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こんにちは、竹岡佳信です

少し体調を崩したので、仕方なく、
ベッドに横になっていると

なぜか、高校時代のことが
鮮明に思い出されてきました。

当時、大阪の京阪沿線の郊外から
片道1時間半をかけて
奈良まで通学をしていました。

結構、長距離、、、ですね。
(多分、今なら、絶対やらない・・)

それで

毎朝、決まった時間に家を出て
決まった電車の、決まったドアに乗る

という、サラリーマンのような
規則正しい生活をしていたのですが、

そんな中で、

毎朝、見かける女子高生に
恋をしました。

恋、、というより

淡い憧れ、、という方が

正しい表現かもしれません。

でも、

女子と喋る機会など、まるで無い
中高一貫の男子校での思春期。

まして、

自分をさらけ出す勇気もなく

毎朝、彼女が乗ってくる駅から
降車する終着駅までの、

たった、8分間を
失いたくない一心で

結局、一度も、声をかけることさえ
出来ないまま、高校を卒業しました。

だから

浜田省吾の96年にリリースされた
アルバム「青空の扉」収録されている

『あれから二人』を聴くと

いつだって、誰だって、
人生のある時点から

別の人生を選ぶことが
出来るんだよな、、

なんてことを、
考えたりしてしまいます。

あ、浜田省吾をご存知ない方には
興味のない話をしてしまって
大変、申し訳ありません。

何が言いたいかと言うと、、

様々な出来事があった人生を
振り返ってみたときに、

あの時、こうしていれば、、
あの時、別の選択をしていれば、、

と言うことが、たくさん
思い浮かんだりしてきます。

でも、

人生は常に、

『今、一つの選択』
しかできません。

なぜなら

物理的な現実世界に生きる
身体は、一つしかないから。。

つまり

一つ、一つの瞬間を
次の瞬間につなげていくために

いつも

何らかの「選択」をすることが
人生を形作っている

とさえ、言えるのかもしれない。

そして、

その「選択」の度に

別の選択をした未来は
永遠に失われてしまう。

と言うこと。。

でも、逆に考えれば、

未来は、いつでも、
自分で選択してきた

と言うことなのかもしれません。

人生を長く生きてきて

もう、若くないしなぁ・・
なんてことを考える年代になると

高校生の頃のように

望めば、何でも叶う、というような
可能性に満ちた未来を選択できる

とは思えなくなったりします。

それは

自分の人生にかけられた
制限や枠組みがあって

それを越えたり、
壊したりすることが、

とても大変なことだ

ということを学んできたから
なのかもしれません。

でもね、

大変なことを覚悟してでも
「やる」と決めてチャレンジすれば、

もしかしたら

可能性は、ゼロではない
のかもしれない。

どうせ、上手くいくはずがない
と思っていたのに、

やってみたら、案外、
上手く出来たことだって
あったかもしれない。

何よりも重要なことは

チャレンジしなければ、
その未来は、永遠に失われてしまう
と言うこと。

望む未来を得たいのなら
望む未来へ向かう可能性がある
選択を、今、しなければなりません。

そうでなければ、

その未来は、永遠に
失われてしまうから。。

もし、あの時、あの子に一言でも
声をかけることが出来ていれば

全く別の、

彼女がいるという高校時代が
あったのかもしれないし、

もしかしたら

東京の大学を受験する、なんてことも
無かったかもしれない。

そう考えると、

一つ、行動しなかったこと
違う選択をしたことが原因となって、
全く人生が変わってしまった

ということも、あり得たと言うこと。

もし、今、あなたの中に
少しでも、人生を変えたい
と言う思いがあるのなら、

高校生の頃の自分を思い出して

あるいは

人生を変える分岐点になった
出来事を思い出して

その時の自分の選択が
その後の人生に与えたであろう

影響の大きさに、
思いを馳せてみてください。

人生は、自分の選択でてきている

そして

未来は、いつでも自分で選択できる

これが、案外、人生の真実
なのかもしれません。

起き上がってメールを書いていたら
ちょっと冷えてしまいました。

よおし、元気になるぞ!!


また、メールします


東京の自宅オフィスより
竹岡佳信

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