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外出自粛と孤独感、そしてティール組織

はじめまして。ozzyです。変なタイトルですが要はnote書き始めてみようと思ったきっかけを、エッセイっぽく書いてみようと思っただけです。

最後までお読みいただけると幸いです🙇‍♂️

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孤独、というものに関して、かねてより関心があった。独りでポツンと詰まらなさそうにしている人を見かけると、声をかけたくてたまらなくなるし、たまに孤独死のニュースなんかを見ると、胸が張り裂けそうになる。

そして昨今のコロナ禍で家で独りっきりで籠っている時に、自分は誰ともつながっていないな、と感じた。


ちなみにちょっとした自己紹介をしておくと、私はとある会社でシステムエンジニアをしている独り暮らしの20代会社員。学生時代はサッカーに打ち込んでいて、社会人になってからはゲストハウス巡りが趣味だ。

割とアクティブな方だと思うので友人もそれなりにいる(と思いたい)

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一人旅で気ままに写真を撮るのも趣味だ。

どうして、友人もいてSNSでも多くの人と繋がっているのに、誰ともつながっていない、という気分になってしまうんだろうか。

同じことを思う人はきっといるのではないか。特に会社に入るタイミングで親元を離れ、仕事も覚えて少し落ち着いてきた人、なんかは大体そうなんじゃないかと思う。(身近ではそうなんだけどなー)


友人にすべてをさらけ出しているか

ここで友人との付き合いについてちょっと考えてみたい。皆さんは中学の友人、高校の友人、大学や会社の友人など様々いるとは思うが、それぞれの友人にすべて同じ自分を出しているだろうか?

きっとそんなことはないだろう。友人とは言えその人に対して見せる面と見せない面があるはずだ。(中にはすべてをさらけ出せる親友もいるとは思うが)

特に学生時代の友人と会う時の自分と、会社に入ってからできた友人と会うのでは、個人的にかなり見せる面が異なる気がする。

そうなると、学生時代の友人には会社での面を隠して、会社での友人には学生時代の面を隠すことになる。

そういった関係性だとやはりどこかに緊張感が残ってしまう。ティール組織においても「全体性」という言葉で、自分のすべてを受け入れてもらうことが大切だと言われている。(ざっくり解釈!?)

私たちがつながりを感じづらくなっているのは、すべてをさらけ出すことのできる相手、というのが時代の流れとともに減っていってしまっていることが原因なのではないだろうか。

そこにはネットやSNSの発達、働き方の変化などが関わっているのだと思うが、その話はおいおいにでも。


面倒くさくなっ(以下略)

とまあそんな感じでnoteでも書いて自分をさらけ出してみようかと思う。

当然さらけ出すということには怖さも感じるが、これからの時代に必要なスキルのような気もする。

発信はあくまで自分の書きたいものを、自分のためだけに書いていくつもりだが、もしそこに共感してくれる人が現れてくれるのであれば、これ以上の喜びはない。

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というわけで私がnoteを書き始めようと思った理由でした。これを初心に頑張っていこうと思います。

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