見出し画像

例え話が伝わらない人

色々な人とコミュニケーションをしていると、中には「例え話を聞くのが苦手」な方がいます。
 
ある方が業務テーマを一人で抱え込んでしまって全然進んでいません。その課題について話そうと考え、例え話をします。
「桃太郎って鬼を退治するじゃないですか。その時に・・・」
と言い出したところ、あからさまに表情が曇り、例え話の一節は会話の中で「無かったもの」のような雰囲気になります。
 
あるいは最悪、例え話をまだ話してもいないのに「いやそりゃそうかもしれないけれど、このテーマはそんな簡単にできるものでは無いですよ?」とか腰を折られたりします。こちらとしては、「今の『そうかもしれない』はどこに掛かっているのだろう?」とか思ったりします。
 
こういう反応をする人の多くは、語彙力が少なく、言語処理能力のキャパが少ない傾向が見えます。
 
「桃太郎」という抽象的な概念が与えられた時、その物語を自分の脳内で具体的ストーリーに展開し、語られる文脈にどう関連付けるかを準備する、という作業が出来ないでいます。
 
この人は過去に「例え話の人」に散々苦しめられてきた記憶があるので、反射的に「この場を早くやり過ごそう」という防御の機制が働きます。
中国の故事成語を持ち出す人、ことわざを語る人、昔の有名な小説の詩句を引用し始める人・・・
「難解な言葉を持ち出して煙に巻き、私の主張を封じ込めるあの『インテリタイプ』の人だ。あの人種が現れたからいつもの対応をしなければ」という防御反応です。
 
こういうときには、「桃太郎に例える」のではなく、「桃太郎を語る」必要があります。
 
「いやあ例えばなんですけど昔々あるところにおじいさんとおばあさんがいておじいさんは山へ芝刈りにおばあさんは川へ洗濯に行ったんですよそしたら川上から大きな桃がドンブラコドンブラコと流れてきておばあさんがそれを家に持ち帰りおじいさんが包丁で切ったところ中から・・・」
 
ポイントはゆっくり、ダラダラと話すことです。相手は言語処理能力キャパが少ないので、途切れなくゆっくり話すと言語中枢が理解処理時間で満たされてしまって、その結果話に集中し、質問や反論も出にくくなります。
 
時間が掛かりますがダラダラと語りを続けます。「・・・財宝を持ち帰ったんですよ。」

すると相手は「あー!小さな子どもだったのに仲間を見つけて、悪者を退治したんですね、なるほどー」となります。最初に例え話として「桃太郎は鬼を退治したじゃないですか、それはなぜなら~」と表現したかったことの効果は、時間が掛かりますがここでようやく達成されます。
 
抽象的な概念を自分の中で展開できない以上は、こちらが展開してあげる必要があります。
 
私は現在アメリカで働いていますが、このことはアメリカでより意識するようになりました。米国大統領やイノベーションを発表するCEO等、「アメリカの要人のスピーチ」は、皆どこか似たような特徴がありますね。
 
分かり易い言葉でゆっくり話す。変に長い間を空けない。物語のような語り口調、ストーリーテリングを多用する。要人とまで行かなくとも、組織で一定のリーダーシップを執る立場にあれば、アメリカでは必ずこの「スピーチ力」が問われる傾向があります。
 
これはアメリカ特有の多様性と格差社会の中で生まれた行動様式ではないかと思います。特に政治家などはあらゆる層に理解されるスピーチで票を獲得しなければならないポピュリズムの中で生きていますから、このことを強烈に意識しているように見えます。

日本の場合は伝統的に、一般教育の中間層が厚いという背景が、異なる前提を与えていたのだろうと推測します。庶民も寺子屋で学問を学ぶ日本にあって、江戸末期に日本を訪れた外国人は庶民がみんな本を読んでいる姿に驚愕したそうです。語学力、抽象的概念の理解力が平均的に発達しているという背景が、「口下手だが背中で言葉を語るリーダー」のような存在を可能たらしめたのでしょう。
 
しかし、そんな日本の世代も時代に応じて変化していることを考えると、これからの日本のリーダーにもスピーチ力、いわば「講談師」のようなスキルが求められるようになってくるのではないか、と私は予想しています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?