「ベジータ」と引き寄せの法則。からの松下幸之助の言葉

今回も「引き寄せの法則」と「ベジータ」について考えます。
強いやつと戦うために強くなることが目的である孫悟空に対して初登場時のベジータにとって強くなることは手段でした。

地球では己の慢心から敗北。油断を反省しただけのナメック星では自尊心を砕かれるだけではなくフリーザに殺されてしまいます。
悟飯たちにはベジータを生き返らせる理由はありません。でもナメック星人たちを復活させるための願いのなかにベジータの命がカウントされていたために生き返りました。

その後、紆余曲折あって人生が激変したベジータは修行の鬼になります。下級戦士である孫悟空が自力で辿り着いた領域にサイヤ人の王子であるベジータがドラゴンボールの力に頼るはずありません。

傷ついたプライドと揺らぐ自己肯定感を何とかするには自分自身の力だけで超サイヤ人になりたかったのだと思います。
時間がかかったとはいえ、その悲願を偶発的にでも教わるでもなく己に向き合い続けることで叶えたベジータは、やはり「天才」です。

超サイヤ人の設定についてはめちゃくちゃ繊細な部分なので、真の有識者の方々と語り合うことはできません。しかし引き寄せの法則に当てはめてみるとベジータが超サイヤ人を引き寄せた要因となるものが見えてきます。

以下に超サイヤ人になれたときのことを話すベジータのセリフを紹介します。引き寄せの要素を匂わせる単語があるので。

<引用開始>

おだやかだったさ…
穏やかで純粋だった…
ただし、純粋な悪だが

オレはただひたすらに強くなることを願った
そしてすさまじい特訓をくりかえしたさ

ある時オレは自分の限界に気がついた…
そして自分への怒りでとつぜん目覚めたのだ
俺の中の超サイヤ人がな!!

オレは喜びにうちふるえたぜ……
やっとカカロットを超えサイヤ人の王子にもどる時がきたのだ……

<引用終了>

このセリフに引き寄せの法則に関連するキーワードを見つけました。

「穏やかで純粋」
「ただひたすらに強くなることを願った」
「自分への怒り」
の3つです。

思うに引き寄せの法則の中心核は「正しく強く願うこと」です。
正しく強く願うこととは「過度なポジティブでもネガティブでもない心理状態で強く願うこと」です。

妄信的・狂信的な前向きさや強すぎる自己肯定感は慢心などを引き起こす要因となります。同様に盲目的・悲観的な後ろ向きさや低すぎる自己肯定感は嫉妬や卑屈さを引き起こす要因となります。

ポジティブとネガティブを相殺させて心を「無」にすればいいのではなく「有」でありながらにしてバランスの取れた状態が理想的です。

セリフ中の「自分への怒り」は自他を傷つける言動に走ってはいません。
ただあるがままの「怒り」を発露させただけです。引き寄せの法則では感情を押し殺さなくていい代わりに、自分や他人に向けてはいけないと言われています。誰かに向ければ憎悪や嫉妬が喚起されてしまいますし、自分に向ければ自己肯定感が低下しすぎてしまいます。

均衡が崩れれば「引き寄せたい状態」とは逆になる引力が強化されてしまいます。だからこそ、フラットな状態でなければいけないし、自他に感情をぶつけてもいけないわけです。そういった意味において、超サイヤ人になれて当然の状態に己の身を置いていたわけです。

敗北や失敗が死に直結する日々からは解放され、謀略を使うこともなく真正面からぶつかって勝ちたい相手である孫悟空を超えることだけを願い、地球での穏やかな生活によってブルマとの間に子を授かるまでに至り、ピンクのシャツを着ることを受け入れられるくらいに度量が増え、修行に明け暮れる毎日を過ごし、超サイヤ人になれない苦悩に押しつぶされることはなく、サイヤ人の王子なのだから絶対になれるはずだと信じ続け、そこにあった傲りが披露で力尽きたとき、ほんとうの意味で自分自身に向き合った。
そこにある「怒り」を自他に向けることなく自然に解放した。それが引き寄せの法則と見事にリンクしていた。だから超サイヤ人になれた。こう表現することがぼくのなかでは破綻していません。

先天的に使いこなせる人物にとっては「強く願うだけ」でいい。それが引き寄せの法則です。けれど先天的に法則を使いこなせない僕にとっては悟空やベジータを通して見えてくる引き寄せの法則の姿にヒントが詰まっているように思えるのです。この直感はいまのところ正解しています。
観念的理解のなかにある「引き寄せの法則」は少しずつ腑に落ちるカタチとして咀嚼し消化器官のなかを通っている実感があります。ただひとつ気になっていることは、これを「実践」に移すとき、悟空とベジータはお手本にならないのではないかという一抹の不安があります。

悟空は先天的に使いこなす真の天才のように見えます。ベジータはカプセルコーポレーションに自己啓発の本があってベジータが熱心に勉強していた描写がないので現場の叩き上げで引き寄せの法則使いルートに突入したと考えるしかありません。これはぼくの現状と同一ではありません。ぼくは自分の人生に行き詰まってきて、何かないもんかと思っているところに引き寄せの法則に出会いました。なので悟空やベジータの引き寄せの法則をコピペして使おうとすると、たぶん十中八九しくじります。これはネガティブ思考ではありません。直感です。
この直感に従うならば、専用の引き寄せの法則をチューンするしかありません。チューンするためにはやはり「把握」が必要です。把握の必要性に関しては松下幸之助のことば以上に説得力のあるものはないでしょう。

リンク先にある松下幸之助の言葉にある「把握」は「心構え・基本姿勢」と言い換えられています。解説の部分にある『知識を使いこなす』と『物事を(覚えるのでなく)悟る』という2つの課題を合わせて考えると「心技体」という概念が浮かび上がってきます。
孫悟空の心技体・ベジータの心技体を通して引き寄せの法則の心技体を把握し、把握した知識をただ覚えるのではなく、悟り身体になじませ使いこなせるようにすることが僕専用のチューンをするということなのではないか。この朧げな直感が確信に変わるかどうかも含めて、まずは把握をすすめていくことにしましょう。
いっさいが把握から始まるとあの松下幸之助が仰っているのですから。自信をもって探求模索を続けていくことにします。笑

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