革のための手段でしかないはず。
DXの本質は、実は「何のため?」「何を目指して?」
という部分にこそ存在すると思うのです。
そしてわたしは、その「本質」がパーパスなのでは?と、考えています。
パーパス:
「何のために存在し、社会に何を提供するのか」
という企業やブランドの存在意義
例えば、冒頭で紹介したAmazon。
Amazonは、「地球上で最もお客様を大切にできる企業を目指す」という
理念(パーパス)を掲げています。
その理念・想いを形にしたのが、これまでAmazonが実現してきたこと
(「Amazon.com」そのものや、レジなしのコンビニ「Amazon Go」、
電子書籍「Kindle」など)なのだと思います。
いずれのサービスも、「デジタル」の活用が肝です。
が、デジタルは「今までにない方法を現実化する」ための手段でしかない。
「今までにない方法でやろう」の発想を生んだのは、デジタル技術ではなく
「地球上で最もお客様を大切にしたい」という想いなのだろう
と、わたしは考えています。
パーパスがあれば、DXでなすべきこともそれに沿って見えてくるはずです。
パーパスは、いわば現代社会という大海原にDXという船を漕ぎ出すための
「コンパス」のようなものなのかもしれません。
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