今日が来ること それは大いなる喜び 『少女ポリアンナ』を読んで
先日読んだ本の中で、こんな台詞がありました。
一見なんてことのない少女の台詞が、この春、私の頭の中で鳴り続けているのです。
昨日がどんな日であれ、今日が来ること。
昨日という日が過去になり、新しい今日という日が訪れたこと。
これはどんな意味を持つのでしょうか……
最近私はこんなことを考えるようになりました。
私の半生は、捉え方次第で、喜劇とも悲劇とも言えると。
たとえば病気になったこと。
私の病気はなかなか理解が得られませんし、終わりも見えません。
そういった意味では、これは悲劇と言うこともできるでしょう。
でも、私は、病気によって悲しみに暮れたくないと強く思ったのです。
そんな時、私の気持ちに寄り添ってくれたのが、冒頭に挙げた小説『少女ポリアンナ』でした。
ポリアンナは「どんなことにもうれしいことを見つける」というゲームを、村中に広めていきます。
病気で寝たきりになった貧しい婦人。
村人から距離を置く偏屈な紳士。
そして頑なだった叔母の心を溶かしていくのです。
痛みが強い日。
ちょっと心が陰る日。
思うように歩けない日……
私もこのゲームをやるようになりました。
そしてどんな日にも、喜びは隣にあるということに改めて気がつきました。
今日という日が来たこと。
新たに創造していくことができる一日を神様からいただいたこと。
再び目が覚めたこと。
カーテンから溢れる朝の光を眺めることができること。
辺りが平穏な静寂に包まれていること……
ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ……
私の一日は数え切れないほどの喜びで溢れていたのです。
その一方で悲しみは両手で数え切れるほどのものでした。
私の心が悲しみにばかり集中してしまい、本当の大きさを見失ったかのようでした。
この偉大なる大きな自然に包まれて、今を生きているということ。
今日も太陽が昇り、月が夜の静寂を運んできてくれるということ。
私は今日という日に喜びと祝福をもって生きていきたいと思います。
あなたの今日が素晴らしい一日でありますように。
愛と喜びに溢れたかけがえのない一日となりますよう願っています。
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