見出し画像

続・ゴキブリ教授のエプロン14(教育勅語は「勅語」)

 広島市長が、職員研修の場で、教育勅語を引用していたことが新聞で報道された。「またか」という印象を否めない。同様のことが、何度も繰り返されてきた記憶があるからである。
 教育勅語の引用が問題視されるたびごとに、引用者が言い訳として述べるのは「教育勅語にはいいことも書いてある」というものである。広島市長も、そういう言い訳をしているようだ。
 いいことも書いてあるのは、言わば当たり前である。親に孝行せよとか、兄弟仲良くしろとか、学問をおさめよとか、世の中のためになれとか、教育勅語には、その性格上、誰にでも納得できる普通の道徳が含まれているからだ。
 だが、問題はそこではない。「勅語」という、教育勅語の本質が問題なのである。「勅語」というのは、天皇が、国会などを飛び越えて、直接臣民に指示・命令するものなので、日本国憲法の精神に相容れない本質を持つのだ。
 それを政治家などが引用するのは、無神経としか言いようがない。教育勅語は、その内容もさりながら(皇室国家のためにつくせ、などと書いてある)、「勅語」であるという本質が問題なのである。
「勅語」であるという本質を意識ぜず、全体の文脈(皇室重視など)を無視し、平然と引用するのは、戦前回帰を志向しているのか、あるいは単なる無知なのか。
 いずれにせよ、政治家など影響力を持つ人々が、教育勅語の引用を繰り返してはならない。
 付言するなら、教育勅語など引用しなくても、兄弟仲良くしろとか、世の中のためになれとか、別の引用元が、いくらでもあるはずなのである。 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?